[34]覚醒と限り
ボディガードの運転で滑らかに走り出した車内では、しばらくすすり泣きの声が止まらなかった。震えるモモの小さな肩を、大きな温かな掌が強く優しく包み込む。
「ありがとう、明日葉。お陰で二人も元気を取り戻したよ。近い内に三人で君の公演を見に行くからね」
そんな嬉しい言葉を掛けられたら尚更涙が止まらない。差し出された紳士のハンカチはもうびしょ濡れだ。それでも泣き顔は晴れ晴れとして、喜びに満ちた笑顔が次第に現れ始めた。
「すみません、お父様……あたし、何だか感極まってしまって」
「いいんだよ。そうやって自分の感情を見せることは、君の年齢なら当たり前のことだ。内に閉じ込めることはない」
「あ……っ!」
思わず驚きの声が飛び出してしまう。
『内に閉じ込めることはない』──暮も語った言葉。
思えばこの二年、モモがブランコ以外のことで誰かに何かを相談したことなどなかった。質問することはあっても、それはあくまでも対処方法が分からなかったからだ。誰かに不平不満を言うことも、何かを大袈裟に喜ぶこともなかった。感情を吐き出しても、どこの誰が受けとめてくれるというのか。モモはそんな誰かを探すことを止めてしまっていた。そしてそれは年長となった施設での自分もきっと同じだった。
今はサーカスで一番の新米であり、本当は失敗も悩みも表に出して、それを誰かに投げかけ投げ返してもらうべきだった。なのに誰にも迷惑を掛けないようにと全てを押し殺してしまった。能面みたいな変わらない笑顔が、いつのまにか刻み込まれて普通になっていた。
『自分がしたいことを主張しちゃ悪い訳じゃない。無理する必要なんてないってことだ。やりたいことや言いたいことがあったら、俺や団長に言えばいい』──凪徒が呟いた言葉。
やりたいことも主張したいことも、自分の中には無いと思っていたモモにとって、あの言葉にはピンと来ずにいた。でもそうなのだろうか? 本当は有ったのではないか? それをずっと胸の奥に隠してしまっただけで、自分でも分からなくなってしまっただけではないのだろうか?
「気付いたんだね……自分の気持ちに」
「……はい」
モモは少し恥ずかしそうに俯いて、手の中の湿ったハンカチを握り締めた。サーカスへ戻った後、自分は自分らしさを皆の前でさらけ出せるだろうか。いや、それは無理してすることではないし、無理して隠すべきものでもなかったのだ。
「ありがとうございます、お父様」
「きっと『それ』は、君のこれから生きる上での良い糧になったに違いないよ。その想いを大切にね」
「はいっ、ありがとうございます!」
にこやかな笑顔で隣の紳士を見上げるモモ。偽りのない眩しい表情に、高岡は深い達成感を感じていた。そしてこれから始まる僅かな一日は『仕上げ』の時間だ。それはモモにとっても自分にとっても、かけがえのない時でなければならない。残り少ない『明日葉』とのひとときと、自分自身の命の期限を決める有意義で満足の行く刻──やがて行き着くとてつもない長さの『劫』を幸せに満ちた物へと変えてくれる時間──誰にも邪魔はしてほしくない、だからこそ……『彼ら』が辿り着く前にこうして出てきたのだ。
モモを求めるサーカスの『彼ら』が、その手に彼女を取り戻す前に──。
★次回更新予定は六月十四日です。




