26 : 見上げるは、星の川
「ようディアス」
広場の雑貨店に向かうと、中年の店主がカルディアを見て陽気に挨拶をした。この様子では、カルディアはよく店を訪れるのだろう。
「やあ、邪魔するよ」
「なんでも見てってくれ。流石にガレネー像は売れねえけどな」
銅像の前で話し込んでいた姿を、店主に見られていたのだろう。国中に五十年も前から設置されているのなら、誰もが見慣れた存在になっているはずだ。しげしげと見ていたノイは、さぞや目立っていたに違いない。
「いや、五十年も経つのに、随分綺麗に手入れされてると思って」
旅人を装っているカルディアが悪目立ちしてはいけないと、慌てて言い訳したノイだったが、その気持ちは本心だった。
大人の身長ほどある銅像は、雨風に晒されているというのに、ほとんど劣化もしていない。
店主はカルディアに抱かれたノイを見て眉毛を上げると、ポリポリと頭をかいた。
「まあ……村の皆で手入れしてるからな。嬢ちゃんも、ガレネー像は大事にしてやんな。俺達世代は、そりゃあ爺さん連中にはきつく言われたもんだ。粗末にすんなってな、ってな」
ノイから視線を外した店主は、雲がたなびく青空を見上げる。
「百年も前の話だし、空が黒くなるなんて、おとぎ話みたいなもんだがなぁ……」
店主に釣られ、ノイも空を見た。王都から遠く離れたこんな場所のまで、あの時闇に覆われていたのかとぞっとする。もしかしたら魔王の孵化に呼応して、国中、いや世界中の空が黒くなっていたのかもしれない。
「そんで。お前さんに妹がいたとは知らんかったな」
軽い口調で言った店主に、カルディアが向き直った。
「何を言ってるの。どう見ても――」
「わ、お前――!」
「可愛い俺の花嫁さんでしょう」
嫌な予感がして遮ろうとしたが、無駄だった。
ただ、店主は先ほどの女性陣とは違い、軽く笑い飛ばす。
「おうおうそうか。そりゃ悪かったな。嬢ちゃん、随分な色男を捕まえて良かったな。ええ? 村中の女共に嫉妬されるぞ、こりゃ」
嫉妬どころか、先ほど同情されてしまった身としては、はははと笑って話を合わせることしか出来ない。
――全く本気に取られなかった。
(心配なんて、する必要なかったな……)
先ほどの女性達には話の流れのせいか引かれてしまったが、きっとこれが世間的にも正しい反応なのだろう。
十二歳だと紹介されずとも、年若いノイの見た目では、酸いも甘いもかみ分けてきたかのようなカルディアの花嫁だとは、思われない。
ホッとすると同時に、何故か少しだけ、胸の辺りがきゅっとする。
「あー! ディアスさんだ!」
びくりと体が揺れてしまうほど、大きな声がした。
慌ててそちらを見ると、動きやすそうな軽装に身を包んだ若い村の男性が二・三人いた。誰もが足の先から頭の先まで、泥で汚れている。
「うちのがディアス様が来てるって騒いでたから探してみたら、本当にいた! ちょっと、こっち! 来てくださいよ!」
ぎょっとしているノイとカルディアの元に、ずんずんと歩いて男達がやってくる。
「さっき、急に地面がぬかるんで……牛が数頭沼から出られなくなって、大わらわなんです」
「魔法使いなんでしょ? 助けてくださいよ! こっち!」
男達が近付いてくると、ノイは急いでカルディアの腕から飛び降りた。ノイが飛び降りた瞬間、男達がカルディアの腕を掴む。
「うわ、ちょっ、待ちなさい君達――!」
「急いで!」
「うわっ――! わかったから! 花嫁さんッ、ここにいるんだよ!」
男達に引きずられながら、カルディアはノイに向かって叫んだ。ノイはぽかんとしつつも、こくこくと頷く。
牛は大切な村の貴重な財産だ。村人の形相からして、一刻も争うのだろう。
「……店主、邪魔をする」
「そりゃあ、構わんが……嬢ちゃん。おかしなしゃべり方だな」
百年後に来てからというもの、よく話し方に言及される。百年前は、身分も金も魔力も持っていたノイに面と向かって意見する者は少なかったため、その違いだろう。
「祖父の話し方が移ったんだ」
「なるほどな」
素直に理由を話せば、店主は簡単に受け入れてくれた。
「にしても、またか」
「また?」
「ちょっと前もな、ほら。あそこに飯屋が見えるだろ。あそこの前の道が浸水してな」
店主が向かいの店を指さした。
「幸い、この辺りはしっかり地面を固めてあるからぬかるみにまではならなかったんだが……上から土を盛ったりと、ちょっと大変だったわけよ」
「この辺りは水害が多いのか?」
「いや、聞かねえな。俺の爺さんの時代は雨が多かったとは聞いてるが……もう何十年も昔の話だ」
「ふうん……」
「あの島が見えるだろ?」
相槌を打つノイに、店主が店の外を指さした。そこには先ほどまでノイ達がいた、浮島がある。
「あれは俺の爺さんが若かった頃に浮いたらしいんだがな、あそこに領主様が住み始めてからは、ぴたっと雨が止んだらしい」
ノイは驚いて目を丸くした。
「爺さんが若い頃……?! あれはじゃあ、何年前から浮いてるんだ?!」
「さあ。少なくとも八十年は前だろ」
「八十年……?」
(――八十年も、島を浮かせ続けてるだって?)
