第二話 綿に刻まれた怨
親しみの象徴だった“ぬいぐるみ”が、今、刃のような笑みを浮かべて立っている──。
数百人が集められた謎の空間で告げられたのは、“復讐”の二文字。
果たして彼らが憎まれた理由とは?
今、命を賭けた理不尽な「愛情たっぷりなゲーム」が幕を開ける。
数百人がひしめき合う広い空間のなか、狼は混乱を必死に押し殺し、深く深呼吸をした。
「……落ち着け……考えろ、俺……」
けれど、状況があまりに非現実的すぎて、思考がまとまらない。
そこに、軽やかな足音が近づいてきた。
「ねぇ、お兄さん」
「……えっ?」
不意にかけられた声に、狼は軽く肩を跳ねさせた。
振り向くと、そこに立っていたのは、自分よりずっと若い──中学生くらいの少年だった。
「えっと……なぁに?」
少年は、まっすぐな瞳で狼を見つめる。
「お兄さんに話があるんだ」
唐突な言葉に、狼は目を瞬かせた。
「ぃ、いや……そんな急に言われても……ってか、みんな困惑してるのに、なんで君はそんな落ち着いてるの?」
すると少年は、少し申し訳なさそうに微笑んだ。
「ごめん、驚かせたよね……僕は風神 十優。お兄さんのこと、知ってるんだ。大事な話が──」
そう続けようとしたそのときだった。
ブゥゥゥン……!
天井近くに設置された巨大なモニターが、突然、ノイズを吐きながら明滅した。
「っ?!」
狼と十優が同時に顔を上げる。
すると画面いっぱいに、ある存在が映し出された。
──それは、喋るぬいぐるみだった。
「じゃじゃーーーーーん!!♫ 人間のみなさぁ〜ん♫」
ぬいぐるみは鮮やかな声でそう言いながら、両手(のような縫いぐるまれた手)を元気よく広げた。
ぱっと見は可愛らしいクマのような姿。けれどその瞳には、どこか作り物とは思えない、底知れぬ知性と狂気のようなものが宿っていた。
ざわっ……と周囲がさらにざわつく。
「な……なんだよ、あれ……」
狼は、背筋に冷たいものが走るのを感じながら、唖然と画面を見上げた。
そのぬいぐるみが口を開く。
「ようこそ、ボクたちの世界へ!これからキミたちは、選ばれた者として特別な僕らのゲームに参加してもらいま〜す♡」
笑顔のまま語るぬいぐるみに、空気が凍った。
狼は、思った。
──これは夢じゃない。
けれど現実とも思えない。
一体……何が始まるというのか。
状況がまるで理解できない狼は、ただ呆然と立ち尽くしていた。
現実感のない空間、謎のぬいぐるみ、頭の中は混乱で埋め尽くされている。
そんな彼の手を、そっと誰かが握った。
「大丈夫です」
その声は静かで、けれどどこか強く、真っ直ぐだった。
「僕が……必ず、なんとかしてみせます。だから……後で話を聞いてほしい」
顔を上げると、そこには風神 十優がいた。
不安そうな瞳の奥に、確かな決意が宿っていた。
「……わ、わかった……」
狼はわずかに戸惑いながらも、目の前の現実を受け入れるしかないと悟った。逃げ道など、どこにもなかった。
そのとき──
「は〜い♫ みんな〜? 静かにしてくれなぁ〜いとぉ、話が進まないからぁ〜、静かにしてねぇ?♡」
モニターの向こうのぬいぐるみが、明るい声色でそう言った。
だが、誰もがその裏に潜む何かに気づいていた。空気が変わる。重たく、冷たいものが部屋を覆う。
──と、そのときだった。
「っ……ぅ……うぇぇぇん……ひっ、ひっ……うええええ……っ……えええん」
小学生くらいの少年が、恐怖に耐えきれず泣き出してしまった。
周囲の大人たちが何とかあやそうと手を伸ばしかけた、その瞬間──
カチッ。
微かな機械音とともに、少年の首が突如として──爆発した。
「──ッッ!?」
一瞬にしてその場が阿鼻叫喚に変わる。
「きゃあああああああああッ!!」
