07:どうか、神様
カルディアの生まれ育った教会が王都にあると知ったノイは、外出前にカルディアの外套に目眩ましの魔法をかけた。
目眩ましの魔法とは、光の反射を利用して周囲の風景に溶け込み、姿を他人から認識されにくくなるカモフラージュの魔法である。強く注意すれば視認出来るが、さっと見渡した程度では見られない。
もし、フェンガローの魔王に対する反応が一般的なものだとしたら、カルディアに魔王が宿っていることを知る人間とかち合うのは危険だと考えたからだ。
(カルディアは聡い子だ)
術の説明をすると、その意図を理解したのか、文句も言わずにしっかりと着込んだ。
いつ訪れても、街は活気に溢れている。
石畳の道路は歩く人々の足音で賑わい、土と石で築かれた建物が路地の壁を作っている。家々の窓と窓には布が渡され、強い日差しを遮りながらも、商店街に優しく光を取り込む。
人が行き交い、足下を犬や鶏が走る。路地の両側には天幕が立ち並び、手作りの装飾品や魔法道具、手織りの布、他国から入ってきたばかりの香辛料が売られていた。人々は多彩な品々に立ち止まり、交渉の声や笑い声が絶え間なく響いている。
ある店の軒先には、美しい羽を持つ魔法の鳥符翼鳥が足に紐を付けられた状態で停まっており、また別の店の前では、客が家から持ってきた光溜の光を補充する魔法使いがいた。
子どもの笑い声が、活気ある風景に更なる温かさを添える。
星詠みの魔法使いが魔王を詠んだことを知らない一般人達は、いつも通りの平穏な日々を過ごしていた。
「見なさい、カルディア。これは魔法のカードだ」
ノイは手提げ袋からカードを取り出す。手のひらサイズの硬い金属の板には、複雑な魔法陣が編み込まれている。
「これを見せるとな。銀行でいっぱい、お金がもらえる」
ノイは国一番の魔法使いとして、王宮で働いていたことがある。十五歳から二十歳までの、五年間だ。その間に、来る依頼を次々とこなし、様々な魔法道具を生みだし、片っ端から特許を申請していった結果――莫大な個人資産を手に入れている。
そう――ノイは二十四歳という若さで、既に隠居生活をしていた。
ノイがにまりと笑うと、カルディアは目を白黒とさせた。そして不安げに、師匠を見上げる。
「ご、強盗を、するんですか?」
不安げだが、その声には覚悟が潜んでいた。ノイが「する」と言えば「ならば」と覚悟を決めそうな弟子に、ノイは慌てる。
「しない! 違う! このカードで銀行員の気を逸らしている内に、盗んでしまおうという話ではない!」
「な、なんだ、よかった」
「買い物をする前に、銀行の使い方を教える。一緒に来なさい」
ノイは約束通りカルディアと手を繋いで、銀行へと向かった。
エスリア王国の富を一挙に引き受ける銀行には、巨額の金が貯蔵されている。そのため、国中の英知を結集した厳重な魔法と、獰猛な魔法生物によって守られている。
「銀行の場所は知っているか?」
「はい。あの――大きな猫がいるって、噂の」
カルディアが「大きな猫」と表したのは、エスリア王国銀行の門番、謎巡と呼ばれる魔法生物だった。
魔法生物にもランクがあり、符翼鳥のような何処にでもいる魔獣から、翔翼獅のように希少で、神々の使者とも呼ばれる聖獣、世界中に同時に一体しか生息しない神獣と呼ばれる神聖な生き物までいる。
謎巡は最高峰の神獣に位置づけられる生き物だ。その昔、エスリア王国の始祖王が謎巡に謎解きで勝ってからずっと、この国に居座っているという。
放っておくと謎巡は、手当たり次第に謎かけをし、答えられなかった人間を食べてしまうため、それならばと銀行の防衛システムに利用しているのだ。
カルディアの手を引き、銀行の立派な門をくぐると、広場に辿り着いた。
そこに、謎巡はいた。薄く水を張った石畳の上に寝そべっている。
謎巡は大きく、猫の顔に、獅子の胴体、鷲の翼、蛇の尾を持つ。
いつも猫のように寝そべっているが、顔だけでノイの身長よりも高さがある。
銀行の門は屋外に作られている。しかし謎巡は銀行が出来て以来一度も、ここから飛び立ってはいないらしい。
謎巡の周りには、立派な柱がぐるりと円状に連なっている。その柱は定期的に修復されていることで有名だった。謎巡が、その立派な牙で甘噛みして遊ぶためだ。
「謎巡、ご機嫌いかがかな。ノイだ」
寝そべっていた謎巡は片目を開けてノイを見た。長い髭がゆらゆらと揺れる。
「カルディア、ここまで来なさい」
ノイは地面のタイルを指さした。ノイの足下は大人三人が入れるほどの範囲だけ、茜色に染められたタイルが敷き詰められている。カルディアは慌てた様子で、ぴょんとタイルに飛び乗った。
広場の回りには、ずらりと衛兵が取り囲んでいる。しかし、この中で交わされる会話は、衛兵達にまで届かない。茜色のタイルには魔法がかけられており、圧縮した空気が中の音を漏らさないようになっている。
