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牙達  作者: 七味酒
第壱章 種蒔
6/14

 この世界の食糧は全てコガラシ社によって供給されている。

 食糧に関しては言えば、原料はコガラシ社のみしか生産を許可されておらず、どこで、どうやって生産されているかなんて分かったものではない。そして、低級地区では豊かな食生活なんてほとんどできないため、美味いもの食べたいのなら必然的に中級地区以上に行くしかない。もっとも、上級地区に関しては、許可なきものは入ることすら叶わないのだが。その中で、低級地区でも酒の飲める場所はある。人気のない小道にある居酒屋"舞"に歩を進めればよい。

 カウンターの片隅に落ち着いて、俺はチビチビと酒を味わう。

 美味い。

 ここは割と美味い酒が飲める秘境の地みたいなところだ。低級地区には他にも酒が飲める場所は意外とあるが、ここ以上に美味い酒が出るところはない。

 隣に座る悟が飲む酒も、かなりの名酒だったはずだが、あいつに良さがわかるかは知らない。

 店の時計は10時を示す。

 昨日は和田さんの命令通り、帰宅してすぐに爆睡し、目が覚めた頃にはいつもの真面目な働き者の青年と生まれ変わった。

 そして、もう一つの命令を遂行するために、中村に連絡し、ご飯の話を伝えたところ、連れて行きたい人がいるがいいか、と言う。2人分の飯代に一瞬躊躇したが、治療費に比べれば安いと、快諾した。そして、その相手の名前を聞くと俺はすぐに名案を思いついた。中村の後すぐに、悟へと連絡を取った。


「悟、中級地区に飯へ行くぞ」

「は? なんでわざわざお前と」

「嫌か」

「そう言う問題じゃなくて、なんか祝い事でもあるわけでもないのに、高い飯行く理由がねぇよ」

「そうか、たまたま川瀬さんと一緒に食事をする機会があったのだがな……」

「やっぱたまには美味いもん食わねえとな。どこに何時だ?」


 単純な男だ。

 この案は飯代が折半されるだけではない。恩を売っておけば、もしかしたら全員分の飯を奢ってくれる可能性もある。我ながら名案だ。

 と、こういう甘えた考えは大抵うまくいかないと、痛感させられた。

 女2人だから、そんなに値は張らないと言う考え自体、間違いだった。

 中村は付き合いがそもそもあるから、大食らいなのは知っていたが、あの小柄で可愛らしい姿の川瀬さんがそれをも上回る大食らいだったのだ。


「自分で出すから大丈夫ですよ」


 川瀬さんは、顔色一つ変えずに言ってくれたが、こちらから誘って女性に払わせるのは忍びない。


「いやいや、俺が出すから好きなだけいいですよ」


 一方、汗を出しながら言ってのけた悟には、この日ばかりは感服せざるを得ない。彼は漢だった。

 治療代が浮いたものの、その日の勘定には思わず目を剥いてしまった。

 その後は、2人のミニブラックホールを見送り、半ばヤケクソでいつもの"舞"にハシゴしたわけだ。


「はあ……」


 柄にもないため息をつくのは悟だ。いささか頬が紅く染まっており、グラスを眺めている。


「どうした」

「はああああ……」


 ふと今度は俺の方をじっと見つめた。野郎に真っ直ぐ見つめられても、ただ気色悪さしか感じない。


「……だからどうした」

「川瀬さんって、なんであんなに可愛いと思う?」


 娯楽の少ない低級地区において、今流行っているのは薬だ。そのせいで焦点の合わない目で、意味のわからない言葉を叫び始めることもある。


「だが、数付でいきなり薬に手を出すのもなぁ……」

「誰が薬をやってるって?」

「おお、悪い。聞こえてたか」


 酔いが回ると、頭で思っていたことが口からそのまま流れ出てしまう。気をつけねば。


「川瀬さんは可愛いだろぉ? それもうんと可愛い」

「そんな主観で語られても困る」

「なんだよ、それなら可愛くないとでも言うのか?」

「可愛いと思うぞ」

「ほら! 言ったな? 今度みんなに言ってやろ」

「勝手にしろ。どっちにしろ、従参組のお前と玖組の川瀬さんじゃ不釣り合いな話だ」

「んだとお前、あんまりな言い方じゃねえか!」

「事実だろうが!」


 幸いなことに、今は俺ら以外に客はいない。

 おかげで店の中で大騒ぎをしている、この馬鹿と好青年を咎める人はいない。他に客がいたなら迷わず引っ叩いて、外に引き摺り出すところだ。少々の暴力じゃ、こいつは怪我をしないだろう。

 店主に目配せをすれば、苦笑しつつも水を持ってきてくれる。受け取った水を一気に飲み干す姿は獣だ。万が一、いや億が一に、この頭晴れ晴れ男と、あの可愛らしい川瀬さんが並んで歩くことが起きたのなら、十中八九は数付を呼ぶだろう。残りの一か二は逃げ出すだろう。


