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12:魔法伯爵の花嫁


 よく磨かれた鏡の中には、少女時代の自分がいた。

 おそらく、十歳は若返っている。まだ師匠である祖父のもとで、魔法の修行に明け暮れていた年頃である。


 ぽかんと口を開く。そう。前述の通り、ノイは驚かされることに、慣れていなかったのだ。


「慌ただしい娘ですね……本当に、誰なんですか。この娘は」

「さあ。庭に落ちていてね」

「庭にっ――って、こんなところに、落ちているはずがないじゃないですか!」

「そう言われてもねえ。あ、でも名前は聞いたよ。ノイだって」

「随分と白い髪ですからね。その名でも不思議ではありませんよ」


 放心しているノイの横で、オルニスとヒュエトス魔法伯爵が話しているが、ノイは全く頭に入ってこなかった。


(――糸巻く糸巻く、くるくると)


 ノイは頭の中で歌を歌い始めた。慣れていることをして、心を落ち着かせようとしたのだ。ノイにとって一番慣れていること、それは――魔力を撚ることである。


 だが、様子がおかしかった。

 ノイは不思議に思い、指をぐるぐると回した。見習いが、最初にやる魔力を操る練習のためのポーズである。言わば、基本の型とも言えた。


 だが、どれほど指を回しても――


「どうしたんだい? そんな魔法使いみたいな動きをして」


 ヒュエトス魔法伯爵は意外な物を見るかのように、ノイの手の動きを見て、首を傾げた。


「どれほど君が魔法を使いたくても、魔力が無ければ難しいだろうに」


「へ?」


 ノイは、人生で一番、間抜けな声を出した。

 そんなことは未来永劫、森羅万象、古今東西あり得ないことだった。


 ノイにとって魔力は、決して自分から切り離すことの出来ないものだった。自分を形作るものを指折り上げていくことがあれば、ノイの持つ膨大な魔力は親指の項目――つまり、一番に上げるべき特徴ということ――である。


 それが今――彼の言葉の通りに、全く感じられなかった。


(――魔力が、無くなる?)


 そんなこと、なったことも無ければ、聞いたことも無かった。

 休息すれば戻る、いつもの一時的な魔力の消費とは違う。ノイは、己の身のうちに、一切の魔力を感じられなかった。


 ノイは愕然とした。自分の魔力を知り尽くしているからこそ、無駄なあがきをしなくても、わかった。


「魔力がない、って。どういうことです?」

 愕然としているノイの頭上で、オルニスがヒュエトス魔法伯爵に訝しげに尋ねた。

「魔力無しに生きられるものなんですか……え、生きてますよね?」

「生きてるよ」

 若干引き気味に言うオルニスに、ヒュエトス魔法伯爵がからからと笑う。


(……っそう、魔法が使えずとも、関係ない! 私は、生きてるんだから!)

 生きているなら、足が動く。足が動くなら、カルディアの元へいける。

 自分のことは、後で考えればいい。とにかく、いの一番に彼の無事を確認したかった。


 だが、魔法が使えないとなれば、誰かに助けを乞うしかない。魔力が無くなったとしても、蓄えならある。金銭での礼ならば、余程ふっかけられない限り、応じられるだろう。

 ノイは気持ちを切り替えて顔を上げた。そんなノイをにこにこと見ていたヒュエトス魔法伯爵が、にこにこと笑ったまま言う。


「とはいえ、魔法に憧れる気持ちはよくわかる。今度、陛下の即位五十年を祝う祭りが王都で開かれるらしいから、そこで何か面白い魔法玩具でも探そう」


「……即位、五十年?」


 ノイの知っているエスリア王国陛下は、フェンガローの父である。彼はまだ齢四十五ほどで、五十年という数字は、あり得ない。


(馬鹿な。そんな、あり得ない)


 嫌な予感がノイの頭に渦巻く。声を絞り出して、ヒュエトス魔法伯爵に尋ねた。


「……すまないのだが」

「うん?」

「今は……エスリア王国暦、何年だろうか?」

「何年だっけ?」

「四百八十二年ですよ」


 覚えていないヒュエトス魔法伯爵に替わって、オルニスが答える。

 ペパーミント色の瞳がこぼれ落ちそうなほど、ノイは目を見開いた。

(どういうことだ……? 何が、起きている……?)

 状況が全く理解出来なかった。


「……――私は一体? ……ここは、何処なんだ?」

 茫然自失しているノイに、ヒュエトス魔法伯爵が憐憫の目を向ける。

「――まさか君、記憶がないの?」

「道理で。反応が鈍いと思いました」


 ノイはまだ返事もしていないのに、オルニスが失礼なことを言う。しかし、ノイはそんなことに構っていられなかった。


(記憶が――ない? いや、あるはずだ。私はノイ・ガレネーで、とっくの昔に成人していて、国一番の魔法使いで、王都の横の山に住んでいて、今はエスリア王国三百八十二年で……)


 だが、その記憶の内、名前以外は全てが異なっている。

 こんな状態で、正常な記憶があると言える気がしなかった。


「そう、みたいだ。……私自身も、よくわかっていないが」

 ノイは曖昧に頷くと、オルニスは綺麗な顔を歪める。

「まだ子どものくせに、古くさい話し方ですね」

「記憶がないんだ。一番身近な人間だった人の話し方を、無意識に踏襲しているのかもしれない。俺も、そういう人を知っている」


 懐かしむように目を細めたヒュエトス魔法伯爵は、小さなノイの頭に優しく触れた。


「不安だろうね。行く当てもないだろう。ここにいればいい」

「先生」


 オルニスが冷ややかな目をヒュエトス魔法伯爵に向ける。その原因が自分であるとわかるだけに、ノイは気まずさを感じた。


(……急いで、王都に戻ったところで)


