78 : 弟子と師匠
目覚めた場所は、真っ暗闇の中だった。
右も左も、上も下もない。奥行きもないのに、狭くもない。そんな不思議な空間で、カルディアは目が覚めた。
しかし、何も無かった空間にぼんやりと立っていたカルディアの前に、光が集まってきた。かつてあの子と見た、晶火虫のようだった。
光はすいすいと泳ぎ、人の形を作っていく。
「……お師様」
そこにいたのは、ノイだった。今日まで一緒に暮らしていたノイではない。カルディアが「お師様」と呼んでいた、大人の姿のノイだ。
彼女を見た瞬間、カルディアは自然と頭を下げていた。
「すみません……。私では、倒せませんでした」
完全な、驕りだった。
自分が怪我にさえ気を付けていれば、魔王が目覚めるのはまだ先だろうと自惚れていた。
それでも、魔力を持たないノイという器を見つけ、確保したことで、いつでも魔王を殺す――自分が死ぬ準備は出来ているつもりだった。
けれど、カルディアは「もう少し」を溜めてしまった。
世界を救うつもりだった。
ノイの仇を討つつもりだった。
(けれど――)
もう少し、生きていたいと、思ってしまった。
命なんてどうでも良かったはずなのに。いつ死んでもいいと思っていたはずなのに。
(ノイと、もう少しだけ……生きたいと)
そんな事を願ってしまったせいで、カルディアは魔王を殺せなかった。
項垂れるカルディアを、光となったノイはただ、微笑んで見つめている。
「百年も無駄に生きて――せっかくまた、会えたのに」
止まらない後悔が口を突く。
「貴方も、また、助けられなくて……」
弱々しい自分の声に吐き気さえ催した時、声が届いた。
「――カルディア! お前は、魔王なんかじゃない!」
ハッとしてカルディアは顔を上げる。
光のノイは変わらず微笑んでいた。
「思い出せ! お前は――魔法使いだ!!」
ノイは笑みをたたえたままだ。口を開くことさえしていない。
だがしっかりと、カルディアの心の奥にまで、その声は差し込んできた。
カルディアはぐっと拳を握った。
(貴方は、ずっと――)
カルディアが幼い頃からノイだけが、そう言ってくれた。
そしてノイだけがずっと、言い続けてくれた。
(そんなあの人を……助け、られない?)
また、助けられない?
本当に、そんな事が許されるのだろうか?
(駄目だ)
そんなこと、受け入れられるはずが無かった。
「……貴方をもう、殺させやしない」
微笑んでいた光のノイは、笑みを深めるとカルディアに手を突き出した。
その手の先には、一本の糸。
「お師様……?」
カルディアがその糸を掴んだ瞬間、ノイを象っていた光が千々に飛び立つ。
「――ア!」
「なんです、これ」
「――ディア!」
「お師さ――」
「――カルディア!!」
カルディアはその瞬間、目が覚めた。
***
「カルディア!!」
ノイは地上から、カルディアを呼び続けていた。
その両手はまるで魔法使いのように広げられ、先程から止まること無く指を動かし続けている。
――いいや、まるでではない。
ノイ・ガレネーは、国一番の魔法使いである。
「目が覚めたんだろう!? 聞こえているな!? 魔王に呑み込まれるな、魔法陣を編め!」
ノイは手を大きく指を動かしながら、魔王の編む魔法に、新たな魔法をぶつけていた。
魔王が海水で竜を生み出せば、ノイが海水で網を産みだして海へ還す。魔王が凄まじい闇の波動を生み出せば、光の布で闇を包む。
空中で空気が衝突し、花火のように火花が散る。大きな魔法同士が何度もぶつかることで生まれた衝撃が、山を揺らし、海を荒ぶらせる。
ノイは魔王が生み出す魔法に同等の大きさの魔法をぶつけることで、魔法を相殺しているのだ。
今のノイには魔力がない。
だが、魔力がないだけで、魔力を撚れないわけではなかった。
――そう。ノイは今、魔王の魔力を操っていた。
「……お師、様」
人の声とは思えない、何重にも重なった不愉快な声が、空から響く。
「そうだ!」
しかしノイは、即答した。
「お前なら出来る! 私は信じてる! お前は、このノイ・ガレネーのたった一人の弟子――魔法使いだ!」
話している側から、カルディアの中の魔王の部分が魔法陣を編み始める。ノイは瞬時に魔法陣を読み解き、新たに対抗する魔法陣を編む。
地面が揺れ続ける大地で両足を開いて立ちながら、ノイは指を空に向けて動かし続ける。
他人の魔力で魔法陣を編むなんて魔法、この世界には存在しなかった。
魔法は発想しなければ、ないも同じ。
そしてここに、新しい魔法が生まれた。







