36 : 花嫁探し
ギィと扉が開く音と、姦しい女性らの声が響いた。
「調理場は蒸気が凄くて、化粧が落ちるから嫌よね」
「カルディア様、庭を見ながら、一献どうです?」
「真昼の月を眺めながら。それは乙なものですわ」
女性らが話しかけているのは、カルディアのようだった。きっとこのつむぎの郷でも上位の魔法使い達が、カルディアの周りにいる権利を得ているのだろう。
炊事場仕事は見習いか、魔法使いでない普通の人間が担っているに違いない。
「だから俺は、俺の花嫁を捜しててね――」
頭を押さえ付けられていて、よかったかもしれない。こうしていれば顔が見えない。目頭に浮かんだ涙を、悟られることもない。
(カルディアが新しい花嫁を選んだら、私もここに置いてもらえないか、聞いてみようか)
料理は出来ないかもしれないが、アイドニが言っていたように、被検体くらいにはなれるかもしれない。
(多少体を改められるくらい、気にしないし……)
細い両手で、ぎゅっと胸を掴む。自分で決めたことなのに、胸が苦しくて仕方が無かった。
「ああ、いたいた」
ノイの頭を押さえ付けていた腕が、軽くなる。
えっ、とバランスを崩したノイを、大きな手のひらが支える。
「花嫁さん。お散歩してたの? 楽しかった?」
いつも通りひょいとノイを抱き上げたカルディアが、にこにこと笑っている。ノイはぱちくりと瞬きをして、カルディアと、周りで唖然としている女性らを見比べた。
ノイも彼女達と同じほど混乱して、口を開く。
「……こ、これは、私だぞ?」
「? 知っているけど?」
ノイと同じように、ぱちくりと瞬きをして、カルディアが首を傾げる。
「……? だ、だって……」
混乱したノイは頭を抱えた。
「お前は、新しい花嫁を探しに、つむぎの郷に来たんじゃ、ないのか……?」
「新しい、って何……? 俺は今、ずっと君を捜して歩き回ってたんだけど」
「?」
「?」
ノイとカルディアはどちらも困惑して、互いをじっと見つめた。
数秒後、ノイが大きな声で叫ぶ。
「紛らわしいッ!」
きっとカルディアは、ククヴァイアに『俺の花嫁さんを捜してるんだけど』とかなんとか、言ったに違いない。
それもこれも、カルディアがノイのことを「花嫁さん」などという愛称で呼んでいるからこそ起きた、お騒がせな勘違いである。
「カ、カルディア様。そちらの子は……?」
カルディアが引き連れてきた華やかな女性の一人が、顔を引きつらせながら尋ねる。
抱き上げたノイを見たカルディアは、女性らの困惑顔に、何かに合点がいったように片方の眉を上げると、ノイの頬に自分の頬をぺたーっとくっつけて、満面の笑みを女性らに浮かべた。
「紹介が遅れてすまないね。この子はノイ。俺の花嫁さんだよ。皆、丁重に扱ってくれるよう、頼むね」
ノイのことを弟子か小間使いだと思っていた周囲の反応は、それから一転した。皆カルディアの不興を買わないよう、カルディアに対するのと同じような態度で、ノイに接する。
「おいで」
手の中のものが生のカブから、蒸したトウモロコシになったノイは、カルディアに呼ばれるままに貴賓室のソファーに座った。
「彼女はククヴァイア。俺の一の弟子だよ」
「ようこそいらっしゃいました。ノイ様。我が郷の不作法を、何卒ご寛恕ください」
カルディアが紹介すると、深い椅子に腰掛けたままのククヴァイアが、微笑みながらそう言った。彼女の体調を聞き及んでいたノイは、大きく頷く。
「勿論です。ククヴァイア様。よければ隣へ行っても構いませんか?」
「ええ」
ノイはテーブルを挟んでククヴァイアの対面に座っていたが、彼女のソファーのすぐ足下に腰を落とした。
部屋に控えていた側仕えらはギョッとするも、カルディアの花嫁として迎えた客に注意をする人間はいなかった。
「……あぁ。ありがとうございます。とても話しやすうございます」
足下のノイに話しかけるククヴァイアの声は、先ほどよりもずっと低く、小さくなっていた。ノイが真正面に座っている時は、背筋を伸ばし、張らなければ届かなかった声も、隣にいれば小さくても聞こえる。
ノイの祖父も、夕方を過ぎると一気に元気が無くなることが多かった。年を重ねると、一日活動することすら耐えられない人も出てくる。
「郷の者がご不便をおかけしたようで……」
「気にしていません。カブもトウモロコシも、とても美味いですから」
にこっとノイが笑えば、ククヴァイアも優しく微笑んだ。
「おや、楽しそうだね」
ノイの隣に、カルディアもストンと腰掛けた。ククヴァイアは乙女のように、軽やかな声で笑う。
「あらまあ。先生が地べたに座るところを、見られるなんて」
ほほほと笑うククヴァイアを、カルディアは目を細めて見た。その優しい横顔を見て、ドキリとする。
ノイにとってはおばあちゃんにしか見えないが、カルディアにとっては年の近い女性に見えるのかもしれない。
ぎゅっ、っと。また胸が苦しくなる。
「ここにはね。王宮へ行くための衣装を見繕ってもらうために、君を連れてきたんだ」
トウモロコシを持ったままのノイを、よいしょと膝の上に載せながら、カルディアが微笑む。
「俺は女性の装いには疎いからね」
ぱちぱちと瞬きを繰り返したノイは、これまで聞いて来た情報をまとめて、神妙な顔で口を開いた。
「それはつまり、私が、お前の花嫁として、王宮へ挨拶に行く……と言うことか?」
「そうだよ? あれ、言って無かったかな? ごめんね」
ノイは眉根を寄せて目を瞑った。最初にそれを聞いていれば、先ほどの「カルディアの花嫁探し」の勘違いもなかったろうにと、思わずにはいられない。
「……なるほどな」
「ここは女の子が多いし、皆粧し屋だから。きっと君の助けになってくれると思って。ククヴァイアにも話を通しているよ」
ノイがククヴァイアを見上げると、彼女は目を細め、ゆっくりとノイに頷いた。
「この郷一番の洒落者で、年も近く、愛嬌のある者を選びました――アイドニ。中へ」
「はい」
その名前と、扉の外から聞こえる可憐な声に、ノイは「あっ」と声をあげた。
そして「えっ」とも声をあげる。
――アイドニの目は、うさぎのように真っ赤に濡れていた。
明らかに泣きはらした後である。
(……な、泣いていたのか!?)
どちらかと言えば、バチボコに言われていたのはオルニスとノイである。
ノイは、部屋の隅でククヴァイアの側仕えらと共に並ぶオルニスを勢いよく振り返った。オルニスは、姿勢こそ崩していないものの、かなりげんなりとした顔でアイドニを見ている。
ククヴァイアは目が悪いのか、アイドニの形相に気付かないようで、穏やかだが威厳のある声で話しかけた。
「アイドニ。ノイ様のお力になって差し上げなさい」
「承知致しました。大先生」
アイドニは、ノイとカルディアに向かって、ゆっくりと頭を下げた。