我儘お嬢様が、意外と役に立つ
我儘ばかり言うので婚約破棄されたという少女がいた。
少女の名をルーチェといい、彼女の両親である侯爵家の夫妻は娘を溺愛していた。我儘な女だと社交界で噂になり、すっかり嫁ぎ先のなくなった彼女を二人は案じていた。
侯爵は北の外れにある貧乏な辺境伯と約束した。ルーチェを幸せにしてくれるなら資金援助をすることを。
喉から手が出るほどお金が欲しかった辺境伯は、その申し出を引き受けたのだった。
・・・
「本当に、あの有名なワガママ姫を迎えるんですか?」
「そう言わないでくれ。噂なんて当てにならないものだよ。実はとても心優しい女性かもしれないじゃないか」
不安げな侍女を宥めながら、アレクは苦笑いをした。
辺境伯であるアレクはあまり重要視されていない。かつては国境を守る大事な一族だったのだが、隣国が滅んでしまったのでピリピリする必要がなくなったのだ。新しい国が建国されたものの、王都を移したこともあって隣国は脅威ではなくなっている。
王家は「誰もいなくなるのは困るが、前ほど防衛費を回さなくていい」と判断した。毎年支払われていた多額のお金は年々削られて、今では最低限だ。
ここで誤算だったのが、辺境は他にお金になるようなものが殆どなかったことだ。毎年カツカツな彼らは、藁にも縋る思いで婚約を引き受けたのである。
「侯爵家の方々は本当に娘を溺愛しているのだろうね。まずは婚約で様子見をするなんて、とても慎重だ」
その溺愛ぶりはすぐに解った。いくつもの豪華な馬車を引き連れてやってきたからだ。その中でも一番に大きな馬車から、輝かんばかりに美しい少女が現れる。すぐにルーチェだとアレクは気付いた。
「ようこそいらっしゃいました」
アレクはルーチェのエスコートをしようと手を伸ばす。
「嫌、触らないで」
「えっ?」
「こんなのに触られたくない。エスコートはオスカーがして」
すぐさま現れた、従者と思わしき瀟洒な男性がさっとルーチェの手を取る。
初対面で噂に違わぬ我儘さを、アレクに対する無礼で証明してみせたのだった。
引きつった顔のままルーチェを部屋に案内すれば、中にあった調度品は全部外に出され、ルーチェが持参した家具が運び込まれた。
この暴挙には屋敷の使用人全員が絶句する。
それでもアレクはなんとかルーチェと仲良くしようと「これからお茶でもしませんか?」と声をかけたのだが。
「嫌って言ってるでしょ。貴方とお茶をしたら不味くなるもの」
「そう、ですか」
流石のアレクも腹が立った。こんな我儘で無礼な女、婚約破棄されて当然だとムカムカする。そんなアレクを見て、ルーチェはハッと鼻で笑った。
「言われないと解らない?アレク様は女性と過ごす作法を教えてもらえなかったのね」
「なっ!?」
「ヒゲも剃り残しているし、腕も指も毛だらけ!お手入れしてなくて目眩がする!辺境では毛を剃らない文化でもあるの?
服だって新品を用意しないなんて信じられない。初対面なのに!服を新調するお金も無かったと主張されて、まるで乞食みたい!
用意してた家具だって倉庫にあったものを引っ張り出しただけでしょう?かなり古いデザインで頭にきたったら!
