00:初めましての求婚
――エスリア王国暦 482年 初夏
「――……ぇ、ねえ」
声がする。
「――ねえ、君。生きてる?」
深い水底に届く、微かな明かりほどに心許ないその声を頼りに、気を失っていたノイは目を開いた。
「……うっ」
強い力で湖面から引き上げられ、喉が唸る。体が泥のように重たかった。
腰まで伸びた乳白色の髪は根元まで濡れている。濡れた布が肌に纏わり付いていた。
呻き声を上げつつ身を捩ったノイを、声をかけてきた人物が抱き上げる。
彼女の両脇に手を差し込まみ、文字通り、ひょいと。
「おや。生きてたね」
空気さえも惚れ惚れとしそうな麗しい顔が、ノイの真正面に躍り出る。
ノイは、息を呑んでぱちくりと瞬きをした。ペパーミント色の瞳で、じっと目の前の人物を見つめる。
自身を抱き上げる男の美しさは飛び抜けていて、ノイはたった今溺れていたことも忘れてしまった。
くるりと丸いペパーミント色の瞳を見た目の前の人物が、ノイも気付けないほど一瞬だけ、息を止める。
「……――君、名前は?」
「……? ノイ」
美しい唇に乞われるがままに、ノイは名前を告げていた。
「……なるほどね」
彼の美しさに面食らっているノイの前で、男はほんの小さな声でそう呟いた。
濡れたノイの目の前にある顔は、それほどに美しかった。星々を生み出す神が細心の注意を払って整えた骨格、木漏れ日を受けて艶めく漆黒の長い髪。
たっぷりの布で覆われた体は、ノイを抱き上げていてもぐらつくことはない。
その悠然とした佇まいからは、不思議と色気を感じた。
陽の光で眩く輝く赤い瞳は、お茶目にもノイの真似をするように、ノイの瞬きに合わせて瞬きを繰り返す。
瞳のすぐ下にある二連のほくろが、ノイの脳裏に焼き付いた。
「初めまして、お嬢さん」
近くにある、形のいい唇が言葉を紡ぐ。
男の美しさに半ば呆然としていたノイは、ハッとして口を開きかけるも、目前にある端正な顔はノイの言葉を押し止めるように、笑みを深めた。
「突然だけど、一目惚れしたみたいなんだ。俺の花嫁さんになってくれない?」
「――……は――い?」
木漏れ日が差し込む大地の上。微かに開いたノイの唇から、掠れた声がこぼれ落ちた。