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Momo色サーカス  作者: 朧 月夜
【Part.2:夏】結ばれない手 ―彼のカコと彼女のミライ―
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[31]笑顔と目標

★少し前に投稿しました前話からご覧ください。

 今までどうにか平常心を保ってきたモモも、さすがに翌朝はどんよりとしてしまった。


 朝食を口に入れる動作もまるで機械的だ。「食べなければいけない」と自身に思い込ませているというよりも、「食卓では箸を動かす」と脳みそにインプットされているかのように、皿の上が(カラ)になっても何も乗せていない箸が、口と食器の間を行ったり来たりしている。ぼんやりどこを見ているのかも分からない死んだ魚の目のような瞳。その下にはくっきりと(くま)が出来、それを目の前にして食事を進める暮の食欲も次第に減退していった。


「モ……モモ、モモ? おーい」

「……え? あ……あっ、すみませんっ!」


 暮の声にハッと我に返った途端ビクンと上下に身体が跳ね、手元から離れた箸が暮に向かって飛んでいった。それを見事にキャッチした暮は、困った顔で箸を返し、


「昨日は悪かったな。あんな会話、モモに聴かせるべきじゃなかった……」

「い、いえっ。聴かなくても、きっといつか耳には入ってきたと思いますから……」


 それでもあの恐ろしいやり取りを直接聴かされるのと、他人の口からまとめられた内容を伝えられるのでは、衝撃の強さは明らかに違う。そう思えばこそ、暮も昨夜の失態を一晩反省せずにはおられなかった。


「今日の公演、大丈夫か?」

「だ、大丈夫ですよー! まかせといてくださいっ」


 けれどそれはどう見ても強がりにしか思えず、(つら)の皮に薄っぺらく投影された空元気(からげんき)が、どうにか機能しているに過ぎなかった。


 しばらくそんな本音ではないやり取りが続きながら食事の時間は終わったが、モモはなかなか席を立てずにいた。暮も相変わらず困った表情で真正面に座ったままだ。誰もいなくなった食堂プレハブでどちらからも退室のタイミングを切り出せずにポツンと二人残っていると、モモのずっと後ろの扉が開いて現れたのは鈴原夫人だった。


「モモちゃん? あ、暮さん……モモちゃんにちょっと──良いかしら?」

「あ、ああ。じゃあ、モモ、また後でな」

「はい」


 暮はモモと自分のトレイを下げながら、夫人と入れ替わるように部屋を後にした。夫人はモモの右側に置かれたポットからお茶を()れて差し出し、そのまま隣に腰かけた。


「凪徒くんね、サーカス(ここ)には五年前の秋に入団したの」

「……え?」


 いきなりの凪徒の話に、モモは耳を疑うように夫人へ顔を向けた。柔らかな微笑みがその視界を占める。


「彼もモモちゃんと同じで、すぐ空中ブランコの演舞をマスターしたわ。さすがオリンピック候補に選ばれただけの技量があった……でもね、デビューには一年近く掛かってしまったの」


 ──えっ?


 モモの口は驚きの声を発しようと動いたが、そこから音声は出てこなかった。


「どうしてだと思う? ──それはね……彼、ずっと笑えなかったのよ」


 ──あっ──。


 五年前──きっとお母さんが亡くなった後だ……。


「今もあんまり笑うのは得意でないみたいだけど……入団して一年間は本当に仏頂面(ぶっちょうづら)で。笑顔を見せられないパフォーマーなんて、舞台に立てないでしょ? だからどんなに素晴らしい技を習得しても、彼は本番に出られなかった……やっと一年が経った頃、ようやくステージの上だけでも笑うことが出来るようになって、でもデビューした途端、彼の表情はグングン良くなっていったのよ。残念ながら()くまでも演舞の間だけだったけれど」


 そう言って一口お茶を飲んだ夫人は、今だ口を開けたままのモモにクスクスと笑ってみせた。


「そんな凪徒くんをずっと見てきたけれど、演舞以外でも人間らしい表情を見せ始めたのは、多分モモちゃんが入団してからだと思うわ。きっと彼の中に目標が出来たのね。モモちゃんを立派なパフォーマーに育てるって目標が」

「あ、あたしを……?」


 コクンと一つ、夫人が首を上下させる。


「モモちゃんが来てからの凪徒くんの舞は、更に磨きが掛かったわ。自分を簡単には越えられない壁にしようとしたのかしらね。技も表情も生き生きしてた。きっと彼の『居場所』が決まったのだと感じたわ。だから。モモちゃんもそれに応えてあげて。頑張っていれば……きっと凪徒くんも戻ってくるから──」

「夫人……」


 胸から溢れ出す想いが言葉を詰まらせた。──そうだ……頑張ろう。一つ一つ、全ての舞を。


 モモは唇を引き締めて、夫人に大きく(うなず)いた。


 全身全霊を懸けた美しい舞を、『目標』である凪徒に捧げるために──。




★次回更新予定は九月二日です。

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