ノイは呆気に取られた。
魔法は、魔法陣を編むのに時間がかかる。大きければ大きなほど、必要とする時間も多くなる。
ただ、一度編んでしまえば、後は魔法陣に魔法を流し続ければ、維持は容易い。しかし、だからと言って限度はある。
(あれほど大きな島を絶えず浮かし続けるのに――一体どれほどの魔力が必要だ……?)
およそ常人の魔力では賄えない。
考え始めたノイのもとに、また村の人間がやってきた。
「おーい。ディアス様いる?」
「これ壊れちまって、直してほしんだけど」
やってきた村人は全部で八人。全員、手に何かしらの魔法道具を持っている。
こんな田舎では手に入らなそうな高価な魔法道具から、中古もよく流通しているような比較的手に入りやすいものまで、様々だった。
ノイはカルディアが朝方「面倒臭い」と言っていた理由がわかった。
地上に降りる度に引っ切りなしに客に見舞われては、大変に違いない。
「ディアスなら今、出てるよ」
「なんだ。ディアス様が来てるって聞いてわざわざ仕事抜けて来たのに」
村人の一人がため息をつくと、呼応するように他の七人も一斉に話し始めた。
「若い女共の相手は出来ても、俺達じゃ。なあ?」
「まあ、一番仕事しねえのは領主様だけどな」
「浮島に引きこもって、全然降りてこねえ。領地の管理も、執事のゲーコさん頼みって噂だ」
「領主様がもっとしっかりしてくれてれば、ディアス様に頼んなくったっていいのにね」
「引きこもって、全然出てこねえ爺さんを宛てにしたってしょうがねえ」
最初は静かに聞いていたノイだったが、ついに我慢出来なくなった。
「領主は領主なりに、この村を大切に思ってるんじゃないのか?」
そうでなければカルディアは、いくらノイのご機嫌を取るためだからと広場に寄らなかっただろうし、手を引かれたからと牛を助けにも行かなかっただろう。彼はそういう、冷徹な部分を持つことを、花嫁にならなければ助けてもらえなかったノイは身を以て知っていた。
「おや、お嬢ちゃん。何処の子だ?」
「偉く仕立てのいい服を着てるな……」
「このくらいの女はいけねえ。わかったような口を利きたがる」
「もう何十年も降りてこない領主に、期待なんざする俺達が悪かったのさ」
「案外、上でぽっくり逝っちまってたりな」
「天の神様も、お迎えが近くて助かるだろうよ」
わははは、と村人達が笑う。
(カルディア――お前が何故、空に上ったのか、全ての理由を知っているわけじゃない)
けれどその内の一つは、きっと予想から反していないはずだ。
成長を止めてしまった容姿故に、人の理の中で生きていけなくなってしまったのだ。
『お師様は、僕を人だと言ってくれるけど……でも、僕はもう、やっぱり皆と違う』
『お師様以外は……弱い』
『僕が育った教会があるんです。皆に、何かあるのは、いやだ……』
人と生きていたくて。けれど、己の中の魔王が人を傷つけないか怯えて。
そしてようやく魔王はいなくなったのに、人の中で生きていけず、人から離れて暮らしている――それもまた、自分だけが離れることを選んで。
(確かに、今のお前はとてつもなく胡散臭い。怪しいし、時に近寄りがたい)
けれどそんなことで、カルディアを大好きなノイの気持ちは、変わらない。
「――魔法道具が故障しているんだったな。話を聞こう。もしそれを私が解決出来たら、もう二度と、領主の悪口は言うてくれるなよ」
魔法道具を抱えた男に向け、ノイは両手を突き出した。