#07 「にげる」を選択した
この物語のテーマはジェンダーです。
物語の進行上の表現、オタク的表現があることをご了承の上、もし配慮が足りていないと感じる箇所がございましたらご指摘お願いいたします。
必要性のご説明や表現の修正を行わせていただきます。
また、一部過激な描写を含みます。
翌日、魔王とは一旦離れて食材の買い出しをした後、再び森へとやってきた。昨日より早い時間に販売できるよう準備を始める。
なんだけど、昨夜からみんな口数が少ない。リオはなんとなく分かるけど、キザシまで? 何か対策を考えてるから? こんな状態で店を回せるのか心配だわ。
「ずっと考えてたんだけどさ……」
荷台の中で座りながらリオと作業をしているキザシの声が聞こえ、外からこっそりと窺ってみる。
「うん?」
「お前は魔王がどういう意味で触りたいって言ったのか分かってねぇだろ」
「意味……?」
「暢気に育ったお前が羨ましいわ……」
キザシはやんわりとリオの肩を押した。多分勢いを付けると勇者のリオのほうが一枚上手だと思ったのだろう。思惑通り抵抗しなかったリオの背が荷台の床に着く。
押し倒しちゃった……。え? 待って。え? 何この展開?
「キザシ……?」
キザシの手がリオの髪を撫で、頬を滑り、服の上から上体に触れていく。
エッッッ。
「俺よりも、魔王は意味を持ってお前に触るぞ」
「……どういうことだ?」
「……覚えておけ。俺に触られた時と魔王にそうされた時、感じ方に違いがあれば、お前の探してる答えは見つかる」
「……キザ、っ」
「っと、悪ぃ、変なとこ触ったか?」
「いや、ちが……人の恐怖心を、感じる……」
バサバサと多数の鳥が飛び立った方向で大きな音が聞こえた。
なんてタイミングで魔物が出てくるの。本当にキザシの手があらぬところに当たったかと思ったわ!
「チッ、魔王のクソ野郎が……昨日ので全然納得してねぇじゃねぇか……。まぁ俺の所為でもあるか」
「キザシの……?」
「……先行ってるぞ」
荷台から出て森の中へ走るキザシの傍まで飛び、付いていく。
「キザシ! 大丈夫なのよ……?」
「は? 何が?」
「顔色が……良くないのよ」
そういう意図に気付かせる為に演技してくれたのは分かる。でもそれはキザシが過去にされたことを元に再現したものだろう。嫌な記憶を呼び起こさせてしまうには十分な行為だ。
口では下ネタは言うけど、実際に行動に移せるほど浅いトラウマじゃないはずだ。
「俺はストレートなんだ。男の身体触るなんて慣れねぇことした所為だろ」
「……リオの為に、ありがとうなのよ」
「あいつが自覚して世界が平和になるってんなら、やった甲斐があったって思えるんだけどな……。フィエスタは避難誘導してくれ」
「分かったのよ。気を付けて」
「おう」
魔物がどのくらい、どの範囲にいるか把握できない以上、私たちが来た方向に逃げるよう指示を出す。ここの森には詳しくないけど出入り口近くから来たからそこから逃げられる可能性は高い。
ある程度人の姿が見えなくなりキザシと合流すると、怪我人を守りながら魔物に囲まれているところだった。いくら器用でもマナの消費は激しいはずだ。あれじゃいつまでも持たない。
弓の音が聞こえたと思ったら、矢が魔物に命中した。
魔物の数を見る見る減らしていく。
木の上にいるシエラを見つけたキザシが声を掛ける。
「あいつ……シエラ!」
「はっはひ⁉」
「っつったな⁉ こいつの治癒をする間任せていいか!」
「昨日の売り子さん……! 承知しました!」
「売り子て……けどありがてぇ」
目を閉じ集中するキザシは治癒に専念し、歩ける程度まで終えると怪我人に逃げるよう伝えた。
「キザシ頭下げてろ!」
「っ⁉」
リオは愛剣エリシオンをぶん投げ、キザシの死角にいた蜘蛛の魔蟲(まむし)を斬った。
「おいおいおい……っぶねぇな」
「気を付けろ、魔蟲がいる」
「魔蟲って……虫が巨大化するあれか? 空想上の生き物じゃねぇのかよ……」
「俺も1回しか戦ったことがない。集団で来るから魔物より厄介なんだ」
「シエラのお陰で魔物は減ったが……これからってわけか」
集団で魔素を集めようとするってことは、魔王がマイナスの感情を強く抱いてると考えられる。300年前魔蟲が現れた時に何があったかは知らないけど、今回のこれは明らかにキザシへの嫉妬が原因だ。
早いとこ魔王城に行かないと、被害はこの森だけじゃ済まなくなる。けれど今優先すべきはわらわらと集まってくる魔蟲を1匹ずつ退治していくことだけだ。
「すげーな……自分で取り柄だって言いきれるわけだ。動きに無駄がねぇ」
リオの戦闘を初めてまともに見たキザシが感嘆を漏らす。
シエラも確実に一矢で1匹仕留めていく。かなり腕が良い。ただの食いしん坊じゃなかったのね。
