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29 : 見上げるは、星の川


 書庫の扉を開ける。広大な部屋に、手入れの行き届いた棚がずらりと並んでいる。

 書庫の壁一面を埋め尽くすその本棚は、知識を求める者ならば、誰もが歓喜するような古今の知恵が並べられていた。

 日光が本を傷めないよう、高い天井の壁には窓はない。その代わり、温度と湿度を整備する魔法道具で、室内は本にとって快適な温度に保たれていた。

 本の香りが一瞬にしてノイの鼻をくすぐった。そして、その膨大な量の本棚に、目を輝かせる。


「――っすごい! すごいな、カルディア!」

 カルディアはノイを地面に下ろした。ノイは本棚と本棚の隙間を縫い、本の背表紙に素早く目を走らせる。


「叡智の導き、星詠みの道しるべと魔法の奧義、魔法陣の手引き、星々の舞台裏と魔法の関わり、奇跡の解読法と古代の予言……」


 知っている本もあれば、知らない本もあった。

 本の背表紙を見つめたまま蟹歩きしていると、「こらっ!」と怒られる。

 びくりと体を揺らしたノイは、慌てて声がする方を見た。


「また貴方は! 全く、何をしてるんですか。こんな国宝が詰まってるような場所で、前も見ずに歩くなんて」

「オルニス!」


 書庫にいたのはオルニスだった。本が理路整然と並べられた書庫の真ん中に彼はいた。


「先生、水幻站(モノノエキ)の用意、終わりました」

「ご苦労様。助かったよ」


 カルディアに用事を言いつけられて、先にヒュエトス魔法伯爵邸に向かっていたオルニスは、魔法道具を設置していたようだ。

 水幻站(モノノエキ)という魔法道具を通して物体を転移させるこの魔法はまだ世間に公表されていないため、この屋敷の全てを取り仕切る執事のゲーコでさえ、書庫に入る許可をもらえなかったのだろう。

 天幕の支柱を逆さまにしたような棒に、布を張っている。真ん中には薄く水が張られていて、その向こうはきっと浮島のカルディアの家に繋がっているのだろう。


「よし。じゃあ、ここの本。全部入れようか」

 ノイはぎょっとしてカルディアを振り返った。


 ざっと見ただけで、書庫には百年前でさえ入手困難だった本や、絶版になっている本がずらりと並んでいた。長い月日を掛けて集めたのだろう。


(そんな本を、寝る場所すら工面しなければならない、あの狭い家に……?)

 背筋が寒くなった。カルディアは本気でヤル気だ。


「い、嫌だ!」

 手を振り上げ、魔法で本を運ぼうとしていたカルディアに、ノイは抱きついた。カルディアのゆったりとした服にぎゅっとしがみつく。


「知への冒涜だあ!」

「でも、暇なんでしょ?」

「暇だが、暇だがそんなこと、たとえ国王が許したとしても、私が許さないッ……!」

 カルディアはぽりぽりと頬を掻くと、しがみつくノイを抱き上げた。


「どうしたいんだい? 俺の花嫁さん」

「手で持って帰れるだけ、帰らせてくれ。また読み終わったら、ここに来たい」


 本の置き場を考えてのことだったが、先ほどの執事とのカルディアの会話も思い出し、ノイは咄嗟にそう言った。


 カルディアはきっと、ほとんど帰っていない。代理人の仕事も必要最低限な日数だけ地上に降りてきて、まとめて業務をこなしているのだろう。

 他の使用人のことはわからないが、執事のゲーコだけは、カルディアの訪れを心から喜んでいるようだった。


 そんなノイの思いを見透かしているかどうかは、カルディアのいつもの微笑みからは読み取れなかった。しかし、彼は仕方がないなという風にノイの頭を優しく撫でる。


「君の望むままに。俺のタンポポ」





 絞りに絞った六冊の本が入った袋を抱え、ノイはヒュエトス魔法伯爵邸を後にした。ゲーコはノイ達の姿が見えなくなるまで、ずっと見送ってくれていた。


 丘を下るノイはにこにこだった。六冊だけ借りて帰る、というのは妙案だった。一気に全て手に入れるより、ずっとわくわくする。


 ただ、そう考えているのはノイだけで、先に準備に翻弄させられていたオルニスは仏頂面だ。美しい顔が、更に美しく研ぎ澄まされている。


「オルニス、すまない。私が読んだ後、貸してやるから。な?」

「結構です。僕だって頼めば、先生は本を貸してくださるはずですから」

「貸さないけど?」

「先生!?」


 こういう時はスルーしないのか。カルディアはオルニスの反応に楽しそうに笑うと、「冗談だよ」と告げる。


「今度は君も選びなさい」

「はい。ありがとうございます!」


 ほっとしたオルニスは、ぱっと華やかな笑みを浮かべる。

 絶賛大安売り中のカルディアと違い、オルニスの笑顔は大変貴重だ。よほど本を借りられるのが嬉しいのだろう。その気持ちは、ノイも十二分にわかった。


 途中までは歩いていたが、結局カルディアに抱きかかえられ、ノイは湖に辿り着いた。帰りもまた、目眩ましの外套を羽織っている。


(それにしても――本当にすごい魔法だ)


 行きは螺旋状の水を滑り降りる遊戯に夢中で頭から吹き飛んでいたが、改めて浮島を見上げれば、その魔法の凄さに圧倒される。


 地上から見る浮島は、本当に浮いていた。

 どれほど高くに浮かんでいるかもわからない。遙か上空にぽつんと浮かんでいる。そこから水が滴り落ちているため、この辺りは清らかな空気が広がっていて、とても心地いい。


 そして、ノイが上空で見た帯状の魔法陣。あれはなんと地上にまで続いていた。間隔を空け、空から大地まで、いくつもの魔法陣が筒状に連なっている。


 とてつもなく巨大な魔法陣の中身は、基礎を大事にした教科書に載ってもおかしくないような素晴らしいものだ。

 だがところどころに、ノイの編み方の手癖が残っている。ノイが生きている間に教えた魔法を、カルディアはそれから百年間、何度も何度も思い出しては、研究を続けたのだろう。


 もはや数えることすら不可能なほど多くの魔法が複雑に編み込まれた魔法陣には、先ほどの晶火虫(フォスフォラ)などの魔法生物を寄せ付けない魔法もあった。

 更に帰り道はこの魔法陣の仕掛けを利用して、水の流れを反転させるのだという。上から下に流れていた水を、下から上に上る螺旋に変えるのだ。


(……本当に、成長したんだな……)


 もうノイなど、とっくに追い越している。これは、センスや発想だけではない。この百年、あの書庫にある本を何度も何度も読み返しながら、試行錯誤を繰り返し、研鑽を積んだのだろう。カルディアの、たゆまぬ努力の賜物だと断言できた。


 結果は努力を裏切ることはあるが、努力なしには結果は生まれない。


 風にたなびき、カルディアの黒髪が揺れる。


 ノイは目を細めて、彼の横顔を見ていた。







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イメージイラストはくろこだわに様に描いて頂きました。
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