「な、なんだよっっ今のはよぉ!!!!」
「ひっ……ぃぃ……!!」
老人は腰を抜かし、尻もちをついたまま震えていた。誰もが悲鳴を上げ、後ずさり、目の前の惨劇に言葉を失った。
そして、モニターの中のぬいぐるみは──豹変した。
「だぁかぁらぁ……うっせぇんだよ!!!!」
それは、先ほどの陽気さとはまるで別人だった。
声には怒気が混じり、ぬいぐるみとは思えない殺気が電波越しに伝わってくる。
誰もが凍りついた。
「これ以上うるせぇやつがいたら、さっきのガキと同じにしてやっからよ……いいのか?……嫌なら黙ってろ」
その一言で、場は水を打ったように静まり返った。
誰もが言葉を呑んだ。
ただ、目の前で起きた現実が信じられず、けれど信じざるを得なかった。
狼もまた、冷や汗を背中に感じながら、唇をきつく噛み締めた。
──これはただのゲームじゃない。
命を賭けた、本物のゲームが始まったのだ。
ぬいぐるみは愉快そうに体を揺らしながら、高らかに声を上げた。
「じゃあ♡ さぁ〜っそく! 人間のみんなには〜、超能力?異能力?を取得してもらいま〜す♫」
ざわっ……と場が揺れる。
「は?……なに言ってんだ」 「異能力?何それ」 「え!かっこいい!!僕も強くなって能力者に!!✨」
子どもたちが無邪気にはしゃぐ声と、大人たちの困惑や懐疑が交錯する。
狼はその様子を無言で見つめながら、ぽつりと呟いた。
「……そんな……アニメでもないのに、あり得るのかよ」
すると、隣にいた十優が、静かに口を開いた。
「……それが、あるんです」
狼は驚いて目を見開いた。
「……!」
(最初は感情が追いつかなくて混乱してたけど……なんか、一周回って冷静になってきたな)
今の狼の目に映るのは、ただ一人、落ち着きを失わないこの少年──風神 十優。
彼は何かを知っている。そう確信せざるを得なかった。
「今、一番気になるのは……お前だな、十優くん」
十優はふっと柔らかく微笑んだ。
「気になってくれました?ふふ。あとで手短に話しますね……信じてもらえるかは分かりません。でも、僕の覚悟で、狼さんに伝えてみせます」
「……ははっ。まだまだ幼そうなのに……なんか、頼もしいな。……なんか俺、情けねぇな」
そう苦笑する狼に、十優は真っ直ぐな目を向けて言った。
「そんなこと、ありませんよ。……周りのほとんどの人があたふたしてるなか、狼さんは落ち着いて状況を見てる。……僕は、すごいと思います」
狼は思わず頬をゆるめた。
「……ありがとな。十優くん」
その穏やかな空気を、唐突な声が切り裂いた。
「はーい!準備ができたんで〜、お呼びしちゃいましょう〜♡!! 担当の方々〜、お願いしまーす♫」
ぬいぐるみが、再びテンション高く叫ぶ。
その合図に呼応するように、ホールの横の巨大な扉が、重たく開いた。
ガラガラガラ……と、奥から運ばれてきたのは──数十台のワゴン。
そこには、異様な光景が広がっていた。
──無数の注射器。
銀色のトレイに、まるで商品のように整然と並べられている。
その数、数百本。全員分ということだろう。
「じゃじゃーーーん♫ こちらが〜、能力を得るための〜ちゅーしゃだよぉ♡」
ぬいぐるみはそう言って、ウィンクするように片目をぴくりと閉じた。
「ちょ〜っとチクってするけどぉ、能力取得できるなら……余裕だよねぇ?♡」
場の空気が、またひとつ、恐怖へと傾いた。
第二話、読んでいただきありがとうございました。
「ぬいぐるみ=癒し」というイメージが崩れていく中で、
十優と狼がそれぞれどう立ち向かっていくか、これからの軸になります。
読んでくださる方にとって、どこか心の奥がザワつくような物語になっていたら嬉しいです。
感想やご意見も、ぜひ聞かせてください。
次回も、どうかお楽しみに──。