[40]継ぐ者と継がれる物
「まったく……うちのドーベルマンだってそんな風に吠えないわよ」
──このお姉さん、ドーベルマン飼ってるんだ……。
二人掛けのソファにモモと凪徒、その端で無理やり身を縮こませている秀成は、変なところに引っかかりながら怖々と凪徒の顔を見上げてみた。
──やっぱり悪魔だ……。
今にも噛みつきそうだと思いながら、再び下を向く。
「あんた達が結婚しようがどうしようが構わないっ、がっ! 何でその日が十月二十六日なんだ!! 二人して兄貴を馬鹿にしてるのかっ!?」
「その日を選んだのは、杏奈だ」
やや隼人の方に傾けられていた凪徒の視線が、キッと杏奈を照準に選んだ。
「馬鹿にだなんて……私の心は今でもタクのものよ」
「はぁ!?」
拓斗の父親である隼人と結婚すると言いながら、亡き人に愛があると断言する杏奈。さすがに隼人以外のメンバーは、脳内がハテナだらけになって固まってしまった。
「タクは私の初恋の人、青春の全て、そして……同志だった」
「同志……?」
誰からともなく湧き上がる声。
杏奈は隼人を伏し目がちに捉え、今一度上げた哀しそうな瞳で凪徒を見つめた。
「私だって……三ツ矢の一人娘だもの、それなりにプレッシャーはあったわ。けれど十代をストレスなくやってこられたのはタクのお陰だった……ずっと彼に助けられてきたの……彼が同じ立場で、同じレベルに立っていてくれたから」
「アン……」
凪徒は昔の呼び名で杏奈を呼んだ。自分を映す潤んだ瞳と表情は、兄を慕い、その隣で笑っていた以前の杏奈に違いなかったから。
「……だから。私はタクを忘れないし、忘れたくない。彼が生まれて死んだ十月二十六日……その日をスタートにして、私はまた彼と共に人生を始めるの」
そう言ってうっすらと笑った杏奈は、とても幸せそうに見えた。やがて隼人が彼女の手を取り、お互い見つめ合ってにこやかに微笑む。
「お、おやじはそれでいいのか?」
凪徒は分からなくなっていた。杏奈の兄への想いは嬉しいが、それと父との結婚と、イコールには思えずにいたからだ。
「もちろん。それで構わないさ。杏奈は拓斗を通して私を愛してくれている。それもまた『愛』だよ。それに……彼女は『拓斗』を産んでくれると約束してくれた」
「……え?」
凪徒の脳裏に以前隼人が放った『依り代』という言葉が一瞬よぎった。
「私、隼人さんとの間に『拓斗』を産むことのしたの。──大丈夫。二人して頭がおかしくなった訳じゃないから心配しないで。桜と三ツ矢の『愛の後継者』──もう『家』の犠牲になんて……失敗なんてしないわ。ちゃんと育ててみせるから楽しみにしていて」
「──」
凪徒は再び自分に投げられた自信たっぷりの宣言と、暑いくらいの二人のラブラブ振りに眩暈を起こしそうになった。でも、瞬間気付く。心血を注いできた息子と、病弱ではあったけれど気丈に自分を支えてきた妻を亡くした中年男。一方同じく最愛の恋人を若くして失った女。二人が慰め合い、欠けてしまった心のスペースを、お互いへの愛情で埋めてきたこの五年間は、二人にかけがえのない絆を生んだ──けれど自分は……その痛みからずっと目を逸らし逃げていた──どれだけ二人が自分よりも強く、自分がどれほど弱いのかを思い知らされた気がした。
「おやじ……杏奈に桜を乗っ取られるなよ?」
凪徒はいささか自分を哂い、やっと父親に息子らしい言葉を掛けた。
「まぁ、それもアリかなと、思うがね」
──!!
吹き出しながら口に拳を当て、杏奈に皮肉な笑顔を寄せる隼人。──仕事だけしかなかったおやじを、杏奈が変えた……?
「お~おっ、ごちそうさん」
凪徒はいつもの食後のように、満腹そうに目を伏せ立ち上がった。が、高い位置から二人を見下ろした時には、スッキリした淡い笑みを浮かべていた。
「凪徒……もうお前に帰ってこいとは言わないから心配するな。空中ブランコで舞うお前の姿を見て、残念ながら思い知らされた。お前の居場所はサーカスなんだと……お前も、桃瀬君も輝いていたからな」
「おやじ……」
隼人の見上げる温かな眼差しは、そう言いながら凪徒の下のモモに流れる。
「半分血の繋がったお姉さん達に会いたくなったら協力しよう。それと……椿さんも必ずどこかで君のことを見守っている。一日も早く会える時が来ることを祈っているよ」
「ありがとうございます!」
モモも颯爽と立ち上がり、元気にお礼を言って深々と頭を下げた──。
★続けて次話を投稿致します。




