53 : 春よ来い
カルディアが二階へ上り終えると、国王はその場にいる全員に聞こえるよう、大きな声で言った。
「ヒュエトス魔法伯爵。そなたはその類い希なる魔法の功績により、我が国初めての魔法伯爵として、爵位を授与された。天涯の魔法使いと呼ばれるその魔法は天を越え、遠くヒュエトスの地には今も尚、大きな島が空に浮き続けている」
会場がどよめきに包まれる。ヒュエトスは辺鄙な田舎の島だ。よほどの用がない限り、訪れる貴族はいない。彼らは皆、島が浮いているなんていうとんでもない話を、信じていなかったに違いない。
「島を浮かせたのは八十年も昔だが、今もって浮き続けているのは、そなたの比類無き魔法に他ならない。――さすれば、天涯の魔法使いヒュエトス魔法伯爵よ。そなたの唯一無二の魔法をもって、この場に冬を呼んでみよ」
今は、夏真っ盛りだ。
どう考えても、冬とはほど遠い。
「仰せのままに」
偽ヒュエトス魔法伯爵はにやりと笑って、魔法陣を編み始めた。周りの人々は、どよめきながらも楽しげに見守っている。彼らにとっては、どちらが本物であっても構わない。ただの余興に過ぎなかった。
魔法陣を編み終えた偽ヒュエトス魔法伯爵は、その場に氷を生み出した。その氷は子どもの頭分ほどの大きさだ。
「なんと、氷を生み出したぞ」
「しかもかなりの大きさだ」
「見て、綺麗な透明だわ」
さざめく周りに、偽ヒュエトス魔法伯爵は鼻高々だ。
しかし、感心する周りと、胸を張る偽ヒュエトス魔法伯爵に、国王は冷めた目を向けた。
「……これが、冬と?」
「ええ、勿論です」
「ただの氷ではないか」
国王の言葉に、ぷっと噴き出す者がいた。
くすくす、と笑い声が広がっていくと、恥を掻かされた偽ヒュエトス魔法伯爵は大きな声で堂々と言った。
「……では、雪でも降らせろと? そんなこと、人間には無理に決まっている!」
雪を降らすには、複雑な魔法陣が必要となる。
空気中の水分を集める、もしくは、水を生み出すところから始まる魔法陣は、どちらの過程を辿っても、数段階の手順と、複数の魔法を絶妙な加減で編み込まねばならない。
それも、一粒では許されないだろう。大規模でいて、非常に難解な魔法と言えた。
「王は、我が祖父と不仲だったからと、無理難題を押し付けている!」
偽ヒュエトス魔法伯爵に、貴族達の視線が集まる。
しかし、国王は一瞥もしなかった。
「天涯の魔法使い、ヒュエトスよ」
「見えるかい? うちの花嫁さん。あんなに薄着なんだ」
「ヒュエトスよ!」
国王が大きな声で称号を呼ぶ。カルディアは、大きなため息をついた。
「はいはい、やりますよ。花嫁さんに良いところ見せてって、可愛くお願いもされたしね」
心底面倒臭そうなカルディアは、両手を突き出した。そして、細く頑丈な魔力の糸を撚り始める。
それだけでこの場にいる魔法使いは、彼を魔法伯爵だと認めただろう。それほどに彼の技術は卓越していた。
ものの数秒で、舞踏会場を覆うほどの大きな魔法陣が生み出された。国王が冷や汗を垂らす。
「ヒュエッ――ッブ!」
国王の顔に、雪が吹雪く。
この会場中が、吹雪に見舞われた。
雪を降らす、どころではない。貴族達が悲鳴を上げるほどの猛吹雪が吹き荒れた。
「カルディア――!」
やりすぎだ! とノイが叫ぼうとしたその瞬間に、雪が止んだ。雪はその場で溶け、強く吹いた風に舞い、キラキラと光って飛んで行く。
人々がぽかんと空中を見つめていると、ぽんっ、と音を立てて、突如現れた蕾が開いた。
「えっ?」
