[7]銃と狂気
「あ……──」
モモは息を切らしながら瞼を開いた。右手が何か硬い物を握り締めている。その先にはそれを掴んだまま倒れ込んだ男の驚きの眼があった。
銃声は思っていたよりも小さく、周りの数人がその音と少女の突然の出現に驚いて動きを止めた程度だ。他の観客は今でもショーの素晴らしさに酔いしれていた。間一髪、男の放った銃弾はモモの手によって凪徒の身体から外れ、幕の上部に小さな穴を開けるに留まった。
──やっぱり……目的は自分じゃなかったんだ……先輩を狙うなんて──何故? 人気のある先輩への嫉妬? それとも……?
モモはその男から震える手で銃を抜き去り、さっとパーカーの前身頃に隠して大きく息を吐いた。周りで何事かと言葉もなく見物する観客に、どう説明しようか頭を巡らせる。いや、それよりこの男を捕まえなくては。近くに手伝えるスタッフは──?
「モモサマ……見ぃつけた!」
「えっ?」
辺りに向けられていたモモの視線が、右手首の突然の圧迫に引き戻された。目の前の男の手が自分を掴んでいる。──捕まったのは、自分……?
「はっ、放してっ」
男は体勢を整えながら、その手の力を弱めるどころか強く握り締めた。鋭い目つきがモモを貫き、口元は嬉しそうに片側の口角がいやに吊り上がっている。何かが狂ったような歪んだ嗤い。この男の狙いはやはり自分だったのだと、モモはハッとして初めて感じる恐怖に心の底から慄いた。
が、その時。
キリキリと音を立てそうなほど自分の手首を締める男の握り拳が、また別の誰かの手で捕らえられた。目線を右へ上げる──おどけたピエロ……暮さん?
ピエロは陽気なステップを踏みながら男をわしづかみにし、一緒にダンスを踊ろうとその身体を抱え込んだ。周りで唖然としていた見物客からクスクスと笑いが起こる。同じく呆然としゃがみ込んでいたモモは、暮の目配せで自分を取り戻すと腰を上げた。
──ここは任せて、モモは逃げろ。
そう言われたのだと気付き、銃を懐に隠したまま身を小さく屈める。一番近い出口から一目散に走り去った。
☆ ☆ ☆
「あっ……こ、怖かった……」
テントを駆け抜けて、いつの間にか敷地の境界まで一気に走っていた。胸に抱えた銃を思い出して慌てて手を放し、草の上に鈍い音が響く。本物ではないが、かなり本格的に造られたエアソフトガンだ。
一昨日のようにフェンスにもたれて、桜見物の人の山をぼおっと眺めた。先程あんなことが遭っただなんて、嘘のように思えてしまう麗らかな情景が広がっていた。
──あの人の標的は、結局あたしだった……先輩を狙ったのはあたしのパートナーだから? それとも先輩を襲えば、あたしをおびき寄せられると思ったんだろうか? もし命中していれば大騒ぎどころじゃなかった……その混乱に紛れてあたしを誘拐するつもりだったの?
おそらくピエロの滑稽なパフォーマンスと思われて、誰にも疑われることなく犯人は確保されただろう。──暮さんのお陰で何の事件とも思われず事なきを得たし、とにかく先輩が無事だった──モモは安堵の溜息を吐いて、テントに戻ろうと銃を拾うため腰を曲げた。
「お嬢さん、すみませんが化粧室はどちらになりますか?」
「え? あ、はい、それなら……」
突然頭の上から中年男性の声が聞こえてきて、モモは少し先の黒い革靴に目を留めた。説明しようと背を伸ばしたその時──
「うっ……」
首の後ろに衝撃が走り、目の前に星のような小さな光がチラチラと舞い散った。
──何? これ……──
「すまないね……少しだけお付き合いいただきますよ、『明日葉』」
頭上の声は次第に遠のいてゆく。気を失う寸前彼女が感じたのは草の青い匂いだった──。
★次回更新予定は三月二十四日です。