「リオ、ある程度減らしたら魔王のところに行け」
「え? でも……」
「お前が向き合うべきは魔王だ。じゃなきゃ、いつまでも終わらねぇだろ……」
「……俺の所為か? いつまでもゼストを待たせてしまっているから……」
「お前はただのきっかけ、魔王が感情をコントロールできてないのが原因だ。いいからハグでもキスでもして甘いセリフ吐いてりゃいいんだよ!」
「あ、甘いセリフってなんだよ……」
「自分で考えろ! お得意の褒めちぎりでもしてりゃいいだろうが!」
キザシ自棄になってるわ……。段々めんどくさくなってきたのかな? それでも魔蟲たちを次々斃してるんだから、そういうとこ本当器用だわ。
「リオ! 森を出て暫くしたら私が魔石で呼ぶのよ」
魔法が使えないリオは魔石を使うことができない。だから私が代わりに起動させなきゃならない。ふたりの会話を聞きたいとかじゃないから。断じて。
それにここで呼んだら魔蟲たちが散ってしまう。ここはここで仕留めたほうがいい。
「……来てくれるかな」
「逢いたいってひと言言えば飛んでくるのよ」
「そうかなぁ……?」
「リオは私が逢いたいって言えばすぐ来てくれるでしょ? 信じて」
「……うん。キザシ、とシエラ! ここは頼んだ!」
リオは馬車まで戻り、荷台と離した馬に乗って森を出た。
馬ってこんな速いの。風で飛ばされそう。
森から十分距離を取った辺りでリオは止まった。魔石に私のマナを込め起動させる。
「……ゼスト? 聞こえるか?」
【……店はどうした。まだ終わらないのだろう?】
「え、っと……ちょっと、ゼストに逢いたくなって……?」
疑問符付けてどうするの。
【分かった……どこにいる?】
大体の森からの距離と方角を伝えれば、数分で魔王は現れた。
「済まない、呼び出してしまって」
【構わない。用でもあったのか?】
私は小声でリオに「キザシに言われたなんて絶対言わないでなのよ」と釘を刺す。とはいえ、ハグもキスも甘いセリフもどう切り出せばいいのか私にも分からないわ。
リオたんがんばれ!
「用は……ないんだ」
【……む?】
「昨夜、変な感じになっちゃっただろ? ゼストを不安にさせたままなんじゃないかって……」
【……ああ、さっき魔素の供給があった。今は止んでいるな。大丈夫だったか……?】
「うん……俺、どうしたらいいかな? 今できることあるか? してほしいことは?」
【……それは勇者として言っているのか】
これはまずい。リオが魔物を鎮める為だけに魔王を呼んだみたいに思われる。
実際そうなんだけど、そう思われちゃダメだ。
「……分からないんだ。全部、俺が悪いんじゃないかって思うんだ……。魔王の封印を解いたことも、ゼストの感情を揺るがしてしまうことも、勇者である、俺が、人間に害をなしてて……俺が生きていることで、みんなを傷付けているんじゃないか……」
【リオ……自分を責めるな。責めを負うべきは俺のほうだろう】
魔王は鼻先でリオの心臓当たりに触れた。
【その悩みは、お前に心を寄せた俺が招いたことだ。俺の所為にしてしまえばいい】
リオはそれを手で退けさせた。前に魔王が撫でるなって言ったから直接鼻先を触ったんだろう。
「できないよ。死ねない苦しさが分かってしまった……魔物が人を襲うのはゼストの本意じゃないんだろう? それなのにずっと魔王として役割を果たしている。もう十分負ってるだろ……。凄いよ、ゼストは……」
こんなに弱っているリオを初めて見た。
考えてみれば思い悩むのも無理はない。勇者の責務だけじゃなく、今は守るべき人間たちを脅かす要因になっているんだから。
今まで多くの期待を背負ってきたリオがなんの為に戦い続けてきたのか、私は見てきた。
【俺の我儘でお前を苦しませてしまって、悪かった……】
「……」
【もうお前に触れたいとは言わない……俺を封印しに来い】
「……ゼスト、済まない……」
【謝るな。お前に非はない】
「非はあるよ……俺は自分が苦しいから逃げるんだ。ゼストを巻き込んで、フィエスタを哀しませるのを分かってて……それでも、もう、解放されたいと思ってしまっている……」
もしかして300年前からずっと、最終決戦よりももっと前からそう思ってたんじゃないかと脳裏を過ぎった。
リオの心はもう限界に近かったんじゃないか。
それなのに魔王も私も生き返ってくれたことを喜んで、優しいリオは本心を言い出せなかったんだ。
私たちはなんて残酷なことをしてきたんだ。
【お前が心を話してくれたこと、俺は嬉しく思う……。今まで身を粉にして他人の為に尽くしてきたんだ、リオがしたいようにしても誰も文句は言わないだろう。……辛いなら、我慢するな。逃げていい】
「……っ、済まないっ……」
はらはらと雫が落ち地面を濡らす。
リオの涙を初めて見た、とようやく気付いた。