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14:時を越えた魔法使い


「……お弟子さんに、慕われているんですね」


 ヒュエトス魔法伯爵と共に外に出たノイは、もう何十年と使っていなかった敬語を引っ張り出してきた。


 ノイは若くして、国一番の魔法使いとなった。若い彼女には、笑ってしまうほどに敵が多かった。若いノイは舐められるのが嫌で、必要な時以外は、(おもね)ることはなかった。

 がさつな話し方は、幼い頃から育ててくれた祖父の影響が強いのだが、社会に出ても頑なに変えようとしなかった理由は、少しでも自分を大きく、また強く見せたかったからだ。ノイの中で、自分以外で自分くらい強い魔法使いとは、祖父をおいていなかった。


 玄関扉をパタンと閉めながら、ヒュエトス魔法伯爵はじっとノイを見上げた。ヒュエトス魔法伯爵が抱き上げているため、ノイの目線は彼よりも高い。

 見上げられ、ノイは首を傾げた。


(……あ。目の色が)


 落ち着いてから見た深紅の目は、カルディアに似ていた。大きな瞳の下に続く、二連のほくろも。


 つい、ノイもじっと見つめ返してしまった。真顔で見つめるノイを見て、ヒュエトス魔法伯爵は口元を綻ばせる。


「おかしな子だね」

「え?」

 ふっと笑った顔は、初めて見せた彼の素の表情にも見えた。

 しかしノイが問い返すと、ヒュエトス魔法伯爵はずっと見せ続けている、どこか取り繕ったような表情を貼り付けた。


「――先ほどまでの話し方。懐かしくて、楽しかったんだけどな。残念だ」


 残念だ、とは言いながら、本当に残念そうには見えない。

 それに、自分の言葉で人が動くことを知っている、堂々とした話し方だった。


 ノイは目をぱちくりとさせた。

 彼女の話し方は、荒々しい。初対面の人間――それも、これからお世話になる人間には相応しくないことくらいは理解していたために敬語を使ったのだが、どうやらヒュエトス魔法伯爵は今までの話し方で構わないようだった。


(寛容だな。――まあ、これほどの小娘になら、何をされても気にならないのかもしれないな)


 小さく頷き、言い直す。

「彼にとって貴方は、良い師のようだ」

 ヒュエトス魔法伯爵は笑みを深める。

「話し方だけじゃなくて、言うことも立派だね。本当に、六十歳のお爺さんを相手にしてるみたいだ」

「なんだと。こんなに可憐なレディを捕まえておいて」

「心から謝罪しよう。俺の花嫁さん」


 くすくすと笑って、ヒュエトス魔法伯爵はノイの小さな手を取り、指先に口付けた。乾いた彼の唇の感触に、ノイはぽかんとする。


(や、やわら……)


 ノイは、幼い頃から魔法ばかりを習っていた。魔法しか、習っていなかった。


 つまり彼女はこれまで、女扱いを受けたことがなかったのだ。


「ははっ――可愛い」


 思わずと言った風に破顔したヒュエトス魔法伯爵を見て、ノイは自分の両頬を抑えた。頬は見事に熱かった。瞬時に、真っ赤になったほっぺたが憎い。


「可愛い花嫁さんをもらって、幸せだな」


 ヒュエトス魔法伯爵はノイが不服そうにしているのを見て、笑うのを止めると、ノイの手を取って自分の服を握らせた。ノイが素直に従うと、彼は一歩ずつ歩き始める。


 ――空に島が浮かんでいる。


 まるで夢のような魔法だ。


 それほど広くない島には緑が生い茂り、木々の隙間から落ちた木漏れ日が地面に煌めく。草木の間を鳥が自由に飛び交い、軽やかな鳴き声が響き渡る。

 島の隅には、ヒュエトス魔法伯爵とオルニスが住んでいる屋敷が建てられている。見渡す限りでは、人工物はこの建物しか見当たらない。

 染料を溶いたように美しい青色の湖には、魚が遊び、水草が泳ぐ。湖の周りに咲いた草花が揺れ、水面に影を落としている。

 太陽に照らされて光り輝く湖面の水が、地上に向かって螺旋状に流れ落ちていた。

 空に浮かぶ浮島は、自然と魔法が混ざり合って生み出されている。幻想的な光景に、しばし状況も忘れて見惚れる。


(……美しいな。そして、なんて魔法だ)


 集中して目をこらせば、この島全体に大がかりな魔法陣が編み込まれているのが見えた。魔力は無くとも、魔力を見る感覚は残っていて安心する。


 ノイの知る魔法陣は、平たい円状のものだ。けれど、この浮島を覆うのは帯状の魔法陣だった。帯状の魔法陣が、まるで浮島の囲いのように、島の周囲にぐるりと円を描いている。


(どれほどの研鑽を積めば、こんな魔法が思い浮かぶんだ……)


 生きていた頃のノイはその莫大な魔力と、抜群の魔法センスから天才だともてはやされた。けれどこの魔法は、そんな次元の物ではない。

 そして、この異次元の魔法を支えるには、膨大な魔力が必要なはずだ。化け物とまで言われたノイの全盛期を遙かに凌ぐ、大量の魔力が。

 それをどのように賄っているのか、ノイは見当もつかなかった。


(面白い……)

