[26]陽炎と影
高く昇った陽光が、モモの混乱した頭頂部を照らしていた。
進める足先から伸びる影は、湯気でも立ち上りそうなほど黒々としている。それでなくとも抱えた大きな難題に、モモはクラクラしてしまいそうだった。
──先輩……もうお父さんの元へ帰ったんだろうか……?
十五分ほど交通の激しい大通りの端を歩き続けると、見知った商店街のアーケードに辿り着いた。ここを抜ければ街並みの先にサーカスのテントが見える筈。
異母兄妹──杏奈の「元々そうなのかも」という言葉の真意はここにあった──半分でも血の繋がった相手に恋するなんて、生まれた時から無理な話だ。
自分の母、凪徒の父……は、自分の父親で、自殺した兄と先輩だった兄。そのどちら共に婚約者である女性が、自分の世話を買って出たいと言う……目まぐるしく脳裏に浮かぶ凪徒と杏奈と……そして見たこともない影法師三人。陽差しを和らげたアーケードと、店から漂う冷房の涼しさが、どうにかモモの意識を保たせていた。
──本当に……先輩の場所は、あの会社なの?
どんな時でもブランコに乗っている凪徒は輝いて見えた。美しい舞。見事な技。幾ら叱られてもついて行けたのは、その説教に真実味があったからだ。全てが事実だった。あの大きな背に一歩でも近付きたい。そう思えたからこそここまで来られた──なのに……。
──先輩は『妹』のために『自分』を捨てるの……?
モモは分からなくなった。凪徒のあるべき場所も、見るべき夢も、そして自分のそれらも。
「いや……だ。そんなの……やだ、よ──」
アーケードの出口までフラフラと歩いた足取りが止まる。ちょうど右に聳えた電柱にもたれ額に手を当てた。視界に入ったテントのてっぺんを隠すように翳し、それでも足りない気がして瞼を閉じた。その下の強張った頬を一筋の涙が伝い落ちていった──。
☆ ☆ ☆
しばらくモモは動けずにいたが、目の前の信号が何度変わっても歩き出さない少女を心配して、近くの店主が呼びかけた。モモはハッと我に返り、ぎこちない笑顔を取り繕って青に変わった横断歩道を足早に渡り去る。けれどその後のスピードは徐々に緩み、トボトボとテントを目指した。
気が付いた時には既にサーカスの敷地を歩いていた。休演日なので皆それぞれ出掛けているのか、どのコンテナハウスも閑散としている。それでも左側の団長室を通り過ぎようとしたその時、ガラッと引き戸がスライドし、現れたのは暮だった。
「モモ……どうした? どっか行ってたのか?」
いつになく猫背で表情のないモモの様子を心配して尋ねる。が、すぐさま気付き、
「凪徒がいなくなったの、もう知ってるのか?」
その問いかけにわなわなと崩れていく少女の面持ちを見て、暮は思わずモモの腕を掴んだ。
「やっぱり……帰ってきて……ないんです、ね……」
もう見せられる顔じゃない、というように俯いてしまう。くぐもった声で何とか答えたが、何をどこから話せば良いのか、混沌としたモモには分からなくなっていた。
「あ、暮さん? あー! モモ!?」
モモの背後から走り寄る声が突然二人の名を呼んだ──眼鏡を押さえて近付く秀成。
「リンが心配してたよ。昨日の夜、約束したのに来なかったって。ずっとどこ行ってたの?」
「え? モモ、もしかして……凪徒と?」
暮は驚く秀成と消沈したモモの姿を交互に見下ろしたが、
「いえ……あたしは……。昨夜から今まで……杏奈さんに、拉致されてました……」
「ああっ!? あの姉ちゃんに?」
突拍子もない失踪の理由に、さすがに大声を上げてしまった。
「暮さんは凪徒さんを探してるんですか? 凪徒さんなら、何故だか昨夜からずっと駅の周りをウロウロしてますよ」
「え!?」
──そうだ……こいつ、凪徒の財布に発信器つけてやがった!!
「えっと……今もまだ駅の……多分東京方面行きホームにいます」
と、秀成はスマホ画面を眺めて淡々と言ってくれた。
「あ、あたし……行きます!!」
咄嗟に必死な表情を上げ宣言するモモ。と同時にすぐさま背を向けて駆け出した。唖然とするほどのスピードに、二人は一瞬声も出なかった。
──先輩……どうか、行かないで!!
モモは熱風と化す空気を斬り裂いて、駅に向かって疾走した──。
★続けて次話を投稿致します。