ポンッ、ポンポンポンッ、と、会場の至る場所に花が咲いていく。それはシャンデリアから、テーブルの上まで、果ては国王の髭の中にも花が咲き乱れた。
――ピーッチチチチチ……
更には、夜だと言うのに舞踏会場に鳥が迷い込んでくる。その鳥はよく見れば、卓上に置かれていたナプキンで作られていた。ノイの頭にくるくると落ちてきた花も、紙で折られた折り紙だった。
軽やかな歌声を奏でながら、舞踏会場を自由に飛び回る鳥を見た客の一人が、ぽつりと呟く。
「……春だ……」
ノイはハッとした。
雪が降った後に、春一番が吹いて、花が咲き、鳥が歌う。
カルディアは、春を呼んで、冬を完成させたのだ。
「このくらいで、よろしいでしょうか?」
慇懃に尋ねたカルディアに、国王は自らの髭から花を摘みつつ、了承の音を乗せた大きなため息をついた。
人々が呆然としている隙を突き、カルディアがひょいひょいと二階から、長い足で降りてくる。
そして、一人空をぽけっと見上げて立っていたノイを、いつも通り抱き上げた。
「全く……お前ときたら」
「どう? 格好良くって、見直しちゃった?」
「いいや。惚れ直してたところだ」
首を横に振ってノイがそう言うと、カルディアがぴしりと固まった。
「すごい魔法だ……お見逸れした。とても綺麗だ」
しかし硬直したカルディアには気付かずに、ノイは空から降ってくる花にほうと息をつく。
カルディアはうなじに手をあて、はぁとため息を吐くと、小さく首を横に振った。
「こんなものは、賞賛に値しない」
カルディアは舞う花に喜び、笑い合う人々を冷めた目で見た。
「この世に生きる人間は、誰もが不幸だ。本当に美しい魔法というものを、見たことがないのだから」
誰もが春に浮かれているというのに、会場の中心にいるカルディアだけが、冬の中に取り残されているような、心許ない声を出す。
「傍にあるだけで、涙が溢れるような、優しくて、あたたかく、何よりも綺麗な魔法を――」
ノイは百年後に渡ってきて、綺麗な魔法を沢山見た。
大地と空を水で繋ぐ魔法に、夜の星と泳ぐ魔法。空を渡る晶火虫はため息が出るほどに美しかったし、山も笑いそうな春を呼んだ魔法もそれは見事な美しさだった。
それは全て、カルディアによって生み出された魔法だった。
「お前は見たことがあるのか?」
これを越える魔法を。そう尋ねるノイに、カルディアは僅かに目を伏せ、微笑む。
「そうだね」
カルディアの浮かべる優しい笑みは、けれどとても、淋しげにノイの目には映った。
「それだけが、俺が未だ意地汚くも、ここに立っている理由だから」
すぐ側にいるのに、何故かものすごく遠くに感じて、ノイはカルディアの服をぎゅっと掴んだ。
「――ヒュエトス!」
その時、二階からカルディアを呼ぶ声がした。ノイとカルディアは、同時に上を仰ぎ見る。
すると、大勢の貴族に囲まれて、カルディアを捜している国王がいた。ノイは「あっ!」と小さく声をあげる。
「カルディア! お前、国王と知り合いなら、そうだと言ってくれればよかったのに!」
ノイはあれほど心配していたというのに、蓋を開けてみれば、あまりにも呆気なく偽ヒュエトス魔法伯爵はしょっ引かれていった。
「あれ? 覚えてない?」
注目が集まる中、ノイを抱き上げたカルディアは颯爽と階段を上っていく。人々が空けた道を進んだカルディアが、国王の前に立つ。
「君は一度、会ったことがあるよ」
耳元でこっそりと囁かれた言葉に、ノイは首を傾げた。
そして、じいぃっと目の前に立つエスリア王国の王を見つめる。
「――あっ!」
ノイは小さな手で口を覆い、もう一つの手で国王を指さした。