 自分の中にあった「当たり前」が「当たり前」で無くなっていく感覚は、魔法を研究しているとよく出会うものだった。けれど今回は、ノイが経験したどんなものよりも、飛び抜けた感覚だった。

 ノイが魔法について考察していると、丘の上からヒュエトス魔法伯爵がすっと指を突き出した。


「ほら、見てごらん」


 彼の指さす先を、そっと追いかける。目前に広がる景色を見たノイは、息を呑んだ。


 あまりにも絶景だった。

 指さす先――島の向こうは、一面の雲だった。雲で出来た一直線の大地。今まさに、雲へ沈もうとしている夕日は強い光を放ち、空は濃藍色から黄色へのグラデーションになっていた。紫色に染まった雲を、強い夕陽がオレンジ色に照らしている。


 美しすぎて、震えそうだった。感極まっているノイを見て、ヒュエトス魔法伯爵はにこにことしている。


「ここは気に入ったかな? 花嫁さん」

「ああ。毎日見たいほど」

「それはよかった。嫌な思い出だけになっては、辛いだろうからね」


 仮初めの婚約者の優しさに触れ、ノイはこの場所に来て、初めて安堵の息をつく。


「ありがとう。旦那さん。貴方の優しさに感謝し、誠心誠意、花嫁業に力を尽くすと誓おう」


「ふふ、本当におかしな子だ」


 笑った際に犬歯が見える。花が綻ぶような、可愛い笑い方だった。


(……ん? あれ?)


 何かが引っかかり、顎に手を添える。

 そんなノイを抱えたまま、ヒュエトス魔法伯爵は雲をじっと見つめながら、おもむろに口を開く。


「――弟子には、何も特別なことはしていない。俺が師匠にしてもらったことを、しているだけだよ」


 ノイが先ほど「良い師のようだ」と褒めたためか、ヒュエトス魔法伯爵がそう言った。謙遜よりも、ほんの少しの諦めと、哀愁がその言葉からは感じ取られた。

 独り立ちしてから師匠を思い返す時、ほんのりと淋しさを伴う心地は、ノイにも覚えがあった。


「……尊敬しているんだな」


 百年も経っていれば、家門も派閥も、もしかしたら魔法の最適解さえ変わっているかもしれない。


(私の想像もつかない魔法があるかもしれない)


 ノイはわくわくしながら、風景を見た。気を失った先ほどと違い、観察対象として見るのは大変楽しかった。


「勿論。素晴らしい人だった。弱きを助け、強きを挫き――誰よりも優しく、清らかで、高潔で、崇高な魂を持っていた」


 とんでもない量の褒め言葉が羅列された。よほど凄い人なのだろう。師を尊敬する気持ちを受け止め、ノイはうんうんと頷く。


「島を浮かすほどの貴方の師ともなれば、魔法の腕も凄かったんだろうな」


「はは。それこそ言うまでもないことだね。何しろ、魔王を浄化した、世界で唯一の魔法使いなのだから」


「――え?」


 目を白黒させるノイに、男がにこりと笑う。

 目の下の二連のほくろが持ち上げられた。

 ヒュエトス魔法伯爵の長い黒髪が、空高くに吹く風に煽られ、ふわりと広がる。目が眩むほどの夕日を浴びた髪が、オレンジ色に輝く。


「彼女の名前は、ノイ・ガレネー。奇しくも、君と同じ名前だね」


 ノイがぽかんとしていると、ヒュエトス魔法伯爵がくすりと笑う。


初ノ陽(はつのひ)の魔法使い、ノイ・ガレネーによって世界が救われ、百年――」


 唖然としているノイに、ヒュエトス魔法伯爵が手を伸ばす。


「白い髪の女の子が生まれると、ノイと名付けられることは少なくない。君もきっとそうなんだろう」


 風に煽られたノイの髪が口に入りそうになっていたようだ。指先で摘まんだノイの髪を見たヒュエトス魔法伯爵が、切なそうに目を細める。


「……君は、瞳の色も、顔立ちも似ている。もしかしたら彼女の、遠縁だったのかもしれない」


 ヒュエトス魔法伯爵の細められた目が、眩しそうにノイを見る。じっと見つめる赤い瞳は、ノイの中に、彼の話す師匠の面影を探しているようだった。


 ノイの背を冷や汗が伝う。


(待て、待て待て待て待て)


 そんなことは、ありえない。

 ノイは身動き一つ出来ず、ぴしりと固まっていた。


(もしそれが、私なのだとしたら――)


 先ほどからずっと、ヒュエトス魔法伯爵は「百年前のノイ・ガレネー」の話をしている。


 そして、ノイは――


(私は、一人しか、弟子をとっていない)


 嫌な予感がした。


「……お前の、名は?」


 なんとか口を開いてそう聞くと、目の前の男は、ノイの予想通りのかたちに、唇を動かした。

 黒髪が風に靡き、夕日の色に染まっていく。


「ああ、ごめん。自己紹介を忘れていたね――俺は天涯(てんがい)の魔法使い、ヒュエトス魔法伯爵。カルディア・エウェーリンだよ」





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イメージイラストはくろこだわに様に描いて頂きました。
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