28 : 見上げるは、星の川
いつものように片腕で抱き上げられたノイは、目の前の人物を見て、涙を滲ませる。無様にも、呟き声は掠れていた。
「……カルディア」
「あとは俺が引き受けよう」
腕や足に泥をつけたカルディアはにこやかに微笑むと、店の外に出た。村人達も、恐る恐る着いてくる。
銅像の傍まで来ると、カルディアはすっと腕を上げた。そして、楽器を弾くかのような美しい指使いで、魔力を編んでいく。
美しいが、丁寧な編み方だった。
基本を忘れていないその編み方は、ノイとの修行の日々を思い起こさせ、ノイの頬に涙が伝う。
網のように大きな編み目の、薄く、途方も無く長い魔力が空に流れる。
「――おいで」
カルディアの声に反応するように、村中から一斉に晶火虫が飛び立った。
「ぎゃああああああああああああああ!!」
村中から悲鳴が上がる。
草木の間に、家の床下に、天井の影に、側溝の泥に隠れていた何千、何万という晶火虫が、一気に飛び出してきたからだ。
人々が家屋から飛び出し、外でも暴れ回って逃げ場を探している。村は阿鼻叫喚だった。
店の前に集まった村人達も、一様に腰を抜かしている。
「わ……わあっ……!」
そんな中、腰を抜かしていた村人の一人が、声をあげる。その声はどんどん広がり、広場に集まってきていた人々が喝采を上げた。
人々は空を見上げ、顔を綻ばせる。
「すごい! 星の川だわ!」
「綺麗……なんて美しいの……!」
カルディアの編んだ魔力に集まった晶火虫は、うねり、大きな川となって空を流れた。
晶火虫は、魔力を食べる。魔力が腹一杯まで膨れると、その体を発光させるという特徴を持っていた。
その光は昼間の空でも星のように輝き、王都では魔法使いのペットとしても人気の虫だった。
真昼の空を、星の川が流れていく。それは、カルディアが導いた方向に向かって、旅をしていくようだった。
輝く星の川を見つめていたノイを、見つめていた者がいた。ノイを片腕に乗せたカルディアである。
「領主を守ってくれたんだって?」
店の外でたむろっていた村人にことの成り行きを聞いたのだろう。その声は、周りの歓声とは対照的に、ひどく穏やかだった。
「ありがとう」
カルディアに礼を言われ、ノイはしょんぼりと下を向いた。
「……私は、何も出来なかった」
村人の言う通りだ。偉そうに講釈を垂れた割りに、出来たことは何もない。
しかし、しょぼくれるノイをカルディアが覗き込む。
「少なくとも、俺はそうは思わない」
見下ろすカルディアの顔は、柔らかい笑みが浮かんでいた。
(……本当に?)
カルディアの笑みに引き寄せられるようにノイは体を曲げ、彼の首にぎゅっとしがみつく。
『淋しかったら、何? 手でも握ってくれるって?』
『勿論だ! いつだって繋ぎに行く!』
ノイの脳裏に、いつかの夜が思い出される。
「――手を」
「うん?」
「繋ぎに行くと、言っただろう」
小さな声で呟いた。カルディアはもう、覚えてもいないかもしれない。
「……」
カルディアの首に顔を埋めて話しているため、彼の表情は見えない。
「今の私には、手を繋ぐくらいしか出来ないが――その約束だけは、絶対、破らないからな」
ノイが呟くように、自分に誓うように言う。
カルディアはすっとノイを地面に下ろした。
「――本を見たかったんだよね。店を覗こうか」
「! ああ!」
本という単語を聞いた瞬間、ノイはパッと笑顔を浮かべる。そう、本である!
