[14]半月と眼差し
闇に紛れた寝台用の車両は無人だった。おそらく近所の銭湯にでも行っているのだろう。敷地内にはシャワールームもあるが、夜の貸切公演のない時にはそういった所でのんびりすることも多い。
凪徒は車の側面に寄りかかって、独りぼんやり半分に欠けた月を見上げていた。この二日のことを一つずつ思い出しながら、自己の過ちを反省した。
「……先輩?」
一時間も経った頃、タオルを肩に掛けた女性四人が戻ってきて、その先頭のモモが呼びかけた。左目は眼帯で覆われて痛々しい。
「わりい……これから付き合えるか?」
「あ……はい」
後ろの女性達は二人の様子を見て、ニヤニヤしながらモモの荷物を預かり、いそいそと車内に戻っていった。
凪徒はジャージのポケットに両手を突っ込んだまま歩き出し、モモもそれに続いた。暮に叩かれた敷地の隅まで進んで足を止め、もう一度月を見上げる。が、後ろで立ち止まったモモの方へなかなか振り返る気持ちになれずにいた。
すると、
「先輩……あの……今日は本当にすみませんでしたっ」
──え?
先に腰を折って謝ったのはモモだった。
「バカ……何でお前が謝るんだよ」
呆れた調子で振り返るが、バツの悪そうにいつになく切れ長の目尻が垂れている。二、三歩進んで依然起き上がる気配のないモモの前に立った。
「あ、あたしが悪いんですっ。先輩はあんなに嫌がっていたのに、あたしはノコノコとついて行って……約束を破ってしまって……それにネットに落ちた時だって、パフォーマンスとしてごまかすことは出来た筈なんですっ、それなのに──」
「でもお前にあの約束を守る義理なんてなかったんだ。それに俺がタイミングを外したのはそんなことのせいじゃない……とにかく頭上げろって」
更に進んでモモの眼下に凪徒の足先が入り、彼女が上半身を起こすのを待った。しばらくの沈黙にモモは申し訳なさそうに頭を戻し、そして──
「……うぷっ?」
後頭部が大きな何かに抱えられ、前方に押し出され、と途端顔面が何かに圧迫された。まだ乾ききらないモモの髪が、シャンプーの香りを漂わせながら揺れた。
──え、えと……これはどういう状況なのかしら……?
顔に押し当てられているのは、おそらく凪徒のTシャツだった。モモと凪徒の身長差は約三十六センチ。なのでお互い真っ直ぐ立てば、モモの顔はちょうど凪徒の胸辺りになる。
──こ、これってお詫びのサービスなのかな……明らかに抱き締められていると思うんだけど……。
が、あくまでも押さえられているのは頭の後ろなので、抱擁されているのとは違い息苦しく、また凪徒の胸板は筋肉で硬いため、瞼の傷も押されて痛んだ。
「ごめんな……本当に」
沈痛な声色の言葉が上から落ちて、ようやくモモは解放された。
「ぷはっ」
「……プハって何だ? お前、もしかして息止めてたのか?」
「止めてたんじゃなくて、止められてました……」
もう一つおまけに鼻の頭も相当押し付けられていたらしく、仄かに赤らんでいた。
「え? あ、わりい」
微かに苦笑いを洩らしながら凪徒は再び謝ったが、その表情はいつもの様子に戻ろうとしつつも、腰を屈めながら真顔になった。視界が切ない面に占領されて、モモはまた呼吸出来なくなりそうになる。
「傷……見せてみろ」
「え? いえ、大丈夫です。みんな大袈裟なんですよ、こんな眼帯なんてしなくてもいいのに……」
「いいから」
真剣な雰囲気に圧倒されて、モモは仕方なく眼帯とその下のガーゼを外した。瞼の左隅に一センチほどの赤い筋があり、その周辺は確かに腫れて盛り上がっている。
「悪かったな……痛かったか? ……だよな」
──あんな風に抱き締められて、こんな心配な顔を向けられて……先輩のこと、また諦められなくなっちゃうよ……。
「だ、大丈夫ですから。これから良く冷やして休みます。あ、あの……おやすみなさいっ」
モモは何とか笑顔を見せ、一つお辞儀をし、急いで背中を向けて駆け出した。そうでもしないと自分の心の奥底が、あの憂いを湛えた綺麗な瞳に見透かされてしまいそうだった──。
★続けて次話を投稿致します。




