39 : 布団に包んだ秘密
女性達は失望を隠さずに落胆のため息を吐く。どれほど自分達がノイの我が儘を残念に思っているのか、カルディアに聞かせるために。
「まあ怖い。子どもは加減を知りませんからね。カルディア様、慰めが必要でしたら、すぐに呼んでくださいまし」
「私達が無理に押しかけたんです。ノイ様にはまだ難しいかもしれませんが……どうぞ、カルディア様を叱らないでやってくださいましね」
女性らはあくまでもノイを花嫁扱いではなく、子ども扱いしようとする。
そんな彼女らにノイがとる態度は、服をぞろ引いてやってきたカルディアの顔を見た瞬間に、決まっていた。
「寛容であることと、けじめがないことは別だ。安心してほしい。カルディアは、私がきちんと尻に敷く」
子どもらしくも、可愛げもない返答に、女性陣が絶句した。その様子がおかしかったのか、カルディアがくっと息を吐くように笑う。
「……君のお尻は軽いから、苦でもないだろうね」
「私の尻の重さを知っているとでも?」
「おや。俺のお腹は、きちんと覚えているよ?」
ノイは訝しんで眉を顰める。そして、一度だけ彼のお腹に乗ったことを思い出した。
『あーあ、またそんなことして。意味もわかってないくせに』
あの時の「意味」が、ノイはわかった気がした。先ほど女性が上に乗っていたのと、同じようなことだろう。
「あっ、あれはっ――!」
ノイが顔を赤らめると、女性らは更に呆気にとられた顔をした。ノイの慌てぶりには、色に塗れた気配がある。これまで敵にすらならないと思っていたノイとカルディアに、そういう関係があると勘違いしたのだろう。
ノイが慌てながらぷりぷりとカルディアに文句を言っている隙に、女性らはいなくなっていた。後に残ったのは、ノイとカルディア、そして若干引いているアイドニだけである。
「……カルディア様。ノイ様を花嫁として迎えられたのでしたら、お戯れも程々にしていただきませんと」
「おや、君のことだから、次は自分に情けをと言い出すと思っていたな。もう彼女に掌握されたのかい?」
笑いながらのカルディアの指摘に、アイドニは頬を染めた。か
「風呂一つで落としてくるなんて、俺以上の手腕じゃないか」
「全くお前は……」
ノイはカルディアの服に手をやった。
びくりと体を強張らせたカルディアを安心させるようにそっと着崩れを直す。
「肌を晒すのが嫌いなくせに、何をしているんだか」
カルディアが微かに息を呑む。
「……俺、そんなこと言ったっけ?」
「見ていればわかる」
彼はいつもぴったりとした服を着ている。寝る時ですら徹底しているのだから、彼自身に何か思うところがあるに違いなかった。
ノイがとんとん、とカルディアの腕を叩くと、彼は慣れた様子で彼女を下ろした。ノイが部屋に入ると、カルディアもすごすごと入ってくる。
ベッドは二人分の大きさだ。乱れた寝床を見たノイが口を開く。
「私とカルディアは同じ部屋なのか?」
「そのつもりでしたが――違う部屋をご用意した方がよろしかったようですね」
アイドニが白けた目をカルディアに向ける。この年頃の女の子は潔癖だ。近しい男性の性的な場面を見て、もしかしたら好感度がだだ下がっているのかもしれない。
「いや、同じ部屋がいい!」
そう言い張ったのは、ノイでは無くカルディアだった。
「ではせめて、違う部屋を用意致しましょう。このベッドでは……」
まるで汚物を見るような目で、アイドニが乱れたシーツを見下ろす。
「何を言っている。シーツは敷き直せばいい」
「ですが、何か……何か着いていたら……」
ノイがシーツを戻そうとすると、アイドニは顔を赤やら青やらに変えてわなわなと震えた。
「何も着いているはずがない。――カルディア、すまなかったな」
ノイがそう言うと、アイドニとカルディアは、二人揃って目を丸くした。
「ふ、不貞を働いたのはカルディア様でしてよ?」
「はは。そうだった」
ノイは笑うと、アイドニに向き直った。
「さて、私はこれから、不貞を働いた婿殿を叱らなくてはならない。布団は私がしておくから、お前もゆっくりと休むといい。今日はありがとうな、アイドニ」
そうノイに言われてしまっては、アイドニも立ち去るしかなくなる。
アイドニは不安そうにノイとカルディアを交互に見比べた後、腰を折って部屋を辞した。
ノイは二人きりになった部屋で、カルディアの服を引っ張った。
カルディアはノイが引っ張るだけで、簡単についてきた。まるでこれから叱られることがわかっている犬のような従順さだ。
ベッドに座らせ、ノイは隣に座る。そして、よしよしと頭を撫でた。
「帰ってくるのが遅くなってすまなかった。……怖い思いをさせたか?」
黒い前髪の隙間から、見開いた深紅の目がノイを覗く。
それだけで、ノイにとっては十分だった。
真っ直ぐにカルディアの目を見つめるノイから、カルディアは逃げるように視線を外した。
そして、にこりと微笑みを作って、向き直る。
「何のことだい?」
「私が、お前を守れたか、という話だよ」
カルディアは口を引き結んだ。背が高く、すらりとした体躯のカルディアが、迷子の子どものように瞳を揺らす。
しばらく押し黙っていたカルディアが、吐息混じりの声で慎重に口を開く。
「……――怖かったと言って、君は信じてくれるの?」
「信じるとも。約束しただろう」
即答したノイはカルディアの大きな手を、小さな両手でそっと握りしめた。
カルディアの体が震える。
――もしかしたら。
あの日、熱に浮かされたカルディアが『怖い』と口にするまでは。
こんなに立派で、大人で、何でも持っている男が、何かを怖がっているだなんて思いつくことすらなかったかもしれない。しかもそれが、女の柔らかな肌だなんて、きっと気付きもしなかった。
けれど、ノイはあの時のカルディアの言葉を聞いていた。
そして、今から百年も前にテーブルの隅で怯えていたまだ名前も知らなかった少年のことも、覚えていた。
「私は、お前の言葉を信じるよ。カルディア」
手を握る強さを強めると、カルディアは俯く。
やがて、カルディアは喉から絞り出すように、小さな声を吐き出した。
「……怖いんじゃない。気持ち悪いんだ」
黙ってノイに手を握られていたカルディアが、ぽつりと呟く。
その姿は到底、百年も生きている魔法使いには見えなかった。
「裏切り者のクソ爺にお節介を焼かれたことがあった。あれから、気持ち悪くて仕方ない」
裏切り者のクソ爺――形容詞が多くなっているが、カルディアが今のところクソ爺と呼ぶのは、フェンガローのみである。この分では、ノイが死んだ後にも交流があったのだろう。
(あいつ、本当に何をしたんだ……)
ノイがよしよし、とカルディアの頭を撫でると、カルディアは全身で息を吐いた。体の強ばりが若干薄れる。
「これまでの恋人とは、どうしていたんだ?」
肌を重ねるのが苦手であれば、さぞや苦労しただろうと尋ねてみると、カルディアは自嘲にも似た諦めの笑みを漏らした。
「恋人を作るには、恋しい相手がいなくてはならない」
想像していたよりもずっと誠実な答えが返ってきて、ノイは目を見開いた。
「……いなかったのか?」
「いない。もう、ずっと」
それが、諦めのようにも――なぜか、遠い星に託す願いのようにも聞こえて、ノイは何故か胸がさわさわした。
許されてもいないのに、勝手に彼の大事な宝箱の中身を盗み見てしまったような、そんな気分だった。