なによりも楽しみな本を見るためにノイは、店の中に走った。
***
――人々はまだ、星の川に夢中で空ばかりを見上げている。
そんな中、小さな後ろ姿を見ていたカルディアは、片手で顔を覆った。
「……君に。外の世界を、見せたくなかった」
記憶はなくとも、知識はあるノイ。そんな彼女はきっと、浮島でなくとも生きていける。
地上でも生きていく道があるのと知ったら、ノイが浮島に留まる理由はなくなってしまう。
ノイがいなくなってしまっては、彼女を利用できなくなる。
(――利用、するためだ)
そのために、引き留めたいだけだと、カルディアは心の中で呟いた。昨日必死に走って帰ったのも、眠い目を擦ってまでデートをしたのも全て、そのため。
(それ以外の理由なんて、ない)
そう言い聞かせているのに、輝く星の川の下、首に巻かれていた細い手の感触は、いつまで経っても消えてはくれなかった。
***
「お帰りなさいませ。ディアス様」
ヒュエトス魔法伯爵邸に着くと、出迎えの人間に頭を下げられた。
屋敷は大きいが、使用人は数えられる程度にしかいなかった。常に主人がおらず、社交もしないのであれば、屋敷を維持するには十分な人数だろう。
村人が持ってきた八つの魔法道具全てに魔力を充填すると、カルディアと共にヒュエトス魔法伯爵邸へ向かった。
これ以上の面倒事は避けたいとでもいう風に、目眩ましの魔法がかけられた外套を羽織らされ、ここまで連れて来られた。
「連日すまないね」
「ディアス様の訪れ、使用人一同、大変喜んでおります」
執事のゲーコが穏やかな声色で言う。
昨日、カルディアは屋敷に行っていたようだ。ディアスの姿で、代理人として領主の仕事をしているのだろう。
(きちんと領主の仕事もしてるじゃないか――! 村のクソ親父め。顔は覚えてるからな)
次に会ったら禿げさせてやる。そんな物騒な決意をする。
ゲーコに連れられ、奥の書庫へと移動する。途中、廊下の窓から見えた敷地の一部を見て、ノイはあんぐりと口を開けた。
(……――本当に、えぐり取ったんだな……)
そこには、綺麗に入り口だけ切り取られた別館があった。不自然にならないよう修繕されていたが、知っている人間が見れば、その部分だけ改修されているのは明白だった。
「ディアス様、そちらは?」
屋敷でも、カルディアとは名乗っていないらしい。
「俺の花嫁さんだよ」
「そうだったかな」
今日、三度目の紹介だったが、ノイは初めて異議を唱えた。ノイの態度に瞬きをするカルディアに、ノイはつんとして言ってやる。
「私が婚約した男の名前とは、ちょっと違うようだが」
ちらりと見やると、カルディアはにこやかに微笑んでいた。しかし、内心冷や汗を掻いているに違いない。分が悪いのは自分とわかっているのだろう。何しろノイはここまで彼を慮り、人前で「カルディア」と呼ばないように気を付けてあげていた。
「帰ったら、不甲斐ない言い訳を聞いてくれるかな? 俺の花嫁さん」
にこやかな笑顔のまま続けるカルディアに、ノイもにこりと微笑む。
「私の勘違いだったようだ! すまない、愛しの婚約者殿!」
にぱっと笑い、ぎゅっと抱きつけば、年老いた執事は微笑ましそうに二人を見つめる。
「ディアス様ももうそのようなお年に。私も年を取るはずです」
「六十七だったか」
「……驚きました。そうです。よく覚えておられますね」
ゲーコは目を丸くしてカルディアを見た。カルディアは笑みを深める。
「光栄でございます――ディアス様」
ゲーコの目には深い慈しみの光が見えた。
「七十になる時には、ヒュエトス魔法伯に言って、祝いを用意してもらおうか」
「そんな。お気持ちだけで、十分にございます。――ああ、着きました。お先に従者の方がいらっしゃってます」
カルディアは書庫の前で辞そうとするゲーコに礼を言う。
「うん、ありがとう。ゲーコ」
ゲーコは更に深く頭を下げ、歩いて来た廊下を戻っていった。