[31]疾走と跳躍
「どうする? 凪徒?」
背後からの光を浴びた暮の横顔が問うた。けれど凪徒の顔は真っ直ぐ先を見つめ、揺るがない。
「そんなこと決まってる。車で行けないなら走るだけだ」
「お前っ……!」
──って、何キロあると思ってるんだ!?
「おい、秀成、高岡邸までここからどれくらいだ?」
凪徒は通話を切らずにいた携帯に呼びかけた。やっぱり知らねえのかよ、と暮が呆れた表情を向ける。
「えーと……最短ルートで十八キロってところでしょうか。あくまでもバリケードを気にせず進めばですが」
「ハーフマラソン程度なら楽勝だ。みんなは車で向かってくれ。こんな障害、通勤時間までやっていられる訳がない。その内解除されるだろうし、今の時間だって全てを塞いでいるなんて有り得ない。抜け道見つけて追いかけてきてくれ」
「ああ……」
逆隣の鈴原も驚きの眼で凪徒に返事をした。
凪徒は愉しそうな顔をしたまま柔軟運動を始めた。──こんな距離、毎日鍛練している自分の体力なら全く問題ない。朝のジョギングだと思えば気持ちいいくらいだ。
「じゃな、高岡の屋敷で!」
「お、おう」
気圧された気分で見つめる全員を背にし、凪徒は悠々とフェンスを乗り越え走っていってしまった。残されたメンバーはしばらく呆けたようにその雄姿に手を振っていたが、はたと気付いてナビのある車両に集まり、他のルートを探し出した。
☆ ☆ ☆
凪徒は流れゆく景色の中を颯爽と走り抜けながら、次に立ちはだかるバリケードを乗り越えては駆け出し、乗り越えては駆け出し……そして三度目のバリケードの前で愕然と立ち止まった。
「なっ……んだ? これ……!」
目の前に立ちはだかる驚くほど高い壁。それも足を掛ける場所などないほどツルンとして垂直に近い。
左右も民家がひしめき合っていて抜け道など見つからず、私有地に立ち入ることも憚られた。となると残す道は後ろへ戻るかバリケードをよじ登るかだが──。
「ふん……俺を甘く見んな」
凪徒は振り向き来た道を少し戻って、体勢を整え深く息を吐いた。正面から見据えた障害物は富士山のように真ん中が一番高く、そこからなだらかにやや傾斜している。狙いは右端の一番低い部分。住宅の塀が上手いこと足場にもなりそうだ。
助走をつけ走りに走った。まだ春の朝の空気は冷たく、頬を掠める風は痛かった。近付くにつれやや左に身体を傾け、素早く繰り出す足の裏をブロック塀に着地させる。蹴り落とすように反動をつけて、伸ばせるだけ伸ばした腕の先端が、かろうじて山の麓の上を捉えた。両手でがっしり掴んだが、身体前半分が勢いの分だけその硬い金属板に激しく打ちつけられた。
「くそっ……ぃってぇ~!」
強固な上に冷気が浸み込んだようにひやっとする障害物。ぶら下がった状態のまましばらく身動き出来ずにいたが、ブランコで培った握力と腕力で何とか自分の身体を持ち上げる。麓の頂上に足を掛けたその時──。
「うっ、うわっ!」
自分が抱え込んでいた板そのものが向こう側へひしめき、凪徒の身体がバリケードの裏側へ飛んだ。
──川?
視界に広がる緑と青。空を流れる彼の身体は、その鮮やかな色へと弧を描いて落ちていった──。
★次回更新予定は六月五日です。




