[7]きっかけと心の言葉
「ごめんなさいね、貧血気味なのかしら……最近ちょっと調子が悪くて……」
「いえ、そんな時にすみません……あの、今日はこの辺で……」
カーテンの向こうから蒼白い顔で現れた夫人へ、慌てて退席の意を口にしたが、夫人は「大丈夫だから、もう少しいてちょうだい」と、二人は再び元の席に収まった。
「ね……あんまり思い出したくないと思うけれど……モモちゃんは、あのプレハブで洸騎君に抱き締められてしまったのよね……?」
「は、はい……」
夫人は一度紅茶を飲み、その温かみとコタツの熱で、少しだけ顔色を戻して尋ねた。
「洸騎君、ちょっと焦っていたのかもしれないわね……離れていた二年半の間に、モモちゃんに好きな人が出来てしまったんじゃないかって。女性って──今はそうでもないのかもしれないけれど──どちらかと言ったら受け身な存在でしょ? 世の中には『俺について来い』タイプの男性を好きな女性もいるから、男の人って時に勘違いしてしまうのよ。強引に攻めれば、女性もその気になるのではないかって」
「は、ぁ……」
モモは夫人の会話の中身よりも、その話の間に見せた少女のようなにこやかな微笑みに驚き、不自然な相槌を返していた。
「うちの鈴原ね、あれで結構、そういうところがあったの」
「鈴原お兄さんが!?」
「ふふふ」と屈託のない笑みで答える夫人。モモは大きな瞳を更に見開いた。
「随分頑張ったんじゃないかしら。モモちゃんも気付いている通り、実際はそういうタイプじゃないでしょ? 誰に吹き込まれたのか知らないけれど、なかなか積極的だったのよ。その勢いにほだされたつもりはないけれど、いつの間にか彼のこと、好きになってたわ……でね、プロポーズの言葉は何だったと思う?」
あのどちらかと言えば言葉数の少ない、温和で優しい笑顔のお兄さんが!? とモモは目を丸くして「分かりません」とかぶりを振り、夫人の次の言葉を待った。
「『僕は、猛獣です! サーカスの猛獣には猛獣使いが必要だ! 貴女が僕の猛獣使いになってください!!』……ですって」
「えー!?」
思わず大きな声で驚いてしまった。鈴原の真似をするように、出来るだけ低い声で答えを出した夫人の言い方も明らかに滑稽さを誇張していたが、いやそれにも増して、その内容が鈴原らしくなくて余りにも可笑しかったのだ。
「笑っちゃうでしょ? でも頑張って真面目な顔してそんなことを言ってくれたこと、本当に嬉しかったわ。それで結婚を決めたのよ。本当はもう少し空中ブランコをしていたかったけれど」
「あ……」
その時モモは、昨春の誘拐予告が出された夕、夫人と凪徒の練習風景を見ていた自分に、暮が教えてくれた『夫人の想い』を思い出した。
「あの……あたしも誰かと一緒になったら、空中ブランコを怖いと思うようになるんでしょうか?」
「え?」
モモはあの時の暮の言葉を夫人に説明した。
『男性は家庭を持つと、それを養う為にまた精を出す──力が出る。でも女性は……それを守る為に、闘争心は母性に変わり、自分が傷つく危険を恐れるようになる──それを感じたんだそうだ』
「それはどうかしらね……」
照れ隠しするように俯いて、ティーカップの取っ手を撫でる夫人。おもむろに顔を上げ、
「きっと人それぞれね。私は少なくともそうであったけれど、モモちゃんがそうだとは限らないわ。さっきの男性の態度も同じこと。私は鈴原の押しの強さを嬉しく思えたけれど、モモちゃんは洸騎君のそれを良しとしなかった……でも分かるの、男性の強引さが効き目を見せるのは、相手の女性に好きな人がいない時よ。モモちゃんには……ちゃんと好きな人がいるものね」
「え……?」
真っ直ぐで真摯な夫人の瞳に、モモは何かを貫かれたような気がした。
「……はい」
モモが初めて凪徒への想いを、自分以外に伝えた瞬間だった──。
★次回更新予定は十月十三日です。




