[1]酔いと本音?
黒々とした涼しい夜空に、金色の幾万粒の星達が瞬いていた。
世の中が夏休みとなるお盆の頃は、全国を巡業している珠園サーカスにとっても書き入れ時だ。そんな満員御礼でお休み返上の二週間を終えたメンバーは、いつになく解放された気分に浸っていた。特に若い男性陣はお酒の力も手伝って、もはやご機嫌と言うよりは何と申しますか……?
「あれぇ? ビール、終わったった?」
空の缶ビールを逆さに手を振る暮 純一の顔は、既に赤く火照っていた。ろれつも上手く回っていない上に、普段演じるピエロのおどけた仕草よりもおかしなステップで、食堂として使用されているプレハブの出口に向かってゆく。
「おーい、暮さ~ん、もうビール、取りに行ってるからだいじょぶだいじょぶ~」
テーブルに頬が付きそうなほど小首を傾げた猛獣使いの鈴原が呼び止め、暮は怪しい足取りで何とか百八十度のターンをし、こちらを向いた。
「だあれが持ってくるのさ~?」
「ん? モモが取りに行った」
室内で唯一いつもと変わりのない空中ブランコ乗りの桜 凪徒が、スルメを咥えたまま一言答える。一番呑んでいる筈の凪徒だが、彼は『ザル』と言うより『枠』と言いたいくらいの酒豪だ。
「ほぇ? モモってもう呑める歳だったか? ……って!!」
ふらつきながらも凪徒の前まで戻った暮が、ギリギリ手前の椅子に尻を着いた。が、案の定バランスを失いテーブルに顎を強打した。周りには先にギブアップした団員数名が、床をベッドに眠りこけている。
「暮、お前呑み過ぎ。明日二日酔い確定だな。モモは配膳してるだけで呑んでない。あいつはまだ十七だ」
凪徒は暮の目の前に水の入ったグラスを差し出し、淡々と返答を済ませると自分のビールを飲み干した。
「なんらよ~モモ、もう十七かぁ? 凪徒、そろそろもらっとけー」
「はぁ!?」
暮の爆弾発言に、さすがの凪徒も声を荒げたが、
「そうだそうだー、もう結婚も出来る歳だぞ~」
隣の鈴原が同調し悪乗りして、凪徒の肩に手を回した。
「鈴原兄まで悪酔いし過ぎだ。夫人に怒られるぞ」
と、途端その言葉で鈴原はしらふに戻り、慌てて手元のチーズ鱈を口に押し込んだ。元空中ブランコ乗りで、今は夫と共に猛獣使いとして活躍する麗しき夫人は、亭主も上手にあしらっているということか?
「凪徒の意気地なし~! お前もう二十三だろー? その内ファンに取られちまうぞー」
勢いづいた暮の冷やかしは止まる様子もなく、徐々にその細い目が据わっていく。凪徒は呆れた冷たい視線を一度向け、頬杖を突き、逆方向の宙を仰いで一言。
「だぁれが、モモなんて、あんなガキ相手にするか」
その時一瞬空気が凍りついたように時間が止まった。凪徒の眼下で突っ伏していた鈴原が、キュッと身を縮こませゆっくりと起き上がる。嫌な予感が胸の奥から湧き上がった凪徒は恐る恐る振り返り、同じ形相をした暮の向こうに独り立ち尽くす細い影を見つけた。
「ガ、ガキで悪うございましたわねぇ……おほ、おほほ」
「モモ……」
引き戸の手前で引きつった笑いを見せた『モモ』こと早野 桃瀬の腕は、缶ビールを乗せたトレイの重さなのか、怒りの表れなのか、ピクピクと震え出していた。
「随分とお酒が進んだようで……」
刻まれた笑顔はどことなく歪んでいる。
「『つまみ』も十分のようですね~出来れば『本人』のいない所で、味わっていただきたかったですけれど……」
「いや、あの……」
凪徒の遠慮がちな言葉は、もはやモモには届いていないようだ。
「もう存分にお楽しみになられたみたいなので、このビールは撤収しまーす」
「モモっ!」
元気良くそう宣言して、クルリと背を向けモモは出ていってしまった。バツの悪そうな凪徒の呼び声は、すぐさま閉められたガラス戸に跳ね返されていた。
「やっべぇ……」
打ち付けた顎をさすりながら暮は言葉を零して身を起こし、すっかり酔いの醒めた青白い顔を扉に向ける。
──何よ。そんなこと分かってるけど……何も声に出して言うことないじゃない……。
屋外に飛び出したモモはすぐさましゃがみ込んで、目の前に重いトレイを置き放した。
引き戸は上半分だけが透明ガラスなので、きっと気付かれてはいないだろう。
──せめてもう少し、夢見させてくれてても良かったのに……──。
そのまま膝を抱えて顔を埋める。モモはしばらくその場を動けなかった──。
★続けて次話を投稿致します。




