33 : 花嫁探し
――エスリア王国暦 482年 晩夏
細長い木々が密集した林に、木漏れ日が差す。
繊細ながらもしなやかな幹が風で揺れると、深い緑色の葉が風にそよぐ。その形状は鋭く、風に乗って優しい音を奏でている。
静謐な空気が肌を刺す。青々と茂る竹の葉が強い光をやわらかく変え、地面に木陰を織りなす。異国の秘境めいた非現実な林には石畳が敷かれ、訪れる者を導いていた。
「ほ、本当に、こんな場所にオルニスがいるのか?」
「そうだよ」
カルディアに片腕で抱えられたノイは、ぎゅっとカルディアの頭にひっついた。二人は、彼らの住む浮島から船や馬車を乗り継ぎ、十時間をかけてここまでやってきていた。
――百年を生きる魔法使いカルディアと、その元師匠で現婚約者(仮)のノイは、カルディアの弟子オルニスを迎えに、地上に赴いていた。
オルニスは、カルディアが魔力の暴走で体を壊した際に、助けを求めるため、彼らが住む浮島から地上へと渡った。しかし、オルニスが帰ってくるよりも早く全快したカルディアは、自身の発明した魔法道具水幻站を使って、オルニスにステイを申し付けた。
魔法使いは、縦社会。
残留を申し付けられたオルニスは、大人しくこの林の先で二人を待ち続けている。
「すごい林だな……まるで手入れされてるみたいに美しい……」
「手入れされてるからね」
「は、林をか!?」
「林をっていうか、この山全体を」
ノイはぽかーんとして、カルディアを見た。あまりにも驚きすぎて、瞬きが止まらない。
王都生まれ、王都育ちのノイは、魔法使いの名家出身だ。
それなりの出自であったし、それなりの屋敷で育ちもしたが――ここはあまりにも異次元だった。
「……こ、こんなところでオルニス、萎縮してないだろうか……」
「ああ、それは大丈夫だと思うよ」
何てことないようにカルディアが言ったため、ノイは「へ?」と気の抜けた返事をしてしまった。
「オルニスも久しぶりに羽を伸ばしてるだろうし、その間にもう一つ、俺も用事を済ませておきたくてね――あ、見えてきたよ。ほら、ご覧」
カルディアがノイを抱えていない方の腕で、指を差す。ゆったりとしたカルディアの上衣が、林を抜ける風で揺れる。
指さされた方を見たノイは、息を呑んだ。
林の奥には、堂々とした宮殿のような屋敷が建っていた。
正面には大きなアーチがあり、繊細な装飾が均等に施されている。林の自然と精緻なデザインが、見事に神聖な風景を生み出していた。
荘厳な外観に圧倒されていたノイは、更に背を仰け反らせることになる。
カルディアとノイを出迎えるために、ゆうに二十人あまりの人間がこちらに向けて頭を下げていたのだ。
二列に並んだ人々の間を、コツンコツンと杖をつきながら、ゆっくり歩いてくる老婆がいた。
老婆は気品に満ち、厳かな風格を纏っていた。長い歳月を思わせる白髪は美しい髪飾りで結い上げ、唇には赤い紅を引いている。身に纏う衣装は上品ながらも華やかで、高貴さすら感じさせた。
一歩一歩踏みしめる足取りは、杖をついていても優雅さを誇った。
彼女はカルディアの前まで辿り着くと、ゆっくりと腰を折る。
「ようこそ、お帰りくださいました。先生――」
皺だらけの顔で微笑む女性に、ノイは見惚れた。彼女の優しい声は心地よく、労りに満ちた目は周囲の人々に深い尊敬の念を抱かせるものだった。
カルディアはノイを地面に下ろすと、自身も膝を突くまでしゃがみ、腰の曲がった老婆の手を取った。
「ククヴァイア。出迎えをありがとう。また、一段と美しくなったんじゃないか?」
ククヴァイアと呼ばれた女性はふわりと笑って、その皺だらけの指先にカルディアからのキスを受けた。
屋敷の中は外から見た以上に凄かった。
渡り廊下で繋がった塔の隙間隙間に、先ほど通ってきた林のような中庭が点在している。ノイは見たことがない形式の建物で、圧倒的な荘厳さに萎縮する。
自分が立っていても、座っていても場を汚しそうな気がして、ノイは渡り廊下の隅っこで気配を消していた。
「なんだ。あんたも来たんですか」
ほら、と廊下を歩いてきたオルニスが李を放り投げる。食べ物をもらえた上に知っている顔を見て、ノイは心からホッとした。
「オ、オルニスゥ」
「気色悪い声出さないでくれませんか。なんでこんな辺に突っ立ってんです? 先生なら、あんたも中に入れようとしたんじゃないですか?」
カルディアは今、先ほどの老婆――ククヴァイアに招かれている。
屋敷の主人への挨拶は、訪れた客の義務だ。だが、先程二人が醸し出した絆のような、特別な空気感に、ノイはたじろいでしまっていた。
