数年後の春
「立花くん?」
「佐倉!」
「どうしたの?研究室は?」
「それどころじゃない、電車を降りよう、ほら!」
「え?私、これから仕事だけど?」
「わかってる。車で送る」
「え?いやいや、立花くんも院に行かなきゃでしょ?今日は朝から行くって言ってなかった?」
「佐倉を送ったら行く」
「・・・どうしたの?何かあった?」
「佐倉が電車に乗ってるかと思うともう、心配で仕方ないんだ」
「心配って言っても、私、大丈夫だよ?」
「俺が大丈夫じゃない。佐倉が潰されてないかと思うと」
「潰されるって、東京じゃないんだから潰されないよ。高校の時は立花くんもこの線を使ってたんだから、知ってるでしょ?」
「あれから何年経ってると思ってるんだ?」
「何年も経ってないし、何なら利用者数は少し減ってるらしいよ?」
「そう言う話じゃない」
「え?じゃあどう言う話よ?」
「佐倉」
「なに?」
「結婚しよう」
「はあ?こんな所でなに?!いきなり止めてよ!」
「もう我慢出来ないんだ」
「婚約したじゃない?結婚は立花くんが大学院出て就職してからって決めたでしょ?」
「それまで待てない」
「私も勤め始めたばかりだし、生活はどうするのよ?」
「休日や夜間に田中のところでバイトさせて貰う」
「そしたら一緒にいる時間が減るじゃない。ダメよ」
「じゃあ一緒に住むだけで良いから」
「ホントどうしたの?」
「佐倉が一人で電車に乗ってるかと思うと、不安で不安で、トラウマになってるのかも知れない」
「私がトラウマになるならわかるけど、なんで立花くんがなるのよ?」
「潰されないまでも、知らない男と密着してないかと思うと、もうダメなんだ」
「東京じゃないんだから、こっちの電車なら密着なんてしないじゃない」
「知ってる。でもダメなんだ」
「いや、ホントだめだよ?」
「毎日佐倉を学校まで車で送る」
「帰りはどうするのよ?」
「もちろん、迎えに行く」
「部活見たりしたら遅くなるよ?生徒の相談に乗ったりもするかも知れないし。朝だって早出する日もあるだろうしね?」
「構わない」
「構うわよ、もう。仕方ないわね。仕方ないから、それなら私が車で通勤するわ」
「いや、それはダメだろ?」
「立花くん家で一緒に暮らすんでしょ?そしたら車で立花くんを送って、私はそのまま学校に行けば良いんだから。時間が合わない日は、立花くんは電車を使えば良いし」
「どう考えたってダメだろう?この電車が満員になる確率より、佐倉が事故を起こす確率のほうがどれだけ高いと思ってるんだ?」
「失礼ね。こっちは東京ほどクルマが走ってないから大丈夫よ」
「道が空いてる分、みんな飛ばすじゃないか。佐倉が悪くなくたって、もらい事故だってあるんだからな?」
「もらい事故ならしょうがないじゃない。危険なのはみんな一緒でしょう?」
「自分の反射神経を考えろ」
「反射神経だって結構あるわよ」
「ゲームをチュートリアルで諦めるような人間が、クルマの運転なんてムリだろ?」
「あれはゲームだからよ。来るのはちゃんと判ってるんだから。避けられないだけで」
「余計だめじゃん。免許を持ってるかどうかと運転して良いかどうかは、別だからな?」
「じゃあ、どうしたらいいのよ?私と一緒に暮らしたくないの?」
「え?いや、もちろん一緒に暮らしたいけど、立場が逆になってない?」
「なってないわよ。私だって早く一緒に暮らしたいし」
「わかった。取りあえず本家に行こうか?ハルさんとコウゾウさんにも来てもらって」
「本家に両親と?一緒に暮らすから?」
「それも許可を貰うけど、佐倉が運転するの、ミエさんにも反対して貰う」