 百年も経っていれば、心配の種であるカルディアはもう生きていないだろう。それどころか、ノイの知っている者など、誰一人いないに違いない。


(それに……)


 百年経っているという事実こそが、あの時が魔王が消滅したという証拠に他ならない。星詠みの魔法使いの予言通り、ノイは魔王を打ち倒せたのである。


(――魔力を失ったのは、その代償、か)

 世界を救うためだったのなら、この状況にも諦めがつく。

(……これから、どうするか)

 魔力も無くし、肩書きも無くし、目標も無くしてしまった。

(家に帰るか?)

 しかし、百年経った今、家がまだ現存するかもわからなかった。現存したとして、そこには既に他の家族が住んでいるかもしれない。

 それに、家に帰るにしろ、旅に出るにしろ、必要なものがある。


(――あ、お金)

 ノイには今、金が無かった。


 魔力がないと言うことは――彼女がこれまで築き上げてきた実績も功績も全て無くなってしまうということだ。


 せめて銀行のカードさえ持っていれば生活には困らないだろうが――そのカードはノイが生前、フェンガローに預けている。

 もし「百年前に生きていたノイ・ガレネーです。数代前の王様にカードを預けていたので、返してください」と王宮へ押しかけたところで、門前払いは間違いないだろう。下手すれば打ち首である。

 それに手元に戻って来たところで、魔力が無ければ、今度は謎巡(スフィンクス)にがぶ飲みされるだけである。引き落とすことは不可能だ。


(しまった。私――……行く当てが、ない?)


 いや、ある。あるのだ。


(幸運にも、たった今、差し伸べられた手が、あるではないか!)


 ノイは希望を胸に、天からの使者のように優しいヒュエトス魔法伯爵に向き直った。


「あの――!」


 ――しかし、世の中そう甘くは無かった。

 天からの使者だと思わしき麗しの男は、いつの間にか、こすい悪魔に風貌を変えてしまっていたのだから。


「とは言え、俺も一応魔法伯なんていう身の上だし。更にはこの通り、口うるさい弟子もいてね」

「はい? まさか、僕のことじゃないですよね?」

 非常に申し訳なさそうな表情を作ったヒュエトス魔法伯爵に対して、オルニスが額に青筋を浮かべる。


「弟子の手前もあるし、立場的にも……」


 あちらから差し伸べられていたはずの手は、目の前でぶらぶらと揺れ動いて、何故か掴ませてもらえない。


「見ず知らずの人間を屋敷に置くのは――ね?」


 わざとらしく「困ったな」という顔をしたヒュエトス魔法伯爵を、ノイはぽかんと見ている。


「せめて、俺の知り合い……俺にとって大事な人であれば、世間体も守れるし、弟子を説得することも出来るんだけどなあ」


 なおもぽかんとし続けるノイの察しの悪さを僅かに笑ったヒュエトス魔法伯爵は、おほんと一度咳払いをすると、真面目な顔で彼女を見る。


「たとえば……婚約者とか」


 ノイはようやく、そこで気付いた。


(あ! なるほど――?!)


 善意とはほど遠い申し出に、ノイは頭をフル回転させる。魔法に関しては右に出る者がいないノイだったが、残念ながら魔法以外の事は一番左の最後尾であった。


(婚約者になれば、ここに置いてもらえるということか! ……え? こ、この男……! さっき、何の抵抗もなくサラッっと私の事を、利用しなかったか……?)


 あまりの胡散臭さに、ノイは顔に鳥肌を立てた。


(こんなに幼気(いたいけ)な娘が倒れていて、記憶も行く当てもなく不安がっているというのに……?!)


 がめつすぎる。というか、大人として最低である。

 ノイなら二つ返事で引き取っただろう。現に、ノイはカルディアをそうして育てた。

 だがヒュエトス魔法伯爵は、ノイの状況がどうであれ、自分の主張を取り下げるつもりはないのだ。

 ノイが生き残るためには、ここで世話になる必要がある。平たく言うと、ヒュエトス魔法伯爵が望む通り、彼の婚約者になるしかないのだ。

 そうして彼は、たかだか小娘を一人住まわせるだけで、うるさいお見合い爺を追い返す手札を手に入れる、というわけである。


 こんな後ろ盾もない、得体の知れない娘を、誰も本気で伯爵と名がつく彼の「婚約者」などとは思わない。


(けれど、一時しのぎにはなる)


 互いに簡単に差し出せるもので楽になる方法があるなら、それに手を伸ばせるくらいにはノイは大人だった。


 ノイは立ち上がり、大昔にばあやに躾けられていた動きを思い出して、腰を落とした。


「ふつつか者ではございますが、末永く、よろしくお願い致します。婚約者殿」

「幸せにするよ、俺の花嫁さん」


 ヒュエトス魔法伯爵はノイの白い髪を一房手に取ると、そっと口付けた。



 ――かくして魔法使いノイ・ガレネーは百年後、花嫁となった。





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イメージイラストはくろこだわに様に描いて頂きました。
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