15:時を越えた魔法使い
(……どういうことなんだ)
ずぞぞ。オルニス作のトウモロコシがたっぷり入ったスープを飲みながら、ノイは斜め前に座るヒュエトス魔法伯爵――もとい、カルディアを盗み見していた。
夕食のテーブルには、魚の香草焼き、様々な種類のチーズ、カボチャのクリーム煮と、スープが並んでいる。
(こいつが……カルディア? 本当に? あの、天使のように可愛らしい、私の弟子の??)
じとーと見つめながら、ノイはもぐもぐする。
トウモロコシがぷちぷちと口の中で弾ける。
(あの天使が、今は、コレ??)
応援していた舞台女優が売れた途端に文句を言い出す面倒臭いファンのように、懐古に浸りたいわけではないが、それでも、ノイは声を大にして言いたかった。
「昔の方が良かった」――と。
(だって、うちの可愛いカルディアは、幼気な小娘を利用しないし、人の逃げ道を塞がないし、あんな風に……)
ノイはスプーンについたトウモロコシのスープを最後まで舐め取って、俯いた。
(――胡散臭く、笑ったりしない)
皿の底には、スープを掬った跡が残っている。意地汚くも、全てをスプーンでこそぎ落としながら、ノイは唇を尖らせた。
「花嫁さん?」
優雅にナイフとフォークを使って食事を取っていたカルディアが、控えめにノイを呼んだ。
「あんまり口に合わないかな? それとも、やっぱり具合が良くない?」
じっとりとした不機嫌顔で居続けているノイに、カルディアは柔らかく尋ねた。
ノイはブンブンと首を横に振ると、トウモロコシのスープが入っていた皿を両手で握る。
「いいや、美味しい。すごく。おかわり」
カルディアが弟子と知ってしまったからか、遠慮のえの字も無くなってしまったノイは、オルニスに皿を突き出した。
魔法使いは、縦社会。弟子の弟子は、ノイの弟子も同然である。
共に食事を取っていたオルニスも、師匠の婚約者となったノイに強く出られないのか、椅子を引いて席を立った。ノイのスープ皿に、おたまで上手にスープを入れると、ノイのもとに音も立てずに置く。
「ありがとう」
オルニスは返事をしなかった。ノイはスプーンでスープを掬い、涼しい顔で自分の食事を再開しているオルニスを見る。
「美味しい」
「……」
感想を伝えても、オルニスはやはり返事をしなかった。
「すごく。とっても美味しい」
「……わかったから。ガン見しないで」
根負けしたオルニスが面倒臭そうにノイに対応すると、「ふっ」という小さな笑い声が漏れた。
ノイがカルディアを見れば、カルディアが犬歯を見せて笑っていた。
「あのオルニスを初日で負かせるなんて」
「負けていません。折れてやっただけです」
「いいよ。その調子だ。うちではそのぐらい、心臓が強くいてくれた方が助かる」
にこにことカルディアがノイに言う。相変わらず、オルニスの突っ込みにはスルーだ。
ノイはしかし、笑顔を返せなかった。カルディアの笑った顔を見て、慌てて俯いたからだ。
おや、と片方の眉を上げたカルディアがこちらを見ていることを知りながら、顔を上げられなかった。
(――笑った顔は、似てる)
本人が本人だと証言しているのだから、似ているも何もない。本人なのだ。けれどノイの中にはまだ、どうにかして言い訳をしたい余地が残っている。
(……だが、魔力が違うではないか)
そもそも、ノイとカルディアが互いに互いだと気付かなかったのには理由があった。
魔法使いが互いを識別する場合――まず、見た目や名前や性格ではなく、魔力で判断する。
見た目や名前や性格は、状況によって変化することがあるからだ。現にこの三つの内三つとも、百年後のカルディアは変化していた。
だが、生まれ持った魔力が変わる者はいない。
それが自然の理であった。
なのに、カルディアはその性質を変えていた。湧き水のように清らかだったカルディアの魔力が今では、悪天候後の濁った川のよう。
(魔王が孵化した時に、力が混じってしまったのかもな……)
水の中に一度でも混じったインクを完璧に分離出来ないのと同じく、魔王がいなくなった後でも、カルディアの魔力に痕跡を残しているのだろう。
(……はあーあ。昔は、あんなにお師様お師様と――)
副菜を口にしたノイは、フォークを咥えたまま押し黙った。
(……いや、今も、そうか。ずっと、大事にしてくれているのだ)
紫色の雲の上、オレンジの夕日に溶けながら笑ったカルディアは、自身の師であるノイを何よりもの誇りに思っているような口ぶりだった。
(いやそうか。あれ――? そうか。なら、やはりカルディアなのでは? だって私の事が大好きなんだろ?)
