[29]道草と追跡
★少し前に投稿しました前話からご覧ください。
翌朝のミーティングにて、団長は空中ブランコのメンバー編成を、鈴原夫人とモモの『女性ツートップ』で行なうと決めた。
ほぼそれを予測していた暮・秀成・モモは驚きもなく頷いたが、夫人を始めとした他のメンバーは、その時初めて凪徒がいないことに気付き、しばらくの間スタッフ達のざわめきは止まらなかった。
「落ち着け~凪徒は家庭の事情で数日ここを離れとる。あいつの分まで宜しく頼むぞ、みんな」
この時点で凪徒が辞表を提出したことを知っていたのは団長と暮のみ。失踪したことは、その二名に加えてモモと秀成。秀成はリンに話しかねなかったが、暮からのキツいお達しにより凪徒の秘密は固く守られていた。
「モモちゃん、今日からよろしくね」
夫人が本番に出演するのは、春にモモが誘拐されていた期間以来だ。モモより一回り近く年齢は上だが、今なお健在な夫人の舞が見られるとなれば、男性ファンの興奮はひときわ大きいだろう。
「こちらこそ、宜しくお願いします」
いつも通りの美しい微笑みと優しい眼差しに、モモはしばし心が癒された。──ちゃんとやれる。きっと、絶対──。
「それにしても、凪徒くん、随分急な話ね。ご家族って確か東京だったかしら? モモちゃんは何か知っているの?」
「い、いえ……」
投げかけられた凪徒に関する質問に、モモは危うく顔色を悪くしそうになった。何とか普段の調子を貫いたが、それでも夫人は不審に思ったかもしれない。けれど今は興行に専念すべき時だ。これで失敗などすれば、本当に──先輩に……怒られる……?
──もうあの長い説教を聞くこともなくなるのだろうか。あの超高速のデコピンも、もう……?
「今は凪徒くんの分まで私達で頑張りましょうね」
下を向いてしまいそうなモモの髪を撫で、夫人は肩を抱いてくれた。刹那に薫る淡い薔薇の匂い。──もしかすると夫人は既に何かを勘付いていたのだろうか?
けれどそれ以上彼女が凪徒を話題に出すことはなく、優雅で麗しい舞の前に、モモもいい加減に演じることなど出来る訳もなかった。木曜三公演、金曜四公演、土曜も同様四公演、そして週末最終の日曜三公演。モモはひたすら真摯にブランコに取り組み、観客の反応は上々といえた。
その四日の間、秀成は興行中以外常に凪徒の声に耳を澄ました。しかし殆どは周囲の喧騒と、時々外食を終えて立ち去る際の「ごちそうさん」という言葉のみであった。どうも凪徒は実家へ戻っていないらしい──それが暮と秀成のとりあえずの見解だった。
「まったく……出てったんだから、さっさと帰れっつうのっ!」
夕食前の音響照明ブースにて、秀成と共に向こうの音声に耳を傾けながら、暮は苛立ちを隠せずぼやきを吐き出した。
「そんなにお父さんに会いたくないんですかね……あ、いや」
更にブツブツ文句を続ける暮の顔前に、秀成は突然「しーっ」と掌を向けて制した。
『はい』
くぐもった中年女性のような声。
『……凪徒、だけど』
それに対する凪徒の声は、どこか遠慮がちだった。
『お、お坊ちゃま!? お、お待ちくださいっ、今、門を開きます!』
どうやら実家の門前にて、家政婦とインターフォン越しの会話だったらしい。少しして自動なのだろう、淀みなく開いてゆく門の軋みが聞こえ、凪徒は屋敷の入口を目指したようだった。
「ついに桜家に到着か……しかし“お坊ちゃま”とはな」
暮と秀成はつい唾を呑み込み、スピーカーを凝視しながら苦笑した。長いこといつもの足音が聞こえ、一体どれほどの距離があるのかとそちらにも呆れてしまう。
『お帰りなさいませ、凪徒お坊ちゃま! まぁっ、ご立派になられて!』
『しばらくだったな……元気にしてたか?』
──立派って……ブランコで鍛えられたからか?
暮は音声のみの二人を想像して首をひねる。その時──
「暮さん、秀成君、夕食出来ましたって……よ……? あれ? 何してるんですか?」
こちらの『二人』の猫背に声をかけたのは、食事のために呼びにやって来たモモだった──。
★次回更新予定は八月三十日です。




