51 : 春よ来い
「本当に来るのかしら。あの――つまはじき者、ヒュエトスは」
「あら、ご存知ないの? 今、王都で大問題になっているのよ。なんでも、手のつけられない荒くれだとか」
「田舎者は都会の礼儀も知らないのね」
「どんな顔をして出て来たのかと思えば、醜聞ばかりばらまいて……一生、空に引きこもっていればよかったでしょうに」
「その噂も、本当なの? 島を空に浮かせているなんて。あまりにも非現実的だわ」
「私の夫の従兄が、ヒュエトスの隣の領地に行った際、空に浮かぶ物体を見たそうよ」
「大きな鳥だったのでは無くて?」
「あらっ、ふふ。そうかも」
夜の帳が降りる頃――華やかな王宮の舞踏会場内には、早くも人々のざわめきが広がっていた。
国屈指の魔法使いらの手によって、魔法で彩られた会場は、美しさと優雅さを誇った。高い天井から吊されたシャンデリアには魔法の光が宿り、雫型のガラス一つ一つが自ら輝き、周囲を照らしている。その天井から吊された白い布が明かりを優しく受け止め、金色の光を辺りに反射させていた。
顔が映り込むほど磨かれた大理石には、国内外から取り寄せた豪奢な絨毯が敷かれている。
壁や柱には目を疑うほど精巧な装飾が施され、テラスへ繋がる窓は、驚くほど大きな一枚ガラスが使われていた。その窓を多う布は最高級のベルベット生地で、魔法が無くともその光沢で美しい艶を放つ。
エスリア王国の社交場は、男女ともに十八歳以下の子どもの入場は許されていない。大人達は酒を飲み、噂話に花を咲かせる。
女性の多くは鮮やかな色のドレスを身に纏っている。色とりどりのドレスのおかげで、会場全体が花畑のような華やかさだ。
古くから、エスリア王国の衣服は男女問わずゆったりとした服をストンと流し、帯で留めるかたちを主流としている。ドレスも例外では無く、伝統的な価値と美しさを兼ね備えていた。
人々の笑い声を彩るように、舞台上の音楽家達が音を奏でる。
笑顔と愉快な会話が交錯する会場に、一組の男女が現れた。
入り口から現れた男女は、一気に会場中の注目を集める。
「まあ……美しい」
「どなた? あのお方は」
「知っている顔かね?」
「いいや、初めて見るな」
先に会場に集まっていたエスリア王国の貴族達が、隣の者と顔を寄せて話す。誰かの知り合いかと、誰もが尋ねるが、自分の知り合いだと名乗り出る者はいなかった。
その男女は、年の差のある二人だった。兄妹と言うには年が離れすぎていて、親子と言うには近すぎる。男は悠々とした面持ちで、少女を片腕に抱えている。
男は、伝統的なエスリア王国の礼装でも、より古典的なデザインの衣装を身に纏っていた。
エスリア王国の男性の礼服は、黒と定められている。
その中でも、男の羽織る外套は、卓越された職人の技術で丁寧に染められた漆黒だった。それほど贅沢に染めた黒い布に、惜しげも無く金色の糸でエスリア王国の古典柄が刺されている。
更に金色の帯には、日が昇る国と称されるエスリア王国を象徴する、陽光の模様が同色の糸で刺されていた。
まるで太陽が昇る国の輝きを表しているかのような細やかな刺繍は、王族への深い尊敬と称賛を感じさせる、絶妙な塩梅だった。
さらりとした絹の上衣には、三日月型の大ぶりのペンダントがかけられている。
黒檀のように艶のある髪は一つにまとめられ、男性の瞳と同じ赤色のリボンが巻かれていた。
男が抱える少女は、明るい色のドレスを身に纏っていた。伝統的なゆったりとした白い上衣の上に、少女の瞳と同じペパーミント色のガウンを沿わせている。
装飾用の垂れ袖が、白い上衣とのコントラストを作り出す。
腕のギャザーの上に結ばれたシルクのリボンは、男性の髪を纏める物と同じ赤色だ。
胸のすぐ下にあるウエストラインには、男性と同じ金色の帯を締めている。
少女の白い髪は、熟練の魔法使いが生み出す魔法陣のように繊細に編み込まれ、飾り一つなくとも、十分な華やかさだった。
伝統的な形を守り、少女らしく肌の露出を抑えたシルエットで、甘すぎないデザインに仕上がっていた。それに何よりも、彼女の羽織るドレスは少女にとても似合っていた。
だが、少女のドレスにおいて特出した点は、色合いやシルエットではない。