なら、全て大丈夫な気がしてきた。
カルディアの中の魔王は消え、彼は師匠のことを尊敬していて、魔法伯という爵位まで叙爵し、きちんと弟子まで取っている。
(――ただ胡散臭いし、子どもであっても簡単に利用する大人になっているというだけ)
あまりある欠点に、ノイは頭を抱えたかった。
(……よくない。ぜんっぜん、よくない。死んだ人間にだけ優しくてどうする。だって、カルディアはこれからも生きていくんだぞ。真っ当な大人にしてやらねば)
年上で貴族で婚約者兼保護者で、既にノイよりも優秀な魔法使いであると理解していても、カルディアと知ってしまったからには師匠としての面が出てしまう。つい昨日――いいや、今朝まで、可愛いカルディアと共にいたのだ。仕方のないことだった。
(だがなあ。今更、名乗り出るのもなあ……)
こんなに見窄らしい魔力ナシがいきなり「私はお前のお師匠様だったんだ!」などと言って、誰が信じるだろうか。
――なんていうのは、建前である。
ただ、ノイは、失望されたくなかった。
『す、すごいっ……! お皿が、浮いた』
『素晴らしい人だった。弱きを助け、強きを挫き――誰よりも優しく、清らかで、高潔で、崇高な魂を持っていた』
かつてあんなに綺麗な瞳を向けてくれた、カルディアに。
そして百年経った今も、遠い星に祈るように師匠だったノイ・ガレネーを心に抱き続けるカルディアに。
「世界で一番お師匠様が素晴らしいです!」とまで言っていた――言われてはいないが、きっと言っていたであろう――あのカルディアに。
(こんなに非力で、たかだか生きていくためだけに見知らぬ怪しい男の婚約者になるような、無力で浅ましく愚かな娘だと、知られたくないっ――!!)
切なる願いだった。
願いで星が動くなら、きっと流星群を起こせるほどの強い願いだった。
(……絶対に、隠し通す)
ノイは決意を込めて飲み干したトウモロコシのスープの皿を、オルニスにまた突き出した。
「おかわり!」
***
「今夜はここで眠るようにとの仰せだ。間違っても、下手な真似は起こさないよう」
涼しい顔でノイを部屋に案内したオルニスは、地獄の炎を称えた瞳で睨み付けると、ドアを閉めて出て行った。
(ものすごく、信用されてない……)
閉まったドアを、ぱちくりと瞬きして見送る。
オルニスは出会い頭から、ノイに対して態度が悪い。当初はいつもの奴ら――ノイの魔力を僻み、魔法以外の方法でしか勝とうとしない馬鹿共――と同じかと思っていたのが、現在のノイが僻まれる可能性は、魔力と同じくゼロだ。
(――まあ、魔力ナシの子どもが、こんな場所に一人でいたら、そりゃあ怪しいか……)
何しろこの浮島は、高すぎる。
魔法使いだったとしても自力で来るのは不可能に違いない。鳥に攫われたと言っても、無理がある。きっと符翼鳥は飛んでこられない。国に数頭しかいない翔翼獅なら、どうにか頑張れば来られるかもしれない。
(とは言えなあ。何故ここにいるのか、私もわからんし……これから一緒に住むのだから、もう少し仲良くなれればいいのだがな)
案内されたのは、リビングにある階段を上ってすぐの部屋だった。
ふかふかの絨毯に革張りのソファー。光沢のある書斎机はよく磨かれていて、クローゼットの後ろにあるガラス窓は大きかった。部屋の隅々まで品の良い調度品でまとめられていて、埃一つない。よく手入れされているのだろう。部屋は広くはないものの、品のいい客間だった。
「着替えるか」
ノイは勿論、着替えの服など持っていない。カルディアと比べて、どちらかといえば背丈が似ているオルニスの服を、寝間着にと貸してもらったのだ。
現在着ている服は、百年前から着ていたものだ。成人女性用の服ではあるが、エスリア王国の服はゆったりとした布を帯で締める形式のため、さほど違和感無く過ごせていた。
ノイが帯を解き、布を肩から落とそうとした瞬間、ガチャリとドアノブが回った。
驚いたノイが振り返ると、僅かに目を見張ったカルディアが入り口に立っていた。
「おや、ごめんね」
乙女の着替えを覗いたとは思えないほど軽い口調で言ったカルディアは、体をするりと滑り込ませ、ドアを閉めた。
「どうぞ、続けて」
にこりと微笑む。
ノイは服に手に掛けたまま、眉根を寄せた。
「着替えているんだ」
「知っているよ。だからほら」
閉めただろう、とでも言いたげに、カルディアはドアを指さした。
中に入って閉められても、何の意味もない。ノイは鼻の上に皺を寄せた。
「用があるなら、改めてくれ」
「用があるのは、そこだから」
ノイはカルディアが指さす方を見る。
そこには、綺麗に整えられたベッドがあった。