38 : 布団に包んだ秘密
「――そ、それよりもっ。いつも、あれほど近いんですの?」
「カルディアとか? まあ、そうだな。大抵は――」
「オルニスとです」
「へ?」
カルディアの花嫁になりたがっていたアイドニには答えにくい質問だと言葉を選んでいたノイは、素っ頓狂な声を出した。
「……オルニスと? 近かったか?」
「ぴたりと寄り添って、李を食べていたではありませんか!」
何故かものすごい勢いで、断定されてしまった。
そう言われてしまうと、食べていたかもしれない。
だが、彼女が来た時には、既に食べ終えていた気がする。もしかしたら随分と長い間、アイドニはノイとオルニスを見ていたのかもしれない。
アイドニの大きな瞳から、ポロポロと涙が零れ、ノイはぎょっとした。
「――ええと! そうだな! 今日は何だか、心細くなってしまって……」
「心細ければ誰にでも彼にでもひっつくと言うんですの? カルディア様の花嫁ともあろうお方が? 自覚が足りないのではありませんの?」
「全くその通りだ。以後は改めよう」
あまりにも美しい泣き顔に、ノイは戸惑ってうんうんと首を縦に振った。
「いつも、あんなに、優しいんですの?」
「……カルディアがか?」
「オルニスの話をしていましてよ」
「オルニスが……いつも……優しい……?」
優しい、という言葉と、オルニスが直結しなかったノイは、首を肩につきそうなほどに曲げた。
「オルニスはカルディアには優しい」
「当然のことをおっしゃらないで!」
「そうだな。すまない。ええと……オルニスは、普段はあまり、優しくない……」
「そんなわけないじゃないですか!」
「そ、そんなわけないかもしれないな!」
ノイは押しに弱い。
特に、目を真っ赤にして泣きながらほぼ裸で迫ってくる女の子の泣き顔には、めっぽう弱かった。
「今日だって優しかったでしょう。わざわざ貴方を炊事場に連れて行ってあげてたじゃないですか。手まで繋いで!」
ノイは、何故アイドニが怒っているのか、全くわからなかった。
ついでに言えば、オルニスを優しいと言ってほしいのか、優しくないと言ってほしいのかも、わからなかった。
だから、ノイの思うままを口にする。
「オルニスは、基本的には私にあまり興味がないんだ。ただ、今日はあまりにも私を憐れんだのか、捨て置けなかったのだろう」
アイドニはそれで納得したのか、尖らせた唇をむにむにはしつつも、黙った。
「……ついでに聞かせてくださいませ。何か言っていましたか? 廊下で分かれた後」
「――カ……ルニスか?」
「そうですわ」
及第点をもらえたらしい。よくよくオルニスの話ばかりである。ノイは腕を組んで、うーんと首を捻った。
『やっと行った』
『気にしなくて良いですよ』
『あいつはあんたが嫌いなんじゃなくて、俺が嫌いなんです』
『今のも、弟子よりも花嫁の方が立場が上だからって、俺に当てこすりに来ただけですよ』
オルニスとの会話を思い出し、ノイはその姿勢のまま固まった。どれ一つであっても、彼女に伝えてはならない気がしてならない。
「……い、言っていたような、言っていなかったような」
煮え切らないノイの返事に、アイドニは唇をツンと尖らせた。
「今度は覚えておいてくださいませ」
「善処しよう」
ノイは強く頷いた。
「……アイドニは、いつもオルニスのことを考えているんだな」
気を許してくれたのが嬉しくてノイがそう言うと、アイドニは一瞬目を丸くした後に、綺麗に笑った。
「嫌いだからですわ」
あまりにも強い断定に、ノイはぽかんとした。
「言ったでしょう。本当は、弟子になるのはわたくしのはずでしたと。けれどもあの卑怯者は、卑しくもカルディア様に泣きついて、弟子にしていただいたんですの」
アイドニの瞳は、強い意志を称えていた。
「おかげでわたくしは、この郷での立場を失いましたわ。それは、オルニスも……十分に知っていましたのに……」
最後の方は、掠れてほとんど聞き取れなかった。
ただその声の震えから、当時の――そして未だに続くアイドニの深い悲しみが感じ取れた。
眉根を寄せ、沈痛な表情でアイドニを見ていたノイに気付いた彼女は、ハッとして表情を取り繕った。そして、気丈に振る舞いながら、ノイに向き直る。
「礼を欠いたお詫びに、忠告致します。あの者は、親しい相手ですら簡単に裏切る、卑劣な男です。あまり、オルニスに気を許しすぎない方がよろしくってよ」
「お部屋はこちらにご用意しております」
入浴を済ませ、アイドニの服を借りたノイは、彼女に連れられて今夜泊まる部屋の前に来ていた。
しかし、ノイの部屋だというのに、すでに中が騒がしい。訝しんだノイが「あっ」と静止しようとしたアイドニに気付かず、扉を開ける。
――果たしてそこには、カルディアがいた。
女性と共に、ベッドの上で横になっていた。
その姿を見て、ノイはぽかんと口を開けた。いつもはきっちりと着ている服を緩めてベッドに寝転ぶカルディアの上に、服をはだけさせた女性が乗っかっている。
ノイは静かに、開けたドアを閉めた。
「――花嫁さん! 俺の花嫁さん!」
閉めたドアが、内側から開いた。
カルディアは慌てた様子で、脱げかけの自身の服を引きずりながら勢いよく出てくる。
「しまったな。君にこんな格好悪いところを見られるなんて――」
軽く身だしなみを整えたカルディアは、ノイににこりと微笑む。
「言い訳ぐらいさせてくれるだろう?」
カルディアがノイをいつものように抱きかかえる。そして、ゆったりとした仕草で女性らを振り返った。
「俺の可愛い花嫁が帰って来た。さぁ、君達も部屋へお帰り」
浮気を見咎められた花婿にしては、堂々としすぎていて、不貞不貞しい笑顔だ。
「あら。ノイ様なら、共同の子ども部屋でお預かりできますわ。カルディア様」
髪を解き、鎖骨まで剥き出しにした女性が、カルディアの腕に寄りかかって妖艶に微笑む。更に奥から、似たような格好の女性が二人、三人と出て来て、ノイとアイドニの目を丸くさせた。
大勢の人が住むつむぎの郷では、各家庭で部屋を割ることが難しく、子どもは一律、子ども部屋に放り込まれる。ノイは現在十五歳ほどの見た目をしているが、彼女達にしてみればまだ「子ども部屋預かり」で十分なのだろう。
「これ以上、子ども部屋を窮屈にさせるのは忍びないね」
「あら、我が郷の子ども部屋は、それは快適ですのよ。珍しい玩具もありますわ。ね、ノイ様。そちらへご案内致しましょう」
丁寧に化粧を施し、綺麗な衣装で身を飾った女性が、ノイを覗き込んだ。
完全に子ども扱いだ。大人は、子どもに意見を求めない。ノイを何処で預かるか、まず確認する相手はノイでは無く、カルディアだったのが良い例だ。
彼女達にとって、ノイという「花嫁」など、敵ではないのだ。
ノイを抱く、カルディアの腕にきゅっと力がこもる。
ノイは無邪気に笑った。
「すまない。次こそは呼ばれよう。今日はここで、よそ見を楽しんでいた我が花婿殿を、説教をしなくてはならないからな」
触れ合っていたカルディアの体が、びくりと震えた。