「私にだって、遠慮する分別ぐらいはある」
そう頻繁に訪れてはいなさそうだったので、積もる話もあるに違いない。李で口を隠すようにしてもごもご言えば、オルニスはわざとらしく目を見開いた。
「へえ! 初めて知りました」
渡り廊下の柵に寄りかかっているオルニスの隣に座ったノイは、ぐいっと彼を肩で押しやった。そしてそのまま、肩を寄せてぴたりとくっつく。
ノイはこれまでの人生で、孤独を感じたことがあまりなかった。
修業時代は師匠である祖父と、兄弟子にあたるフェンガローが常にそばにいてくれた。
フェンガロー以外の兄弟子らにやっかまれはしたが、日々に張り合いが生まれて面白いくらいだった。
王宮に勤め始めてからも、天才ともてはやされたノイは場の中心に立たされることが多く、いつも魔法使いに囲まれていた。
山奥へ引きこもったのは自分の意思で、孤独どころか、一人を謳歌していた。
――かいつまんで言えば、こんな風に沢山の人がいるのに、所在がなくなる心細さを感じたのは、初めてだったのだ。
しょんもりとして李に齧り付くノイを見て、オルニスは口を開いて、閉じる。しかし、くっついた体を引き剥がすことは無かった。
「まあ、元カノの家ですしね。現婚約者としては入りにくいですよね」
「も、もとか、の……?」
初めて聞く言葉だが、内容が想像出来る単語でもあった。
なんだそれは、と驚くノイに、オルニスはにこりと笑う。
「間違えました。元弟子です」
「ま、間違えるにも、ほどがあるんじゃないか……??」
オルニスのうっかりさに驚くノイだったが「ん? 弟子?」と首を捻った。
「ええ。この屋敷の主人ククヴァイア様は、先生が初めて取った弟子――つまり、一番弟子ですよ」
ノイは驚いて、カルディアとククヴァイアのいる部屋を見た。見える場所にいるとはいえ、部屋から距離を取っているし、扉が閉められているため、中で二人がどんな会話をしているのかはわからない。
だがきっと、特別な会話をしているのだと断言できた。
ノイにとっての一番弟子は、カルディアだ。
カルディアのことは、己の師匠を思う気持ちと同じほど大切に思ってきた。
あの二人もそんな気持ちで今、あの部屋にいるに違いなかった。
「ここはククヴァイア様と、彼女の弟子……そしてその家族が暮らす家です。その弟子らも、まぁいい年ですから。更に弟子を取り、その家族も暮らし――と続いていくと、こういう大所帯になるわけです」
「ああ……ここは、つむぎの郷だったのか」
つむぎの郷とは、大きな流派の魔法使いが、弟子の修行をつけながら暮らす家のことである。
言うまでもなく流派が大きくなるに連れて弟子の人数は増え、弟子に家族が出来れば尚更、住む場所が必要になってくる。
そういった設備を用意出来るかどうかも、師匠決めの際に弟子の検討事項に上がる。
ノイの祖父もつむぎの郷を持っていた。流石に、これほど立派な建物ではなかったが。
「あんたはまた……よくそんな言葉、知ってますね」
「っほ、本で読んだんだ! この間、カルディアに借りただろう」
「ああ、なるほど」
「こんなに立派なお屋敷だとは思ってなかったから、気付かなかった」
「立派ですよそりゃ。ククヴァイア様はああ見えて、元王族ですしね。彼女が独り立ちされた際に、当時の国王が餞別にこの山まるごとくれたんだって聞いてます」
餞別という言葉のでかさに驚いて、ノイは目を丸くさせた。それでさっきも、カルディアが山全体と言っていたのだ。
(王族だったのか……)
老いても尚失われない気品は、生まれ持ったものだったのだろう。ノイは彼女のいる部屋をじっと見つめた。
「――あのお方は普段、ほとんど目も見えないし、一日中寝たきりに近いんです。ましてや、一人で歩くなんて論外」
同じ部屋を見つめながら、オルニスがぽつりと呟く。ノイは驚いてオルニスを見上げた。
先ほどノイが見たククヴァイアは、確かに身体の衰えは感じさせたが、その佇まいは堂々としたものだった。
「見えないだろ。先生が来るって日だけ、ああなる。朝からしゃんと一人で起きて、紅まで差して待ってんだ。……魔力ナシのあんたじゃ、わかんないかもだけど。師匠っていうのは、そのぐらい大事な人なんだよ」
ノイは李をきつく握った。
(……わかる。わかるよ)
魔力ナシのノイも、師匠を大切に思う気持ちを知っている。
けれど何故だか――それ以外の気持ちも、ククヴァイアと共有しているような気がして、ノイは落ち着かなくなった。
強く握った李には、ノイの指の跡が付いていた。