そんな無礼で不潔な人とお茶を飲む気なんてありません。結婚なんて以ての外だわ。せめて毛を剃って、新しい服にでも着替えることね」
ルーチェは「部屋でお茶を飲むから準備して」と自分が連れてきた侍女に伝えて部屋に戻っていった。
残されたアレクはもう悔しくて恥ずかしくて、年甲斐もなく泣いてしまいそうだった。側にいた従者達も屈辱に唇を噛み締めた。
ルーチェは確かに我儘で無礼だが、言うことは全部が正しい。これでルーチェを侯爵家に送り返したのならば、彼女は声高々に今日のことを周りに伝えるだろう。そうなれば結婚が危うくなるのは寧ろアレクのほうだ。
「湯浴みの用意を」
それならば徹底的に戦おうではないか、アレクの目に闘志が宿った。負けず嫌いな性格はアレクの長所だ。
なんとか磨き上げられたアレクが夕食に誘うと、ルーチェはなんと承諾してくれた。これには従者一同も「やってやった!」と大喜びである。
そう思っていられたのも、食事が始まる前までだった。
「もう貴方と食事はしない。テーブルマナーが酷すぎて食事が不味くなるもの」
ルーチェは食事を殆ど残したままナイフとフォークを置いた。アレクはそんなに酷かっただろうかと自分の手元を見る。いちおうは家庭教師に合格点を貰った事があるのに。
「式典にしか呼ばれないのも当然ね。最低限のマナーしかできないし、会話だって面白くない熊を招待したくないもの。わざわざ辺境から呼ぶだけの理由がない。王家がお金を出さないのも納得した。交際費が必要ないのね」
その言葉はアレクにとって寝耳に水だった。
アレクはあまり夜会に参加したことがなかった。それは辺境ゆえに呼ばれないのだろうと思っていたが、まさか嫌がられていたとは。アレクが王都と疎遠になるほど交際費という予算が削られていたことも、想像できないことだった。
「ルーチェ嬢、一つ我儘を聞いてくれないだろうか?」
「言うだけ言ってみなさいな」
「食事はその、マナーが完璧になってから改めてお誘いしたいと思う、のだが、自分では良くなっている自信はないから、お茶会だけご一緒できないだろうか?貴女の話はどれも色んなことに気付かされるので、もっと聞きたいのだが」
チラチラと相手を窺いながらアレクがなんとか伝えると、ルーチェは深いため息をつきながら頷いた。
「ヴィラのお茶があるなら我慢してあげる」
アレクはひっと小さく声をあげた。辺境で手に入れるにはなかなか骨の折れるお茶だった。
・・・
そこからルーチェの我儘三昧が始まった。アレクの胃が何度も傷んだが、侯爵家が後で補填してくれるのでギリギリセーフだった。
「王都から離れたというのに食事が代わり映えなくてウンザリ。もっと特別な食べ物はないの?」
辺境でのみ捕れる鹿の肉を出したが「臭くて仕方ないわ!」と言い出した。彼女の連れてきたシェフが丁寧に料理したことで事なきを得たが。
「お買い物ができないなんて退屈。行商人を沢山呼んできて頂戴」
彼らが並べるものの殆どはお眼鏡に適わなかったが、唯一あった大きくて美しいネックレスを購入した。とんでもない金額で、辺境の者達も、行商人達も度肝を抜かれた。
「王都で流行ってるドレスなんて、ここに届く時には型落ちもいいとこ。どうせなら、ここにしかないドレスを着たいわ」
彼女の一言で領地にいるお針子が集められ、伝統衣装などが大いに盛り込まれたドレスが仕立てられた。
「石畳がゴツゴツして不快だわ!道を舗装し直して!」
急いで職人を呼んで、大急ぎで道を舗装し直した。ルーチェが「見た目が美しくない」と散々文句を言ったので、白を基調とした華やかな石畳にした。
「久しぶりに劇場に行きたいの。すぐ劇場を作って。ここでしか見られない特別な脚本が見たいわね」
大工をかき集めて劇場を作り、領民の中から見目の良いものを選び、王都から呼んだ役者に演技の指導をしてもらい、地元で伝わる昔話を上映した。ルーチェはもっと衣装に金をかけろと不満げだったが。
「このリンゴジャム美味しいのね。今ある畑の幾つかを潰して、リンゴの木を増やしなさい」
これには流石に農家が反対したが、暫く生活を保証すると言われて渋々頷いた。アレクはただでさえ少ない小麦の収量がもっと減ると目眩がした。
・・・
ルーチェがきて一年が経過した。アレクのマナーはだいぶ良くなり、ルーチェと一緒に食事をするようになって暫くのこと。
「儲かっていないか…?」
行商人が増えた。彼らは沢山の日用品と、高価な装飾品を一つだけ持ってやってくる。ルーチェが装飾品を買えば大儲けになるが、買ってもらえないこともあった。そういう時は交通費だけかかって損になってしまうので、他の人達に売るものを大量に積んでくることで交通費くらいは取り戻せるようにしていた。
行商人達は手ぶらで帰るわけにはいかないので、リンゴジャムなどを大量に購入して帰っていく。彼らが買っていくのでリンゴが足りないくらいで、新しく植えた木が早く育ってくれるのを待つばかり。
