[6]停滞と衝動
晴れやかな初公演日! 反面モモの表情はどんよりと冴えなかった。あんな予告状が届いたお陰で夜も良く眠れず、舞台裏で忙しなく働く団員達に手伝いを訊ねても、ただ「見える所にいてくれ」と言われるばかり。デビュー前の自分はこんな時何をしていたのだろう? 思い出そうとしても頭がぼんやりとして立ち尽くすばかりだった。
幕の表を覗いてふと溜息をついた。あちら側でもスタッフが右往左往し、客席を整えるなどステージの準備に慌ただしい。
「“モモサマ”って……」
今一度深い溜息を吐く。普通のファンならその雄姿を見たいに決まっているのに、舞台に立たせない理由が分からなかった。『頂きに……』とはあったが、舞台裏には関係者以外入れないし、こんなにスタッフが目を光らせているのだ。
正直今までファンレターなる物も来なかった訳ではなく、その中には情熱的な文章や、度を越した過激な内容もなくはなかったが、それでも凪徒に届く物に比べれば微々たるものだ。
サーカス自体もホームページやSNSでそれなりに宣伝をしているものの、個人宛の物は受け付けていないし、団員の誰かがプライベートで発信していることも多くはなかった。もちろん数週間から数ヶ月同じ地に滞在するのだから、アイドルと勘違いしているような足しげく通ってくれるファンも多少は存在するのだが──。
──本当はあたしのファンじゃなくて、先輩や夫人の崇拝者なんじゃないかしら?
モモはそう思いながら目の前の幕をギュッと握り締めた。凪徒のファンならパートナーを務める自分にやっかむこともあるだろうし、実際デビュー前後の女性ファンの抗議は凄まじかった。もしくは夫人の演技を再び見たいという昔からのファンの可能性も……どちらにしても全ては自身の技術の向上で、何とか理解を得てきた筈だというのに──。
──考えても仕方ないか……。
今はとにかくこれ以上観客の皆様とスタッフの皆に迷惑を掛けないこと。そして一刻も早く不審人物を見つけ出し確保すること。それしか自分の復帰する道がないことを、無理矢理心に言い聞かせる。まもなく始まる公演に向けて、モモはステージの向こうの客席を見渡した。
☆ ☆ ☆
「レディース エンッ ジェントルメン! 皆様、珠園サーカスへようこそお越しくださいました!! ……──」
華やかな音楽と共に、団長のいかにもな挨拶による幕開け。既に同じ調子で仕切られた午前のショーは滞りなく終わったが、予告状の犯人は依然現れていなかった。午後前半のショーも同様に始まり、客席から溢れる拍手に迎えられた一番手は可愛いプードル達だ。
軽快な音楽に合わせて、数匹のプードルが回転する縄を跳び越える。彼らの後にゾウやライオン、サルなどの動物が出番を待って陣取っているため、舞台裏はなかなか狭い。猛獣達の鳴き声以外にも、中国雑技の少女達や、ロシアから来たイリュージョン・ショーのカップル、火を魔術のように操るアフリカの青年など、ここはどこなのか分からなくなるような沢山の言語が飛び交っていた。
中盤までは何事もなく進み、やがて球体の中を超高速で走るオートバイのショーも終わりを迎えた。お次はフィナーレを飾る空中ブランコ、凪徒と夫人の登場だ。
夫人は二人の青年の肩を借り、宙に浮かびながら舞台の中央まで移動して、華麗な挨拶とポーズを取った。舞台向かって右の支柱から彼らと共に登る。二人はブランコのサポート役であり、次期ブランコ乗りの候補でもある。
夫人が支柱のてっぺんで再びの挨拶を見せると、左の支柱にもスポットライトが浴びせられた。同じポーズを決めた凪徒の姿が現れた途端、客席のそこかしこから黄色い歓声が上がった。
モモがパートナーである時と変わらず、始まり繰り返される演舞。観客もいつもと同じように二人の技に魅了され、客席から立ち上がりそうなほどの興奮が視線をブランコに釘付けにした。
隠れた幕の隙間から覗くモモですら、そのショーの素晴らしさに魂を抜かれそうな気分だった。そんな夢見心地からつと自分の置かれた状況を思い出し、夢中で仰ぎ見る客席の様子に目を見張った。今のところ特に何の変化も見えない……と思ったが──
「えっ?」
少し幕を引いて身を乗り出さないと見えない右端に、何か光る物を手に持った男性の姿が垣間見られた。光ったのは一瞬だった。実際は黒々として少し長い棒状の物。その片側を握り締め、反対の端は凪徒が常に着地する支柱の足場に定められていた。
「あっ……!」
周りの誰もが上を見上げているため、その男の不可解な行動は気付かれていなかった。モモは言葉を洩らすと同時に幕の一番端へ走り寄り、気付けば客席の通路を駆け上がっていた。
──!!
大歓声の中、空気を斬り裂く鋭い音が響いた──。
★次回更新予定は三月二十一日です。