92 : 心の中で揺れる炎
(そんなこと……出過ぎた真似だ)
カルディアはノイに全てを捧げる。ノイから何かを奪うつもりはない。
(けれど、面白くない)
ノイは魔法使いの輝く瞳を真っ直ぐに見つめ返して、己の知識を惜しみなく分け与えている。その度に、魔法使いの頬が紅潮していくのが、ノイにはわからないのだろうか?
「これほどまでの錬磨、並大抵のご苦労ではなかったでしょう」
熱の入ったレプトが、ノイの手を握った。
(は?)
ありえないものを見たカルディアは、目を見開く。手を握られたノイは、すぐに離すように言うかと思いきや、そのまま受け入れている。
(――何故? 早く、止めろと。そう言ってください)
カルディアにはその愚行を止めさせれない。
ノイに無礼な真似をされても、彼女が許す限り、カルディアが諫めることは出来ない。
その権利は、婚約者の座と共に、自らが放棄してしまったからだ。
自分がもう二度と手に入れられないものを、他の男が簡単に与えられている。そしてノイは、それを否定もせずに受け入れている。
(……見ていられない)
彼女がすることに何も文句などないはずなのに、カルディアは彼女の手を直視出来なくなっていた。かといって、ノイに何をされるかわかったものではないので、目を逸らすことも出来ない。
ノイは若く美しい。カルディアの主観では、一国の王女と言っても通じるレベルだ。
透き通る肌に、真珠色の艶やかな髪。ぱっちりとした瞳は丸く、ノイの愛らしさを引き立てた。
そんなノイを、王宮魔法使いが熱中し、頬を赤く染めて見つめている。
胸に冷たい氷を押し込められたような、不快感が広がる。そんなカルディアの視線にようやく気付いたのか、レプトは顔を青ざめさせて、ぱっとノイから手を離した。
しかしカルディアの視線に、ノイは気付かない。
「……ありがとう。魔法使いとも呼べない私に。とても、嬉しいよ」
微笑みながら、ノイが優しい顔をしてそう言った。
誰もがノイの言葉に、憐れみの表情を浮かべる。事実彼女は、魔力ナシだからだ。
しかしカルディアは不可解な顔をした。
「魔法使いとも呼べない? 何を言っているんです」
いくらノイとは言え、その台詞はあまりにも見過ごせない。
「魔力をなくしても尚、諦めずに魔法を紡ぐ。そんな素晴らしい魔法使いを、俺はノイの他に知りませんよ。この国には――いえ、この世界広しと言えども、ノイ以上の魔法使いはいない」
明々白々たる事実をカルディアは言った。
王宮魔法使いも、そしてノイでさえ、ぽかんとしてカルディアを見る。
カルディアは王宮魔法使いでも編み出せなかった魔法を、簡単に編み出した。実質、この国一番の魔法使いであるとも言えた。
そんな彼の言葉は、重い。
王宮魔法使い達はまごつく。
ノイは目を閉じると、右手で左胸の服をぎゅっと掴んだ。
「……ありがとう、カルディア」
音の隅々にまで、慈しみや愛情に似た響きが溢れていた。
カルディアは笑みを浮かべてノイの感謝を受け取る。そして、丁度いいとばかりに腰を曲げて顔を寄せる。
「それよりノイ。そろそろ昼食時ですが」
「そうか! 一度帰ろう!」
ノイがパッと顔を輝かせてカルディアを見上げた。カルディアもにこりと微笑む。
(彼女の時間を、奪ってはいない。食事の提案をしただけだ)
へりくつだろうが何だろうが、関係なかった。カルディアは外套を広げてノイの後ろに腕を伸ばすと、彼女を馬へと導く。
「では、後ほど」
自分の外套の中にノイを隠したカルディアは、振り返りながら王宮魔法使いらにそう言った。
せっかく昼飯にかこつけて屋敷に連れ戻したというのに、ノイは昼からまた出かけたようだった。そのことに多忙なカルディアが気付いたのは、夕食の時だった。昨夜とは明らかに違う皆のノイへの態度で判明した。
「いやあ、とても素晴らしい才能をお持ちのようで! 魔法には疎いのですが、あのプライドの高い王宮魔法使い達が、しきりに褒めておりました!」
グルーノ隊長が明るい笑顔と雑な褒め言葉で、ノイを称える。
彼の反対隣に座る王宮魔法使い代表のヒメリネがため息をついた。
「僕の前でよくもまあ。これだから王国兵に機密は話せないのよね。ぽろっと口を滑らす」
「おっと、申し訳ない!」
「ふんだ。君、僕の好きなチーズ、今度差し入れしなさいよ」
「ええっ! あれ、手に入らないんですって! それに触ったら一週間は匂いが取れないんですよ!」
おじさんとお爺さんの他愛もないやり取りを、カルディアの正面に座るノイはカラカラと笑って見ている。
「ノイ様、お好きなものがあればお譲りしますわ」
「いいんだ。アイドニ。お前は若いんだから。それにその皿、あまり入って無かっただろう? ちゃんと食べなさい」
「まあ、普通に一人前は入ってましてよ。それより、どれがお好きなんですの?」
「ノイ殿、私の皿からも好きなものがあれば持っていくといい」
ノイの隣に、アイドニとエラ副隊長を据えたのも、間違いだったかも知れない。カルディアはワイングラスを傾けながら半眼でねめ付けた。
(あの二人。特にアイドニは、距離が近すぎる……)
女同士だから余計に気がねがないのか、肩が触れ合う程近付いて互いの皿の中を見ている。ノイも遠慮しつつも、食べ物の誘惑には勝てないようで、なんだかんだと二人の分も受け取っていた。
「ノイ、俺のもありますよ」
「いや。流石の私も十分だ。元々の量が十分入っていたからな」
ノイの皿だけ、人の三倍は入れるように言いつけていた。だが、自分が人の三倍も食べる自覚がないノイは、他の人の皿が少ないと思っているのだろう。
「今日一日、動き回って大変だったろう? どれもとても美味しいから、カルディアが食べるといい」
拒まれたものを、無理に渡すことも出来ない。
カルディアは表情にこそ出さなかったものの、渋々頷いた。
(……まあ、いい。夜になれば、時間が作れる)
今日こそは同じベッドで眠るのだから。夜を想像するだけで、カルディアの心は満たされた。
笑うノイの髪がふわりと広がる。真珠色の髪は魔法の光に照らされて、絹のように艶めいていた。
(……あの髪に触れることも、もう)
毎日のように結っていたのが、大昔のようにも感じた。
(弟子の仕事だと言い張れば、また触れられるだろうか)
明日の朝、試してみるのもいいかもしれない。またいつものように自分がカーテンを開けて、ノイを起こす。そんな尊い日常が、もう幾ばくかでやってくる。
そう言い聞かせ、フォークを動かしたカルディアは、数時間後――愕然としていた。







