[5]目標と決断
──やっぱり……すごいなぁ……。
モモは客席の片隅で、凪徒と夫人の練習を独り見上げていた。
凪徒の技量は今更言わなくてもというほどのレベルだが、こうして改めてお客としての位置から眺めたら、そのしなやかさはきっと誰も太刀打ち出来ないと思った。夫人でさえ同じだ。彼女が引退を決めたからこそ異例の募集が掛かり、モモはこの場所にいられる訳だが、今でさえ惜しむ声が絶えないのは納得出来る。
引き締められた肢体。伸ばされた両脚はどんなに揺らされても乱れることはなく、差し出された腕もきっちり目指す場所を掴み、その後取るべき行動に余念がない。
──あたし……少しでもあの位置に近付けているんだろうか?
幾らキャリアの長さが違うとはいえ、花形として演じているのだ。夫人との違いは誰もが理解してくれる訳ではない。このサーカスの名を汚すようであってはならない。
「モモしゃま、元気がありましぇんな?」
余りに息の合った二人の演舞にモモは口を開いたまま魅入っていたが、その瞳が揺らいでいたことを、端を通り過ぎようとした暮ピエロは見逃さなかった。もちろん本来なら喋らずにおどけてみせるところなのだが、少女が落ち込んでいることは感じ取れ、刹那に脳天から出したようなソプラノの声をかけていた。
「く、暮さん……元気はありますよー。出られないのは残念ですけど」
隣に座り込んだヒラヒラ衣裳の赤玉鼻に慌てて目を移す。ずっと上空を凝視していたせいか、そのカラフルな視界にチカチカしたのか、しばらく目を瞬かせた。
「無理すんなよーモモ。今出来る範囲で頑張っていればいいんだ。背伸びなんかしなくていい」
そう言って真っ青な星に縁取られた細い目がウィンクをしてみせた。
──無理……先輩と同じアドバイス。あたし……そんなに無理してる?
「ありがとうございます、暮さん。でも無理なんて……してないです、よ。きっと」
──多分。
自分でも分からなかった。途中で強がりを言っている気がして、言葉が不自然に途切れた。
それをどう感じ取ったのか、暮は何かを言おうとしてやめていた。言葉では気休めにしかならない。そう思ったのかもしれない。
「夫人が何故ブランコ乗りをやめたのか知っているかい?」
「え? ……いえ」
暮は気を取り直すように二人の練習する姿を仰ぎ、いつになく優しい声を出した。
「男性は家庭を持つと、それを養うためにまた精を出す──力が出る。でも女性は……それを守るために闘争心は母性に変わり、自分が傷つく危険を恐れるようになる──それを感じたんだそうだ」
「守るために……?」
そうしてモモも夫人の動きを目に入れた。
「それでも代役用に練習を続けているのは、彼女の凄いところだね。ただ、子供が出来たらもうやらないんじゃないかな。夫人もモモと同じでブランコが大好きだけど、守るべき者が出来たら完全にやめるって言ってたから」
「守るべき者……」
モモは再び暮の温かな微笑みに目を向ける。
「ああ……余計なこと言っちゃったかな。モモはいいんだよ。今はそんなこと気にしないで。でも夫人もそうやって色んな気持ちの変化があったってこと。それを内に閉じ込めることはない。何か思うところがあったら相談しておいでね」
ピエロはニッと真っ赤な分厚い唇を弓なりに持ち上げた。おもむろに立ち上がり、昨夜のように優美な挨拶を捧げて走り去ってしまった。
「内に閉じ込める……?」
モモはもう一度夫人の舞を見上げた。
ブランコから支柱の凪徒に飛び移り、胸に抱かれてポーズを取った美しい笑顔は、あたかも満席の喝采を浴びているようだった──。
★次回更新予定は三月十八日です。