54 : 春よ来い
不作法だったとすぐに手を下ろしたノイだったが、カルディアと言えば、注意するどころか、正解に辿り着いた賢いノイの頭を撫でている始末である。
「そう。よく出来ました」
(この人――お見合い爺じゃないか!)
とんでもない不名誉なあだ名で国王を呼んでいたことに気付いたが、ノイには訂正するだけの余裕は無かった。
(この男、国王直々に見合いをしろと言われ、こんな子どもで言い逃れていたのか……!?)
肝が太いにも程がある。一体何処でそんなことを習ってきたのか。
ノイはへらりと笑った。弟子のしでかした不始末に気付いていない振りをする、師匠のごとく。
「……まさか本当に連れて来おったとは」
頭が痛い、とでも言う風に、国王――パンセリノスは指輪がずらりとはめられた手で顔を覆った。
「連れて来れば認めるとおっしゃってましたからね」
「連れて来なければ認めん、と言っただけだ」
カルディアは人前だからか、最低限の敬語は使っているようだ。ほっとすればいいのか、非常識な弟子に胃をきりきりさせればいいのかわからず、へらへらと笑うノイの耳元で、カルディアが囁く。
「花嫁さん聞いた? このお爺さん、往生際悪すぎない?」
「こ、こら! しぃ! しい!」
王侯貴族が一堂に会する王宮の大広間で、一体何を言っているんだとノイは体をびくりと震わせた。
しかしカルディアの目的はノイを驚かせることだったらしく、満足そうに、そして楽しそうに、彼女の反応に笑っている。
「……それで、紹介はしてくれんのか」
「おや。認める気になったんですか?」
「……そんな顔を見せられてはな」
ため息をついた国王が、ノイに目を向ける。
ノイはびくりとしたものの、パンセリノスの目元を見て、小さく息を呑んだ。
(……フェンガローに、似ている)
目尻の形がフェンガローに似ていた。それだけで、なんだか親近感が湧いてくる。
ノイはぴょんとカルディアの腕から飛び降りた。カルディアはノイの頭を二度ゆっくりと撫で、パンセリノスに向き直る。
「私の可愛い人、ノイです」
「ノイと申します。偉大なる太陽、染まらぬ地平線。お目にかかれて光栄です」
ノイは迷った末、淑女の礼をとった。
フェンガローの血を引く国王であれば、魔法使いだろう。魔法使いなら、ノイの魔力がゼロなことは、一目見ればわかるはずだ。
そんな魔力しか持たないノイが、魔法使いの礼を取るのは不敬と取られかねなかった。
「――話には聞いておったが、よもや本当だったとは」
それが、年若いノイをパートナーとして舞踏会に連れてきたことなのか、ノイの魔力についてのことなのかは、ノイにはわからなかった。
「ヒュエトス、奥に部屋を用意してある」
貴族の多くは称号で呼び合う。カルディアも例に漏れず、王宮ではヒュエトスと呼ばれるようだ。
宴が始まったばかりで、主賓が退室など基本的にはあり得ないことだ。しかし、先ほどの大がかりな「仲直り」の後で、文句を言う招待客もいないのだろう。国王は大胆にも、カルディアを密談に誘った。
「お説教かな。年寄りの話は長いからね。君は退屈だろう。好きなものを、好きなだけ食べておいで。大丈夫。怖い人は来ないよう、強い人達がしっかりと見張ってるから」
カルディアは珍しく、ノイを強く子ども扱いした。
(……連れて行きたくない、と言うことだろうな)
ノイは空気を読み、にぱっと笑う。
「わかった。あまり遅いと、出ている食事全てを食べ尽くしてしまうからな」
「怖いことを言う」
パンセリノスが皺を寄せて笑ったが、カルディアは笑みを固まらせた。
「いけないよ。この小さくて可愛いお腹が破裂してしまうからね。沢山食べる君は可愛いが、さすがにここの料理全ては、いけない」
舞踏会会場には、王宮屈指の料理人達が丹精込めて作り上げた料理が、ずらりと並んでいる。
招待客のほとんどは、飲み物は口にしても、食事を手に取ることはない。あれはただの「飾り」と同じなのだ。
「……ヒュエトス、子どもの冗談に何を言っておる」
「冗談にならないから注意してるんでしょう」
カルディアが国王に言う。面倒臭そうな表情は取り繕えていなかったが、敬語は忘れていなかったため、ノイは偉いなと師匠馬鹿を発揮した。
「わかった。食べても半分にしておく」
「……――すぐに帰るから」
カルディアはものすごく青い顔をしてそう決意すると、国王と共に奥の控え室へと移っていった。
二人が奥へ行ったのを見送ると、ノイはくるりと振り返った。
他の招待客に注目されていることはわかっていたが、ノイから挨拶をするつもりは無かった。どうせ彼らとの付き合いは、カルディアとの(仮)がついた婚約が終わるまでのものである。
それよりも、料理である。
