[18]父と娘
「あのぅ……お二人は雇われてここで働いているのですよね? えっと、その……どうして──」
やっとのことで口を開いたものの、モモはどう尋ねようか悩んでしまい、二の句が小さく消え入ったが、
「「わたくし達はここで生まれ育ったのでございます」」
「えっ?」
少女の訊きたい質問を読み取った二人は、お互いに顔を見合わせて即答した。
「わたくし達の母は先代の家政婦でございました。父もこちらで運転手として勤めさせていただいておりましたので、ご主人様のご厚意で、母はわたくし達を出産した後も、以前と変わらず仕事を続けておりました」
花純の言葉に、高岡の外見からも窺える優しい心根が感じ取れた。
「両親が業務の時間、わたくし達もこのお庭で遊び、九歳の時に明日葉お嬢様がお生まれになられてからも、三人姉妹のように分け隔てなく、ご主人様から愛情を戴きました。父が早くに亡くなったこともあり、わたくし達にとってご主人様は父親同然のお人なのでございます」
それでようやく納得出来た、とモモは深く息を吐いた。二人が高岡の病気を告白した時のどうにも切ない表情は、こうした長年の親交があったからなのだ。
「同じように……明日葉お嬢様も、本当に可愛らしい妹のような愛おしい存在でございました。お嬢様はお身体が悪くても笑顔を絶やすことなく、身分違いであることもわたくし共に感じさせることはなく……とても美しいお心の持ち主でございました。わたくし共のお願いは、何も関わりのないお嬢様にとりましては、戸惑われても仕方がないこととは思います。ですが……」
「だ、大丈夫です!」
「「お嬢様……?」」
消え入りそうな桔梗の声に、今度は慌ただしくモモが即答した。
「大丈夫です。あたし……上手く説得出来るか分かりませんが、水曜までに高岡さん、あっいえ……えーと、お、お父様、を前向きにしてみせますっ」
「「お嬢様……!」」
手を取り喜び合う姉妹を前にして、宣言したことを今一度心に誓うモモ。
と同時に説教する凪徒の恐ろしい形相が思い浮かんだが、こちらは命が関わる問題なのだ。帰ったら幾らでも説教は受けて立とう。やっぱり、本当に、それはそれは恐怖のお仕置きなのではあるけれど。
「有難うございます! それではお嬢様、わたくし達は夕食の支度に戻ります。ご主人様にはくれぐれも、ご病気であることをお嬢様は知らないことになさってくださいませ。本当に有難うございます!」
いつになく笑顔の二人を見送り、モモは中央の噴水へ歩みを進めた。
「父親か……」
自分の父親とは、母親とは、どんな人物でどんな理由で自分を手放したのだろう。今までにも時々考えることはあった。置き去られた布の中には「この子の名前は桃瀬です。一年以内に必ず迎えに参ります」と書いた紙片があっただけだという。けれど何年待っても迎えは来なかった。嘘だったのだろうか? それでもまだ冷たい三月中旬の寒空を心配して、温かな布きれに包んでくれていた。
「あたしの父親代わり……」
サーカスで働くまでは園長先生が父であり母であり、そして施設の皆が兄弟だった。では今は? 誰かがそういう対象なのだろうか? 誰か──団長? 暮さん? 先輩?
“お前……お仕置き。デコ出せ”
ブランコでミスをした時の、長~いお説教の後に囁かれる地獄からのような声を思い出し、モモは思わず額を両手で押さえた。あの悪魔のような目つきと超高速で放たれるデコピンの痛さと言ったらもう鳥肌ものだ。そしてきっと今回もサーカスへ戻ったら……一発だけでは済まされないかもしれない。
「と、とにかくここでは優しい高岡さんがお父さんなんだからっ」
──先輩のことは少しだけ忘れよう……。
茜色に染まり始めた西の空を眺めて、モモは小さく溜息をついた──。
★次回更新予定は四月二十七日です。




