[9]まどろみと衝撃
「ん……あ……ああっ!? すみません~!!」
それから三十分程した頃、いきなりモモが飛び起きて大声を上げた。
「あ、モモ? 目が覚めたのね。大丈夫よ、ゆっくりしていて」
「茉柚子さん……お、お帰りなさい」
半身だけを起こして周りを見回したが、園長は席を外していた。自分の両隣には未だ眠りに落ちたままの子供達が数人いるが、幾人かは目覚めてまた何処かへ遊びに行ったようだ。
「あのね、モモ。ちょっと話があるのだけど、良いかしら?」
一段高くなっている畳敷きからフローリングに降り立ち、茉柚子の寛ぐテーブルに近付く間に問い掛けられた。──何だろう? 茉柚子さん、あたしの目を見なかった……?
「はい……では、ちょっとお手洗いだけ行ってきます」
モモは僅かな不安を感じながら、頷く茉柚子を背にして、数部屋先の化粧室に向かった。
☆ ☆ ☆
「モモ」
用を済ませて再び廊下に出たモモを呼び止めたのは園長だった。
「あ、はい。さっきはすみませんでした……久し振りに一緒に遊んでたら眠くなっちゃって……」
振り向きざま照れ臭そうにはにかむ。
「みんなと遊んでくれて嬉しかったわ。それより……茉柚子がこれから話すことなんだけど……」
「はい……?」
園長は一度床に目を落とし、モモを見上げて少女の両手を取った。
「お願いだから『自分』の行きたい道に進んでちょうだい。わたし達のことは二の次にして、飽くまでも『自分』の心の赴く方へ……良いわね?」
「え? は、い……?」
モモは園長の潤んだ瞳に胸の詰まる想いがした。一体これから何が話されるのか? 茉柚子といい園長といい……明らかに楽しい話でないことは予測された。
「お願いよ。お願いだから『自分』を大切に……約束よ」
「は、はい」
念を押されて意味も分からぬまま了解したモモを、園長は解き放し茉柚子の許へ促した。歩を進めながら今一度振り返った先の園長は、いつになく小さく弱々しい姿に映った。
「お待たせしました、茉柚子さん」
モモは再び部屋に戻ったが、昼寝組は跡形もなく消え、茉柚子だけが背を向けて座っていた。
「あの……お話って?」
茉柚子の右隣の椅子に腰掛け、少し高鳴る鼓動を忘れたいように早速問い掛ける。
「ね、モモ。サーカスから此処までのバスに乗って、街並みが変わったことに気が付いた?」
茉柚子は目の前にお茶を差し出しながら話を始めたが、露骨に本題に入るのは避けた様子だった。
「あ、はい。近く新幹線の駅が出来るって聞いてますし、随分都会になってきたなぁって」
茉柚子の横顔がモモの言葉を聞いて、相槌を打ちながら一度目を伏せた。
「そうなの。それでね、この辺り一帯が大きな複合施設に変わることになったのよ。ショッピングモールや映画館、それに劇場も出来るの、凄いでしょ?」
「ええ……はい」
──この辺り……一帯?
茉柚子のテーブルに置かれた両手が結ばれて、グッと力が込められた。ゆっくりと上げられた悲痛な面持ち、瞳には涙が溢れて、その一筋が落ち、モモは慌てて自分のハンカチを差し出していた。
「モモ、お願いよ。私達を助けると思って……戻ってきてくれないかしら……サーカスを辞めて」
──えっ!?
此処一年弱で一体何度目の金縛りになるのか──モモはまたもや息の根が止められていた──。
★次回更新予定は十月十九日です。




