[12]トラブルとアクシデント
「……どういうことだ……」
──え……?
公演を終えた薄暗い舞台裏に、ドスの利いた低い声が響いた。
周りで片付けをしているスタッフもつい足を止めてしまう。全員の視線が凪徒の仏頂面に集中した。
「どういうことだって言ってるんだよっ」
通常凪徒の説教は、誰もいない会議用のプレハブで行なわれる。であるから、こんな大勢の前で怒鳴る凪徒を余り見たことのない面々は「これがあの噂の……?」と半分興味もあり、またその怖ろしいオーラに圧倒されて動けなくなっていた。
「あの……でも──」
「何だよ、反論出来る立場か」
モモは降り注がれる威圧的な言葉と、周囲の視線に耐えながらも、自分の意見を凪徒に伝えようとした。──あれは自分じゃない……あたしのタイミングは間違っていなかった。あれは先輩が……──。
「おい……やめろ、凪徒」
「うっせぇ! 外野は黙ってろっ」
横から止めに入った暮の諌める声も、凪徒の一喝で消されてしまう。
「あたしはちゃんと……」
モモは今一度弁解を試みたが、
「ったく、口ごたえするなってんだよっっ!!」
──バンッ!
凪徒は寄り掛かっていた長机を思い切り叩き、その間近に乗っていたグラスが撥ねた。浮き上がり落下する透明な塊。が、床に触れた途端ハラハラと砕け散り、その一つが勢い良くモモの顔面を襲った。
「きゃあっ!」
「モモちゃんっ!?」
「……モモっ──」
左目を手で覆い、二、三歩後ずさったモモは、背後で心配しながら見守っていた鈴原夫人に抱きかかえられた。慌てて駆け寄る暮に夫人は、
「大丈夫、瞼をちょっと切っただけみたい」
そう一言伝えて、モモを救護室へ連れていった。
「……」
愕然と立ち尽くし、見開いた眼は何かに怯えたように揺らいでいる。そんな凪徒の視界に暮はすかさず割り込んだ。その細い目は、凪徒とは真逆の責めるような鋭さを浮かべていた。
「凪徒……お前、ちょっと来い」
「──」
腕を掴んでテントの出口へ促す。沈黙の二人の背中が小さくなるにつれ、唖然としていた団員達は少しずつ自分の仕事に戻っていった。
☆ ☆ ☆
「お前の目は節穴か? それとも寝ぼけてんのか? だったら目覚ましてやる!」
暮は既に陽の落ちた敷地の端まで凪徒を引っ張っていった。振り向いてすぐ怒りの言葉をぶちまけ、凪徒の左頬を思いっきり張った。
「──って!」
「こんなビンタよりずっと痛いって……モモの心は」
叩いた手を握り締めて、悔しげな面を上げる暮。痺れるような痛みを発する頬に手を当てた凪徒は、全てが分からないという表情を見せた。
「お前まだ気付かないのか……? タイミング外したのはお前だ。おれは舞台袖でお前達の演舞を見ていた。お前だってモモの調子が良いのは分かっていただろう? お前も悪くなかった。なのに……あれは何だったんだ? 何が遭った!? いきなり調子崩しやがって……さっきあんなところでモモを叱りつけたのも一体何だ!! 八つ当たりか!?」
「……俺が……?」
──あの時……一瞬……意識が飛んだ……?
「昨日訪ねてきた美人が絡んでるのか何だか知らんが、お前達いつもと違うよな? それでもモモはあれだけの舞を見せた。それってお前のためだったんじゃないか? 一生懸命やったモモの想いをお前が全て無にしたんだ……少しは反省しろっ」
暮は「言いたいことは全て言ってやった」という雰囲気で大きく息を吐き出し、咄嗟に背を向けた。胸から込み上げてくる沸々とした気持ちのやりどころが見つからず、つい肩を上下させて大袈裟に呼吸する。後ろで立ち尽くすばかりの凪徒は何も言わなかった。自分ですら気付かなかったタイミングの事実に、衝撃を受けずにはいられなかった。
「あの……凪徒さん?」
そのまた後ろから遠慮がちな呼びかけが聞こえた。音響照明係の秀成だ。
「団長が呼んでます……団長室に行ってもらえますか?」
「……あ……ああ」
だるそうに振り返った凪徒は小さく頷きを零して、少し背を丸めて歩き出した。それを見送る暮は口元を苦々しく歪めたまま、足元の雑草を軽く蹴った──。
★続けて次話を投稿致します。




