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21 : 星明かりでダンスを


――エスリア王国暦 482年 仲夏



 空の中に立っている。

 浮島は見渡す限り何処までも広がる青空の中にある。すぐ近くの雲は霞んでいるが、浮島の端の方の雲なら、ノイの目にも見えていた。

 湖面には色濃い空が反射し、太陽の光を受けて輝く。

 地上よりもうんと太陽に近いのに、不思議と空気はひんやりとしていて、涼しかった。


 冷たい湖に浮かんだノイは、空を見上げながらぼんやりと考える。


(……まるで、空を泳いでるみたいだ)


 空を泳ぐ。そんなことを夢見たのは、今の体よりももっと幼い頃だったか。ノイは手のひらを空にかざした。水が滴り落ちる。血潮が流れている証に、ノイの手のひらはオレンジ色に透けていて、彼女が生きていることを表していた。


(まだ、生きてる)


 死を覚悟して生きていた。死を賭しても成し遂げたいことがあった。

 けれど、全てを終えても、全てを失っても尚、生きている。意地汚く、浅ましく。


 この命が、何のために生き長らえたのかはわからない。


(けど、もう少しだけ)


 夢を見ても良いんじゃないだろうか。幼い頃、夢に描いた空は、こうして泳げた。なら、新たな夢を見てもまた、きっと叶う。


(カルディア――もう少しだけ、お前の傍にいたい)


 百年も経ち、立派な魔法使いになり、身分を得て、大人になった彼に、もう師匠は必要ないかもしれない。


 けれどそれは、ノイが手を離す理由にはならない。


『なに。ずっと、こうして手を繋いでいれば大丈夫だ。だろう?』


 ノイはまだずっと、彼と手を繋いでいるままなのだから。





 水浴びを終えたノイは新しい服に着替えると、濡れた服の水気を絞る。

 どこから調達したのか、ノイが来た次の日にはもう、女性用の服一式がカルディアの部屋に揃えられていた。カルディアを弟子に取ったばかりの頃のノイと違い、彼は大変気が利く。

 明るい色に、柔らかい素材。お洒落なデザインの服は、とても可愛い。


「まさかこんな服を着る日が、来ようとはな」

 若い娘が着る服なんて、若い時分に一度も着たことがなかった。

 ノイが若い頃は、魔法道具の開発に必死だった。毎日汚れた白衣で王宮の研究室に籠もり、朝も昼もない生活をしていたのだ。

 王宮を離れてからはそれ以上に、山の奥でお洒落とはほど遠い生活を送っていた。

 けれどきっとこれからは、こういう服を着ていく人生になるのだろう。


(魔力も、体つきも、きっと戻ることはない)


 特に魔力に関しては断言できた。自分の魔力なのだ。体の何処かに隠れているわけでも、誰かに封印されているわけでもないことがわかる。

 完全に、自分の体の中から全て、消失してしまっている。

 失った魔力を戻すことは不可能。


(けれどそれも、別に、いいかな)

 生きているだけ、儲けものである。


 こんな体で何が出来るのか、何をすべきなのかはわからない。とにかく、生きてみて……そこから、自分が出来ることを一つずつ見つけていくのもいいのではないかと、そう思えた。


 これまでのノイには膨大な魔力があったおかげで、沢山のいいことがあったが、その魔力のおかげで、生きる道は限られていた。


 人の持ち得ない膨大な魔力を持って生まれたのだから、持たざる人を支え、尽くすことが当たり前だと思っていた。


 けれど今は自由だ。

 それこそ、出来の悪い演劇台本のように、弟子の婚約者になることだって出来る。


 ――魔法使いでなくなって、ひと月が過ぎた。


 その間に、魔法を使えない自分と、体が小さくなった自分、そして、浮島での生活も慣れていった。


 ノイはオルニスに仕事を与えられたが、その全てをカルディアに却下された。魔法使いは縦社会だ。オルニスもノイも引き下がるしかなかった。


 そうして、完成したのが、立派なニートだ。

 見た目が幼いのが、せめてもの救いだったかもしれない。日がな一日、することもなくぶらぶらとしている成人女性は、見るに堪えないに違いない。


 そう。浮島は孤島だ。空にぽつんと浮いているこの島に、することなんて何もなかった。


 せめて微量でもいいので魔力が残っていれば、魔法の研究も出来ただろう。魔法に携わってさえいられれば、ノイにとっては楽園にだ。

 だがこれまで、魔法以外なにもしてこなかったノイは、魔法以外の趣味がない。

 簡潔に言うと、ノイはずっと、暇だった。


「花嫁さん、花嫁さん」


 ノイが濡れた服を木に張ったロープに干していると、朝食を食べてすぐに姿を消していたカルディアが、ひょこりとノイの前に現れた。

 彼はどこで何をしているのか、わからない。朝食後も家でのんびりしている日もあれば、朝食を食べてすぐに姿を消す日もある。

 こんなに狭い浮島で見かけないということは、ノイが立ち入りを禁じられている森か、下の街に降りているのだろう。


「どうした?」

「デートのお誘いに、馳せ参じました」


 カルディアはにこりと笑って言った。

 あまりにも暇を持て余していたノイは、時間が潰れるなら何でも良かった。ありがたい暇つぶしの申し出に諸手を挙げて飛びつく。


「する!」


 ぴょんと跳ね、文字通り飛びつくと、カルディアはそのままノイを抱き締めてくるりと回した。


「おや、可愛いね。そんなに俺が恋しかった?」

「大馬鹿者! 暇すぎるんだ、ここは!」

「暇? そっか――。それは、気が回らなくてごめん。何か考えておこうね」

 ノイをポスンと地面に置くと、カルディアは彼女の頭を優しく撫でた。


「濡れてるね」

「湖で水浴びをしてたんだ」

「おかしいな。俺の知ってる女の子っていうのは、もう少し恥じらいを持ってたはずだけど」


 くすくすと笑いながら、カルディアが白い髪に触れると、ノイの頭上で風が巻き起こった。優しい風は温かく、僅かな時間でノイの髪を乾かす。そのままカルディアは長い指で、ノイの髪を梳かし、結い始める。


(まだ、人の髪を触るのが好きなのか)


 魔法使いの多くは、糸を扱うのが得意だ。魔力の扱いと似ているからかもしれない。その延長線上で、髪の毛を編むのも得意な者が多い。

 ノイは面倒だからとブラシで梳くことくらいしかしなかったが、カルディアは幼い頃から、ノイの髪を結びたがった。

 今も、ちょちょいのちょいと結び終えてしまった。頭のてっぺんから編み込みやひねりを入れて、ノイには到底真似出来ない芸術的なかたちを作っている。


 湖の傍に生えていた苺の実のような花弁の花を結び目に刺し、満足気に頷く。


「夜、迎えに行くから。お洒落して待っててね」





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イメージイラストはくろこだわに様に描いて頂きました。
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