「なんでお祖母ちゃんに言うのよ!」
「ミエさんとご両親を説得出来たら良いよ。あ、ヒロキさんも呼ぼう」
「なんでお兄ちゃんまで!私は立花家に嫁に行くんだから、本家もお兄ちゃんも関係ないじゃない!」
「え?そんな事言うなら、俺が佐倉家に婿に入っても良いよ?」
「なんでよ!それこそそんな事言うなら、立花くんが跡を継がないって言ってたって、立花くんのお父さんとお母さんに言い付けてやる!」
「ウチの親も、佐倉が運転するよりマシだって、許すと思うぞ?」
「なんでよ!収入も足りないのに立花家から出ちゃったら、どこに住むのよ!」
「佐倉家本家?」
「え?ホンキ?確かに近くて便利だけど。もしかして佐倉家を乗っ取るって話、その気になってないよね?」
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「そんな風に、あの線で通学するなら、二人にも素敵な出会いがあるんじゃない?」
「出会ってないじゃん」
「お祖父ちゃんとお祖母ちゃんが出会ったの、中学でしょう?」
「付き合い始めたのだって東京だって言うし」
「一高と一女の合併も何年も前なんだし、共学になってからは校内で普通に出会いがあるはずよ?」
「でも二高や三高の人たちと、車内で出会うかもしれないじゃないの?」
「二高は逆方向じゃん」
「三高は途中ですぐ降りちゃうでしょ?」
「まだ田中の祖父ちゃん祖母ちゃんの話のほうが、参考になるよな?」
「面白さで言ったら、お祖父ちゃんの佐倉家乗っ取り宣言は参考にして良いんじゃない?」
「お前たち、そんな事言うなら入学祝い返しな!」
「え?なんで?いやよ!」
「やべ!逃げよ!」
「待ちなさい!逃さないわよ!あ!立花くん!」
「おう?どうした佐倉?」
「その子達捕まえて!」
「お祖父ちゃん!どいて!」
「わあ!俺ばっかり狙うな!」
「あはは、逃げられた」
「あははじゃないわよ」
「どうしたんだ?」
「あの子達に私達の頃の通学電車の話をしてたのよ」
「ああ、そうなのか」
「もう、二人とも生意気になって」
「俺達だって、あんなもんじゃなかったか?」
「それはそうかもしれないけど」
「だろう?ちょっと懐かしいよな」
「ああ、まあそうね。懐かしいわね」
「なあ?」
「うん?」
「二人の入学式、電車で行ってみないか?」
「え?大丈夫なの?」
「ああ、多分」
「無理してない?」
「いや、リベンジのチャンスかと思って」
「もしかしたら、最近筋トレしてたのって、そのため?」
「はは、バレてたか?混んでも佐倉の事、守れる様にと思って」
「やだ、嬉しい」
「それで、もし大丈夫だったら、学校に通わないか?」
「え?なんで?」
「図書室を一般にも解放してるんだろう?一女の蔵書だった本も読んでみたいし、佐倉が昔言ってた本が残ってないか、一緒に探さないか?」
「本?なんだっけ?」
「佐倉がいきなり犯人を教えたやつだよ」
「ああ、あれ!よく覚えてるわね?」
「いや、犯人誰だったか忘れたんで、今なら読んでも良いかと思って」
「え?忘れたの?あんなに怒ってたのに?」
「そうでもないだろう?」
「すごい剣幕だったじゃない。試しにもう一度教えてみようか?」
「せっかく忘れたんだから、やめて」
立花が佐倉一族の前で「佐倉を俺にください」と言ったのが「佐倉家乗っ取り宣言」。みんなに「私も佐倉だけど」と言われて「俺の佐倉は一人だけ」と返し、親族をみんな下の名前呼びさせられる事が決定。
結婚後にもうっかり佐倉を佐倉呼びしてしまったので、立花も立花くん呼びされて今に至る。