「さて、謎巡。金が必要になったんだ。中に通してくれるか?」
ノイがカードを掲げると、謎巡は鼻を寄せてきた。その鼻先にカードを押し当てると、カードに刻まれていた魔法陣がふわりと光る。
「噛みつかないんですか?」
「噛むのは、謎かけに答えられなかった者だけだ。それと、声を落としなさい。神獣は人間の言葉を理解するものが多い」
ノイが小さな声で注意をすると、カルディアは慌てて口を噤んだ。
謎巡はカードからノイの魔力を読み込んでいた。魔力は、声や体臭のように目には見えないものの、人それぞれで異なっていた。同じ魔力を持つ人間は一人としておらず、また、持って生まれた魔力が変わることも無い。
そのため、銀行のカードなど、機密性を重んじる場所に使われることが多かった。
魔力を認証した謎巡は、猫の口を開いて、人間の言葉を発した。
「何もない闇の海――」
ノイは慣れた調子で、謎巡に続く。
「光り落ちるは星降り」
「柔らかな地平線――」
「架かるは七色の橋」
「静かなる安寧――」
「暖炉の前のロッキングチェア」
全ての言葉が終わると、謎巡は楽しく無さそうに鼻を鳴らして立ち上がった。すると、謎巡が寝そべっていた地面の下に、銀行の入り口が現れる。
二人が銀行の入り口を抜け、階段を降り始めると、視界が暗くなった。謎巡がまた入り口の上に寝そべったのだ。
階段は細く長い。一人ずつしか降りられない上に、一直線なため、他の人間が隠れる場所もない。ノイは首からぶら下げていた貝殻に魔法で灯りを付けた。貝殻は淡く発光し、辺りを照らす。
ノイは先を歩き、カルディアに自分の外套の端っこを握らせた。
「あれが謎かけなんですか?」
銀行に来る前に、謎巡の話をしていたため、カルディアは疑問に思ったのだろう。
「いいや。あれは銀行の客だけが使える符丁――合い言葉だな」
謎巡の謎かけによる警備は強力だが、金を預けている身としては、さすがに銀行に入る度に勝負をさせられては叶わない。更に、敗北は死を意味するとあれば、尚更。
そのため謎巡は、押し入ろうとする強盗には謎かけを、カードを提示した顧客には合い言葉を放つ。
もし顧客であっても、謎巡からの合い言葉に間違えた言葉を返せば――謎解きが出来なかったと見なされ、がぶりと丸呑みされてしまう。なので、銀行に金を預けたものは、命がけで合い言葉を覚えていなくてはならない。
「いいか。今の符丁は、覚えなくてはならないが、書き記してはならない。勿論、誰にも言ってはならない」
「わかりました」
合い言葉を書き残すリスクは大きい。カードと合い言葉を同時に悪用されれば、本人以外も引き落としが出来るためだ。どちらの保管も、厳重な注意を必要とする。
「カルディア。さっきの言葉、覚えたか?」
「はい」
即答するカルディアにノイは僅かに目を見張る。
「では、復習だ。何もない闇の海――」
「光り落ちるは星降り」
「柔らかな地平線――」
「架かるは七色の橋」
「静かなる安寧――」
「暖炉の前のロッキングチェア」
本当にさらりと言ってのけたカルディアに、ノイは振り返って満面の笑みを浮かべる。
「すごいな! さすがだぞ、カルディア! なんて優秀なんだ!」
春のような笑みを浮かべたノイは、カルディアの頭を二度ぽんぽんと撫でる。カルディアは目を細め、されるがままになっている。
銀行の防衛システムは当然、謎巡のみではない。その後もいくつかのセキュリティをくぐり抜け、ノイはようやく窓口に辿り着いた。
銀行の受付は地下とは思えないほど明るかった。品のいい調度品で飾られた広間には、ノイの他にも複数の客がいた。客が寛ぐためのソファーには、セキュリティでへとへとになった年配の夫婦が仲良く寄り添っている。
「いらっしゃいませ。ノイ・ガレネー様」
ピカピカに磨かれたマホガニー製のカウンターの向こうで、銀行員が深々と頭を下げる。カルディアと手を繋いだノイは、カウンターにカードを突き出した。
「毎度思うがな。もう二度と来たくない」
「お客様全員が、同じことをおっしゃいます」
ノイが荒々しく差し出したカードを、銀行員は恭しく両手で受け取る。
「とりあえず、このくらい袋に、このくらい入れてきてくれ」
置いてあった紙にペンで数字を書き込むと、銀行員が頭を下げる。
ノイの書いた金額は、エスリア王国の平均的な成人男性三ヶ月分の給料と同じ額だった。
窓口に立っていたノイは、ちらりとカルディアを見た。カルディアは初めて見る銀行に魅了されているようで、あちらやこちらをキョロキョロと見渡している。
カルディアがこちらに注意を払っていないことを確認したノイは、ここに来たもう一つの目的を、小さな声で銀行員に告げた。
「それから――手続きも一つ、頼みたい」
銀行員はそちらに関しては目線一つで頷くと、袋を手にして頭を下げた。
「委細、承知致しました」