「そう言えば、お前本当に治したんだな」


 急に酔いも覚めるような話が出てきた。


「ど、どうした、いきなり」

「いや、昨日まで松葉杖だったのに今日はもうなくなってるんだなって」

「まあな、治療費は組が持ってくれるらしいがな」

「え? うちの組にそんな金あったのか?」

「知らん。和田さんがそう言ったんだから、そうなんだよ。おかげで今日の飯になったわけだが」

「へぇ。まあ、今回の仕事は相当成功させたいみたいだしな……」


 悟はいきなり遠い目をする。


「いつだって雑用としか思えねぇ仕事ばかりでよ、いきなり数付っぽい仕事が来たかと思えば、どれもこれもただ顎で使われるだけで……」

「それでもって、使い捨てにされる」

「ああ、そうだよ。金が手に入ると思ったけど、結局低級地区暮らしも変わらねぇし」


 あの悟が珍しく不満を吐き出している。

 かと思えば、だけどよ! といきなり大きな声を上げた。


「だから、今回はチャンスってわけよ!」


 いきなり鼻がつかんばかりの距離まで顔を近づけてきた。

 吐き気を催したのは、この男の顔面のせいなのか、酒を飲みすぎなのかはわからない。


「うまくいけば、金はたくさん入るだろうし、出世もあり得る。なによりこの従参組という場所から脱却できるわけだ。そうすりゃあ、もっとマシな生活を送れるってことさ。そうすりゃあ、少しは川瀬さんに近づける!」

「報酬は確約されているわけじゃないぞ」

「んなもん、分かってる! ……だが、そんな風に思わねえとやってられねぇだろ」

「……」

「おめぇこそ、そうやって冷静なフリをしてるが、期待してんだろ?」

「さあな」

「いや、俺と同じだ」


 少し動悸が早くなった気がする。


「健司こそ、今この状況を打破したいはずだろ?」


 この悟、酔うと恐ろしく核心をつく。もっとも明日になれば、いつもの能天気に戻っているわけだが。


「考えてもみろ。どうして、俺らが数付に入ったのかを」

「……お前に誘われたからだ」

「そりゃ、そうだ。だが、お前としても何か思って入ったんだろ?」


 こうなれば、言い返す言葉もない。この男も俺の身を感じていることが理解できるからだ。

 いつになく熱弁振るう悟の目には、うっすらと涙浮かんでいる。


「今の従参組も仲間同士の居心地は悪くねぇ。多少、暗いがみんなと仕事はしたいさ。だけど、同期はどうなった? みんな、従参組から出ていっちまった。もう、俺とお前しかいねえ。悲しい話だろ。だからこそ、俺とお前で、本当の実力を……俺とお前なら……なあ? ……‥お前なら…………」


 徐々にスローダウンしたかと思えば、悟はそのまま机に突っ伏して気持ちよさそうに眠り始めた。まったく自由な男だ。

 そんな男を尻目に俺は口元を押さえて、ゆっくり立ち上がった。


「すいません、トイレ借ります」


 どうやら飲み過ぎらしい。



 ────




 とある改造屋で事件が発生したのは、その翌日のことだった。

 和田さんと悟と俺の3人で明日の打ち合わせをしていたときだ。一応、話にしに行くだけとはいえ、相手も歓迎してくれない可能性もある。そのために銃や防弾着などの装備も必要になる。そんな中、職場に一つの着信音が鳴り響いた。

 それを和田さんが出て、しばらく話をするが顔色一つ変わらないため内容がよくわからない。その後、受話器を置いて、


「殺人が起きたそうだ。例の改造屋で」


 そう告げる和田さんの表情はわからなかった。

 俺の方はと言うと、いきなりの内容にただ呆然とするだけだ。悟も同じらしく、口をだらしなく開けている。

 声色的にそこの店主が被害者なのは想像に難くない。ということはだ。我々は必死に調査し、掴みかけたチャンスがスルスルと抜けていったわけだ。

 いや、まだ全てが終わったわけではない。それは分かっている。だが、こうして一つ無駄になってしまったかと思うと力が抜けるような感覚に陥る。


「……お前ら準備をしろ」

「はい?」

「準備をしろって言ってるんだ。訪問は今日に前倒しだ」


 理由がよくわからなかったが、あの鋭利な目で睨まれると口をこれ以上挟めない。


「お前ら、勝手に終わったと思うなよ。まだ、チャンスはある」

「まだ?」

「安心しろ。あの改造屋は西区の低級地区にある」


 この言葉が意味するのは、西区を管轄するのは漆組ではある。つまり、意味するのはそこに、森さんと三森さんがいるわけだ。


「勝手に現場行っても、問題ないと言いたいんですか?」

「そこまでではないが、大事にはならないわけだ」

「ずいぶんと、思い切ったことを……」

「分かったら準備をする、いいな!」


 これ以上無駄話をしていられないらしい。この後もダラダラとしていたら、あの目で射抜かれてしまいそうだ。

 そうならないためにも俺はせっせと準備をした。


「ほら、行くぞ」

「は、はい」

「あ、ちょっと……」


 悟のことは放って、俺は和田さんの後に続いた。

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