行商人達から話を聞いて、興味を持った者達が観光に来る。伝統衣装を模したドレスに身を包み、観劇を楽しんで鹿肉を食べる。ここ以外では楽しめないと何度も来る者もいた。
「1年前に比べて、遥かに潤っている。ルーチェの我儘が全て経済に繫がっているなんて」
アレクは驚きの連続だった。あんなにカツカツだったのに、今年は領民を飢えさせずに済みそうだとホッとする。
そんな時だった。アレクがルーチェの親、つまり侯爵家に招待されたのは。
アレクはこれが交際というものだろうかと考える。なるほど長距離移動はお金がかかるので、交際費ならびに交通費を削られていたのも納得だ。
着いた屋敷はとても豪奢で、侯爵家そのものが潤っていることに気が付いた。
夫妻が家から現れる。この1年で努力し続けてエスコートを許されたアレクはルーチェを伴って歩いた。
「ルーチェ、お帰り」
「不自由はしていないかしら?」
両親からの問いかけにルーチェは答えた。
「それなりに楽しんでいるわ。足りなかったら言えばいいもの」
アレクは胃が少しだけ痛んだが、夫妻は満足気に頷いていた。
それからアレクは侯爵に呼ばれて男同士の話とやらをすることになった。侯爵は手始めに、目玉が飛び出そうな額の小切手をアレクの前に差し出した。
「約束だからね。ルーチェが幸せで良かった」
「頂けません。侯爵様からは舗装などの費用を…」
「いや、あれはルーチェにかけた必要経費だ。援助とは別だよ。あの子の我儘とはそういうものだ」
侯爵はそう言って笑っていた。アレクは小切手に手を付けないまま侯爵と会話を続ける。
「1年間、彼女の提案を聞いて思いました。ルーチェ嬢ほど民を案じている者はいないと」
「ほう?」
「ルーチェ嬢はけして実現不可能なことは仰りません。また、人に全て投げ出すわけでもありません。彼女は自分だからこそできる提案を口にしているのでは、と。最近そう思うのです」
潤った今だからこそ言えることではあるが。
「あの子は侯爵家に最も相応しい子だ。跡取りである兄よりも“らしい”よ」
ルーチェは我儘で無礼で、およそ人に嫌われても仕方のない発言ばかりする。それでも周りが従っているのは、単純に金払いが良いからだ。
理不尽な無理難題は言わないし、やるだけやってもらって報いないことは絶対にない。自分の要望に応えた相手には、そのぶんだけ支払う。
それは確かに侯爵家“らしい”行動だった。周りの人間が言えないこと、できないことを容易く金で解決する。身分が上であるため文句も言わせないし、好き勝手に我儘を通している。それで領地の経済を回してみせているのだから見事としか言いようがない。
「最初に会った時、けちょんけちょんに貶されたんですよ。身だしなみが整ってない、テーブルマナーができてないって。あの時は本当に腹が立ったんですけど、やっぱりその通りだったなと」
「ははは。貴族というのはどれも飢えた獣のようだろう?」
侯爵の言葉に頷くアレク。観光でやってきた貴族と食事会をした回数は一度や二度ではない。そんな状況になって、テーブルマナーを学び直しておいて良かったと心底感謝した。もしアレクが変わらずに最低限のマナーしかできていなかったら、貴族達に馬鹿にされていただろうと容易に想像できる。
今や侯爵家に呼ばれて食事をする身。いくら婚約者の実家であろうと、強い発言力を持つ家で認められたのは大きい。これからアレクは他の貴族達にも興味を持たれていくのだろう。
「これからもルーチェ嬢の我儘を聞いてみます。出来る範囲で、ですけれど」
「いい、いい。娘だって間違うこともあるだろう。やはり君のように前向きな男に任せてよかった」
前の婚約者はどうなったのだろう、アレクはふと疑問に思う。侯爵はそれに気付いたのか、ぽつりと告げた。まるで明日の天気を告げるような気安さで「自力で何かを変える力もなくて、プライドを見ないふりをする気概もなければ、何からも脱することはできないんだよ」と。
没落したわけでは無いだろう。ただ、貧乏であり続けているだけ。ざまあみろとは思わない、ただ抜け出せなかったんだなという感想だけ出てきた。
「ルーチェ嬢が俺を選んでくれたらいいんですけれど」
「それは大丈夫だ。嫌なら既に、我儘を言っているところだよ」
・・・
暫くして、アレクはルーチェと結婚した。初夜の時に初めて「いつも気丈に振る舞っていたけれど、普通の女の子だったのだな」と知り、アレクは本当の意味で愛おしさが芽生えた。
「結婚してからのルーチェは、あまり私の悪いところを指摘しないね」
「それなりになったから結婚したもの。我慢出来ないほどの男と結婚するほど酔狂じゃないの」
「どうせなら、それなりじゃなくて完璧を目指したかったなあ」
するとルーチェは不満そうに鼻を鳴らした。
「我儘という短所がある女に、完璧な男なんて不釣り合いもいいところ。どちらにも欠点があって丁度いいの」
「君の我儘が短所だったなんて久しぶりに聞いたな」
いつも意外に役に立つものだから。
普通に考えて、こんな我儘で無礼な奴は嫌。アレクがわりと聖人。