76 : 弟子と師匠
「オルニス!」
ノイは自分の腕を掴む少年を見て、声を荒らげた。
「邪魔はさせません」
「これを見ろ! あいつは、カルディアは、魔王を道連れにして――自分が死ぬつもりだ!」
そう伝えれば、オルニスなら絶対にカルディアを止めてくれると思っていた。なのに彼は、ノイの腕をきつく掴んだままだ。
「わかっています」
オルニスの強い視線は、地に伏したままのカルディアに注がれている。
「――ですが、僕は。この日のために、先生の側にいたんです」
驚いたノイが唖然として見つめていると、オルニスはくしゃりと顔を歪めた。
「……酷いですよね。僕が来るって、わかってたんですよ。あの人は」
オルニスの指に力がこもる。
「先生は知ってたんだ。僕が――魔王を殺せる瞬間を、ずっと探していたことを」
彼の声も体も、震えている。オルニスの言葉が嘘では無いことを、その震えが物語っていた。
「先生が生きたまま魔王が羽化したら――魔王は、先生の知識を持っている可能性がある。そんな魔王が生まれては、この世の終わりだ」
百年生きた偉大なる天涯の魔法使い――その技術と知識は本物だ。
「けれど、先生が死んだ後に羽化する、無垢な魔王ならまだ――我々魔法使いにも、勝てる余地はある」
ノイは息を呑む。
百年前、ノイが退治した魔王は、魔法の知識をほとんど持っていない様子だった。生まれたばかりだからと思っていたが、あれはカルディアの知識量が影響していたのかもしれない。
もし魔王の力が器の強さに比例するのなら――カルディアが幼かった頃でさえ、ノイが命を賭しても浄化出来なかった。それが、天涯の魔法使いと呼ばれるほどの魔法使いになったカルディアであれば、復活する魔王は到底、人間の手に負えるものではない。
「だからもし、魔王が生まれそうになったら――隣で見張っている僕が、先生を殺すことになっていたんです」
オルニスの爪がノイの手首に食い込む。彼の額から滴る血が、まるで涙のようにオルニスの頬を流れた。
「先生の魔力が零になった瞬間に、必ず僕が殺します」
オルニスを見ていたノイは、ハッとした。
いつの間にか、カルディアの編んでいた魔法陣が完成していたのだ。
魔法陣が光り始める。
「やめろ、カルディア――!」
魔法を完成させるために、オルニスがノイの手を離す。
――そして、魔法は発動するはずだった。
しかし、その前に限界が来たのは、カルディアの方だった。
カルディアに駆け寄ったノイは、もう力も入らない彼の熱い体を抱き起こして驚愕した。彼の目の下――二連のほくろの位置まで、黒い蛹のような殻が、皮膚を覆っていた。
「――オルニス、最後の頼みだ」
掠れ掠れの声が紡ぐ唇は、すでにノイの知るカルディアのものではなかった。
「ノイを、逃がせ」
虚ろな目は、もう何も見えていないに違いない。カルディアは、それでもノイの声がする方を向いた。
光を失った瞳から、一筋の涙が零れる。
「――あぁ……貴方にだけは、見られたく無かった」
その瞬間、カルディアの体を黒い瘴気が覆った。