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プロローグ

 授業が終わり、エステルは生徒会室へと向かっていた。

 ターラント国立エルガス学園は、良家の子女が通う学校であり、庶民であっても優秀な生徒であれば特待生制度によって入学できる。


 その学園の生徒会長を務めるのが、高等部二年となったこの国の王太子、セドリック。彼はまた、エステルの婚約者でもあった。エステルもヘインズ侯爵の娘であり、王太子の婚約者として身分的にもなんら問題はない。


 その彼が放課後に生徒会室に来るようにとエステルに命じたのだ。


 純白の扉の前に立ったエステルは呼吸を整え、まっすぐに腰まで届く漆黒の髪をそっと直してからゆっくりと扉を叩く。


 ――コツ、コツ、コツ、コツ。


 しかし返事はない。もう一度ノックをしようかと思っていたときに「どうぞ」と声が聞こえてきた。


「失礼します。エステル・ヘインズです」


 大きな窓から差し込む太陽の光によって、室内は明るく照らされている。窓が少し開いているのか、穏やかな初秋の風が入り込み、レースのカーテンをひらひらと揺らす。


 ベージュの壁には歴代の生徒会長の絵画が飾ってあり、ワイン色の絨毯の上には役員たちが顔を合わせるために使うテーブルやソファが置いてある。


 その三人掛けのソファの右側に、制服姿のセドリックが腕と足を組んで座っていた。光を紡いだような金色の髪は艶やかに輝き、眉間から鼻先へと流れる高い鼻梁と引き締まった口元には、気高さが漂う。だが、澄んだ空を思わせる青い目は、鋭くエステルを睨みつけていた。


「お呼びでしょうか? セドリック様」


 彼がエステルを生徒会室に呼び出すのは珍しい。なによりエステルは生徒会役員ではないからだ。


「ああ。君に伝えておきたいことがあるんだ」


 そう言うものの、彼の視線は鋭利なまま。組んでいた腕を解き肘掛けに置くと、そのまま気だるそうに頬杖をつく。


「エステル。君との婚約を解消したい」


 一瞬、エステルは息をするのを忘れた。時が止まったかのように、室内はしんと静まり返る。トクトクと心臓だけが音を立てる。何を言われたのかと、目を大きく見開く。


「……どうしてですか?」


 静寂を打ち破るエステルの悲痛な声。だが、それを尋ねる権利はあるはずだ。セドリックからの一方的な婚約解消宣言。なぜそのようなことを彼が口にしたのか、さっぱり心当たりがない。


「どうして? なるほど……やった側の人間というのはすぐ忘れるのか。まぁ、やられた側はいつまでも覚えているものだが、な」


 そう言った彼の視線は、彼の隣に座る女子生徒に注がれる。


 この部屋に入ったときから嫌な予感はしていた。婚約者であるセドリックの隣には、自分ではない別の女性が座っている。例えばそれが、図書室の閲覧席でたまたま隣に座ったというのであればわかる。しかしここは図書室ではないし、何よりも、席は他にもたくさん空いている。となれば、たまたま彼の隣に座ったわけではないだろう。


 セドリックにもたれかかるようにして座っている彼女は、ジュリー・アンセント。隣国ヴァサル国からの留学生だ。銀色の髪は滑らかに肩を流れ、初夏を思わせる深緑の瞳はまるで宝石のよう。すらっとした身体つきは男女ともに魅了し、セドリックの隣に立つ彼女の肩の高さは彼と同じくらい。


 生まれた国の違いもあるのかもしれないが、ジュリーはかなり背の高い女性だ。


「ジュリーはヴァサルからの留学生だ」


 それはエステルだって理解している。


「知人もいないこの地で、一人勉学に励む者の気持ちが君にはわかるか?」


 わかるかと言われても、心細いだろうという気持ちくらいしか想像できない。答えられずにいると、セドリックはわざとらしく息を吐いて肩を上下させる。


「そんな彼女を無視し、孤立させようとしたのは誰だ?」


 誰だと問われても、誰かがわからない。

 エステルが菫色の瞳を揺らしつつセドリックを見つめれば、ジュリーは切なそうに目尻を下げる。


「エステル様はわたくしが話しかけても答えてくれず、いつも無視されるのです」


 かすれた声は、彼女の妖艶な容姿と相まって魅力を高めるもの。


「私が……無視……?」


 ジュリーに言われても、エステルには心当たりがなかった。


「この学園の女子生徒の中心にいるような君がジュリーを無視したとなれば、他の生徒もそれに同調するだろう」


 セドリックに言われても、エステルはジュリーを無視した記憶などない。


「心当たりはございません」


 濡れ衣など着せられたら耐えられない。エステルはビシッと言い切った。


「そうか……だが、他の生徒たちからも、投書があってね?」


 投書とは、生徒会が学園の問題解決のために設置した投書箱に寄せられた封書のことだ。

 目の前のテーブルにずらっと封書が並べられた。


「これが、君に対する告発の内容だ」


 ざっと数えても、それは二十通近くある。


「一人二人であればまだしも……これだけの生徒が君に対する訴えをしてきた。となれば、生徒会長として動かないわけにはいかないだろう?」

「……中身を確認させてください」


 見せられたのは封を切られた封筒。そこから文字を内側にした二つ折りの書面が、少しだけ顔をのぞかせていた。


「それはできない。これは生徒会に宛てられたものだ。関係のない君に見せるわけにはいかない」


 その言葉は間違いではない。公平性や匿名性を保つためにも、役員でない者に投書の中身を見せたり教えたりすることはできないのだ。そういう決まりになっているし、生徒たちにもそう公表している。


「つまり君は、この由緒あるエルガス学園の風紀を乱しているんだよ? そのような人物が俺の婚約者にふさわしいと思えるか?」


 エステルは「はい」とも「いいえ」とも答えられなかった。


「悪いが、君はこの学園の生徒としてふさわしくない。エステル、君には今日でこの学園を退学してもらう。王都から離れ、自分がしでかしたことを反省しろ」

「ま、待ってください!」


 エステルは必死に訴える。


「退学って……。これから学生魔導具開発展が開かれるんです。私は学園代表で……」

「あぁ」


 呆れたようにセドリックは答える。


「まさか自分が学園代表にふさわしいとでも思っているのか? 君の代わりなんていくらでもいるんだよ」

「えっ……」


 エステルは呼吸を忘れたかのように、放心する。


「……エステル?」


 その瞬間、セドリックの青い目が揺らめいた。しかし、彼の腕を掴んだのはジュリーで、彼女はすがるような視線をセドリックに向ける。


 もう何も見たくない。聞きたくない。


 目頭が熱く、鼻の奥がツンと痛む。

 この場で泣いてはいけない。それがエステルのせめてものプライド。


「わかりました……今まで、ありがとうございました。失礼します」


 エステルは深く頭を下げた。一瞬でも気を抜けば、涙がこぼれてきそうだったが、悔しいから絶対に泣くものかという意地もある。


 頭を上げてはみたが、セドリックに視線を向けずに、生徒会室を後にした。

 教室に戻って、持てるだけの荷物を手にする。


「ごきげんよう、エステル様……?」


 すれ違う学友が挨拶をしても、エステルは片手をあげて返すだけで精一杯。彼女もエステルの様子がおかしいと思ったのか、それ以上、声をかけてくるようなことはなかった。


 その日はどうやって帰ってきたのか覚えていない。ただ自室のベッドに潜り込み泣き続けた。それは両親が心配するほどに。


最後までお読みくださり、ありがとうございます。

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