ノイは軽やかなステップで食事の前まで辿り着くと、給仕係のボーイに皿を持たせ、あれもこれもと皿に載せてもらった。
ボーイは貴族の娘の我が儘を心得ているようで、言われたままに盛っていく。
言うまでもないことだが、皿に載った料理をノイが全て食べきれなくても、彼には関係がないことだ。
しかしノイは、これをぺろりと平らげた。
目を丸くするボーイにまた皿を取らせて、新しい料理を盛らせる。それを二度繰り返した頃には、ボーイとの連帯感も生まれていた。ボーイはノイが指さした料理を綺麗に、更に沢山皿に入るように盛り付けるプロと化していた。
三皿目、四皿目と食べ終えたノイは、先ほどとは違う注目を集めていることに気付いた。何故か周りがどよどよとしている。そしてボーイは「お嬢様! 次は如何いたしましょうか!」と命令を待つ犬のような顔をして、ノイと視線を合わせている。
「おやおや。ヒュエトス家では、摂生を美徳としているのかな?」
「子どもは食べ過ぎる位で丁度良い」
「あそこは辺境だからな。王都の食事はさぞ美味かろうて」
犬を従え、フォークを咥えたノイのもとに、数人の男性が近寄ってきた。
ノイはもぐもぐもぐと口の中のものを噛みつつ、男達を見上げる。注目の的であるカルディアの連れに最初に声をかけてきたところを見ると、彼らは貴族の中でも一目置かれている立場の人間なのだろう。年は四十から五十というところだ。
「心細かろう。側にいてあげよう。そなたの兄君は、女性達の相手で忙しいようだからな」
男達の視線を追うと、男が兄君と言った男――カルディアがホールに戻ってきていた。どうやらノイとカルディアは兄妹に見られているようだ。
しかし、カルディアがここまで来るには時間を要しそうだった。彼の周りにはびっしりと若い女性と、その女性を売り込もうとする貴婦人が群がっている。
視線を動かすと、ノイの目に会場の柱が飛び込んできた。大理石の柱はよく磨き上げられており、まるで鏡のようにノイの姿を映し出す。
そこには、子どもは立ち入るべきではない社交の場にのこのことついてきた、十五才の無垢な子どもがいた。
綺麗なドレスを着せられて、可愛く髪を編み込まれた少女は、正しく「妹」と呼ばれるに相応しい。
「……退いてください」
「そう言うわけにはいかない。子どもを一人、こんな場所に放っておこうのは紳士に反する」
「カルディアの元へ行きたいんです」
「今は難しかろう。兄君が戻られるまで、大人しく待っておれるな?」
話しても無駄だと悟ったノイは、皿を置いて男達の隙間をすり抜けようとしたが、大きな体に阻まれる。
「大丈夫だ。怖い者が近付いてきたら、我らが助けてやろう」
ノイは諦めてテーブルの上を見た。この男達の顔を見ているよりも、よほど料理を見ている方が楽しい。
彼女の諦めを悟ったのか、男達は満足そうに頭上で話し始める。
「全く、場もわきまえずに子どもを連れてきたかと思えば、今度は面倒も見ずに。田舎者はマナーを知らんから困る」
「これまで社会に貢献さえしてこなかった若造に期待するのが酷というもの。我々が大目に見ていてやらねば」
「あの様子では今夜、兄君は帰って来んやもなあ」
「何、屋敷に子が増えれば、舞踏会についてくるほど暇にもなるまい」
「止めんか。このくらいの年にもなれば、我々の会話を理解する者も出てくる」
「おお、すまんかったな。どれ、私も皿に盛ってやろう」
(百年前から、王宮は変わらんな……)
人が集まれば、悪意も集まる。貴族同士は狭い箱の中で結びつきが強いため、その傾向がより強くなる。
辟易して聞いていたノイは、男の一人に料理が盛られた皿を渡されたが、一口も手をつける気にならなかった。
「ふん、愛想のない子だな」
うんともすんとも言わなくなったノイを見て、男がため息をつく。
(うるさいおっさん達だ。会話にサービスを求めるなら、そっちこそ愛人でも連れて来ておけ)
彼らが、社交の場に復帰したばかりのヒュエトス魔法伯爵の連れであるノイと、他の貴族を結びつかせないために、周りを牽制しているのは丸わかりだった。おかげで、他の貴族には遠巻きに見られる上に、先ほどまでいた忠犬までいなくなっている。
(つまらないな)
大いにつまらなかった。
人に阻まれたくらいで簡単に動けなくなる身分も、全く感じられない魔力も、兄妹に見られる相貌も。全てがつまらなく思えた。
「どうした? うん? 流石に食べ過ぎたか?」
料理を盛った皿をテーブルに置いて黙り込むノイの頭を、男の一人が撫でる。
大きな太い指が頭を撫でる感触が気持ち悪くて、ノイは反射的に手を跳ね退けようとした。
「――失礼。我が妻に対する礼儀は守っていただこうか」
その時、後ろから声がした。