男に抱えられた少女の背中のガウンは、マントのようにすらりと肩から広がっていた。男性が歩を進める度に揺れるガウンの中では――なんと、星が輝いていたのだ。
チカチカと瞬きを繰り返す小さな光は星のように煌めき、流星のように落ちる。だが言うまでもなく、本当の星が布に閉じ込められているのではない。
糸に織り込まれた魔力が、そう見せているのだ。
その発想に加え、技術面でも素晴らしいドレスだった。布を織る段階から、デザインと魔法陣を同時に考えねば到底生み出せるものではない。少女の布が揺れる度に流れる星は、会場にいた老若男女を夢中にさせた。
人々の羨望の眼差しが注がれる中、渦中にいる男女――カルディアとノイは、暢気に会場に設置された料理に目を向けていた。
「カルディア! 凄いぞ! あんなにでかい鳥の丸焼きがある!」
「挨拶を終えたらいつでも、いくらでも食べていいから。口の周りベッタベタにして、皆の前に出るのは嫌でしょ?」
「わかった。それまでぐらいなら多分きっとおそらくとても頑張れば、我慢出来る」
ノイがお腹に手を当ててそう言うと、カルディアは目を細めて彼女の頭をそっと撫でた。今日のノイも例に漏れず、カルディアの手によって綺麗に髪を結われている。
にこにこと互いに見つめ合っていると、ふと音楽が止んだ。そして、壇上の楽団によって、重厚感のある落ち着いた曲が奏でられ始める。
会場の二階にある扉から、三人の人間がゆっくりとした足取りで現れた。一階を見下ろすように作られた半円型に突き出した場所で、三人は足を止める。真ん中の年嵩の男性を挟むように、同じ年頃の女性と、息子らしき男性が付き添っている。
(……今の、エスリア王国の王か)
ということは、王位継承が順調に行っていれば、フェンガローの孫か曾孫である。年齢的には、孫だろう。ノイはそっと微笑んだ。
「我が親愛なる臣下達――よくぞ参った!」
男性の、低く、しかしよく通る声が広い舞踏会会場の全てに響き渡った。誰もが腰を落とし、頭を下げる。
「即位から五十年という長きにわたる歳月を祝う今宵、特別なひとときを共に過ごせることを心より嬉しく思う」
ノイはカルディアの負担にならないよう、彼の腕からそっと降りる。
すると、カルディアがノイを見て口の端を釣り上げた。そして指を立て、魔力の糸をくるくると回す。ノイが退屈していると思ったのだろう。優しい子供だましに、ノイはくすくすと笑った。
「エスリアはこの半世紀、時に試練に立ち向かい、繁栄と安寧を築いてきた。それは偏に、ここに集うそなた達の献身的な奉仕の賜物である」
偉い人の演説とは、長いものである。それは百年経っても変わらないらしい。
「――我らは一つのエスリアという国である。皆と共にある素晴らしい夜に、感謝する。さあ、今宵は豊かな食事と飲み物で我が国の幸福と健康を祝し、大いに楽しんでくれ!」
カルディアが撚る魔力で出来たうさぎを突きながら、今日の食事にうさぎの丸焼きがありますようにとノイが祈っていた頃、ようやく国王の挨拶が終わった。
人々は手のひらを持ち上げ、両手の指と指を交差させる。ノイもすかさず、同じ礼をとった。
「さて! いただ――!」
「最後に!!」
「きます……」
満面の笑みで食事へ向かおうとしたノイを、力強い国王の声が止めた。ノイはこう見えて、大人である。偉い人が話している時に、チキンの焦げ目を眺めに行ってはいけないと、残念ながら教わっていた。
「この喜び多き日に、余は誇りと共に、ここに友好の復活を宣言する!」
国王の声は伸びやかで、ノイは自然と耳を傾けていた。
「八十年に亘る静かな冬の間も、我らの心は共にあった。彼との再会は、我らにとって大きな意味を持つ。かつての友情を取り戻し、再び一つとなろう。我らは過去の過ちを許し、新たな友情を築き上げる勇気を持つのだから――天涯の魔法使い、ヒュエトス魔法伯爵!」
偉い人の演説が素晴らしいと思ったのは、ノイの人生において初めてだった。ノイは小さな両手で、パチパチパチと拍手をした。ノイの拍手に笑みを浮かべ、国王のもとへ行こうとしたカルディアは、聞こえてきた声に足を止める。
「このヒュエトス、寛大なお心に感謝致します! 偉大なる王よ」
海賊のように豪快な声で返事をしたのは、カルディアでは無かった。