43 : 思い出のひとひら
無事にツェーラからアイドニの帯同許可を得たカルディアは「じゃあ、行こうか」と暢気に言った。
「もう行くのか?」
「そうだね。急いだ方がいいかなと思って。何しろ、王宮へ行くのは、一週間後だし」
「へ?」
ノイは素っ頓狂な声をあげた。しかし、驚いたのはノイだけでは無かった。
「い、一週間後ですって!?」
「なんとかねじ込んで最速で取りかかっていただいても、間に合うかどうか……?!」
「何故こんなギリギリに動き出されたんです!?」
唖然とするオルニスとアイドニに、カルディアはぱちくりと瞬きをした。
「俺のは、昔クソ爺が無理矢理持たせたのがあるから、それでいいし。彼女のは子どもの服だから、借りればそれでいいかなって」
子どもはすぐに背が伸びる。そのため、子どものためにわざわざドレスを仕立てるのは、よほどの金持ちくらいなものだ。それも、女主人が主導となって取り仕切る。カルディアはその辺りの感覚がないまま、魔法伯爵として過ごしてきたのだろう。
「カルディア様。それはいけませんわ」
アイドニが神妙な面持ちで首を横に振る。
「ドレスは、女性にとっては戦闘服も同じ。ただ一人とお決めになった女性なら、これでもかと言うほど豪奢に着飾らせるべきですわ」
カルディアが子ども扱いしたノイを、アイドニが女性扱いする。
カルディアは虚を突かれたような顔をした後、至極申し訳なさそうにノイを見た。
「すまなかったね。俺の認識が甘かったみたいだ。許してくれる? 俺のタンポポ。俺の花嫁」
ノイはふっと息を吐いて笑う。
「仕方がないな。私は寛大だか――」
「そうと決まれば、さっさと王都ですわ!」
「――らな」
ノイの許しは、アイドニの歓声にかき消される。
「急いで用意して参りますから、十分、いえ、五分だけお待ちになって!」
そう言って走り出したアイドニは、裾が翻っても気にならない様子で、全速力で自分の部屋へと向かった。
「……あいつ、自分が行きたいだけじゃねえの」
オルニスの呟きを否定出来る者は、残念ながらこの場には誰もいなかった。
――と言うわけで、王都である。
ククヴァイアのつむぎの郷で用意してもらった馬車に乗って、三時間。
ノイは馬車に揺られながら、懐かしい気持ちで窓の向こうを見ていた。
(まだ、数ヶ月しか離れていないのに……懐かしく感じるものだな)
百年前、ノイは王都近くの山に住んでいた。街道も町並みも、百年も経てば様変わりしている。
しかし、流石に山は百年ごときでは何も変わらないはずだ。そう確信して自分の住んでいた山のある方角を見たノイは、絶句した。
山の上半分が、無くなっているのである。
唖然として声も出ないノイに気付いたカルディアが、隣に座るノイを覗き込む。
「どうした? 花嫁さん」
「あ、あ、ああそこ」
ノイが声を震わせながら、自分が住んでいた山を指さすと、カルディアは何でもない風に「ああ」と言った。
「山がへこんでるね」
何でもない風にさらりというカルディアに、ノイは絶句した。
「物知りな君も、あの山を見るのは初めてと見える。あそこはね、百年前から日の出山って呼ばれているんだよ。日が昇ると、あのえぐれた部分に、すっぽり太陽が入るんだ」
「ひゃ、百年前から……?」
「そう。百年前、偉大なる初ノ陽の魔法使いノイ・ガレネーが魔王を浄化した、その地だよ」
目の前に見える山よりもずっと遠くを眺めるような顔をして、カルディアが静かに言葉を紡ぐ。
釣られてノイも、神妙な顔で山を見た。
(……あれを見れば、諦めもつくだろうな)
自然とそう思える光景だった。
当時、あの場にいたカルディアは、より深く理解しただろう。
ノイ・ガレネーの死を。
(あそこから生き延びて、百年後に子どもの姿でやってきた……だなんて、考えつきもしないだろうな)
不可能を可能にするのが魔法だが、魔法には一つ欠点もあった。
――魔法は、行使する人間が思い浮かんだものしか、作り出せないのだ。
考えつきもしないものは、この世に生まれもしない。意図を持って生み出される魔法陣は、意図もないのに勝手に編まれたりはしない。
魔法とはそういうものだった。
(……私は本当に、どうやってここに来たんだろうな)
ノイが物思いに耽ろうとしたその瞬間、前の席で大きな歓声が上がった。
「仕立て屋エン・ディマですわ!」
アイドニの空色の瞳がこれまでにないほど輝いている。頬が桃色に染まり、自然と笑みがこぼれている。アイドニがどれほど喜んでいるのか、その表情が全て物語っていた。
「カルディア様、馬車を止めてくださいまし! あちらへ向かいましてよ」
アイドニの声を受け、カルディアは御者のいる壁を叩いた。ノックを聞いた御者は手綱を引き、馬を道の隅に停める。
まるで足に羽が生えたような足取りで、アイドニは馬車から飛び降りた。一番に降りて、手を貸そうとしていたのだろうオルニスが、げんなりとした顔を浮かべる。
(アイドニは、服のこととなると、こんなにはしゃぐんだな)
自分の意見はしっかりと言うが、どちらかと言えば淑やかなアイドニが、あんなにはしゃいでいる姿を見てノイも自然と笑みを零していた。見た目は年下でも、実際のノイはアイドニよりもうんと年上である。若い子が喜ぶ姿を見るのは、単純に嬉しい。
先に降りたカルディアに抱えられ、ノイも馬車から降りる。
ぐるりと見た町並みに、ノイはほうと息を吐き出した。
(……知らない街だ)
人の行き交う街並みは賑やかで、鮮やかな景色が広がっていた。
織物屋では職人の手によって織り上げられた布地が吊され、食堂からは人を誘ういい香りが漂い、通りすがりの人々を次から次へと引き寄せていた。
どちらも、ノイがこの辺りを訪れていた頃には無かった店である。
一方、古びた本屋は、ノイが幼い頃から通っていたままそこにあった。しかし、古びた書物と知恵を求める人々を出迎える主人は、ノイの知らない顔だ。
その変化に時の流れを感じる。街自体も時を経て、変わっていることを物語っていた。
(……本当に、百年後にいるんだな)
もしかしたらまだ、実感がなかったのかもしれない。
けれどこうして、自分が生まれ育った街が大きく変わった姿を見てようやく、ノイは心の底から理解出来た気がした。







