[17]秘密と切望 〈K&K〉
しばらく二人の間にはお互い声をかけようとする気持ちはなかった。じっと優しい風に身を任せて春の息吹を感じる。一年前まで確かにここには、自分に会いたいと願う同じ顔をした少女がいた。
モモはずっと遠くまで細部を見たいと目を見開いた。明日葉の愛したこの庭園を、隅から隅まで心に閉じ込めるように。
どうして間に合わなかったのだろう……そう思うと、胸元を針のような鋭い棘に刺し貫かれる感じがした。もしも自分が一年早くブランコ乗りになれていたら。もしも明日葉がせめてあと数ヶ月でも生き永らえてくれていたら……でも『もしも』はいつまで経っても『もしも』なのだ。誰も過去は変えられない。
「ご主人様~! 会社からお電話でございますー」
そんな感傷の最中に、花純の──いや、桔梗か? 高岡を呼ぶ声と携帯電話を掲げて駆け寄る姿が映った。鉄棒の横に寄り添っていた高岡は、そっとモモに目配せをしてメイドの元へ歩いてゆき、応答しながら館の方へ去ってしまった。
モモはそのまま近付いてくるどちらとも分からないメイドのために鉄棒から飛び降りた。淡いピンク色のスカートが、まるで桜の花びらのようにフワリと広がってゆっくりと萎んだ。
「お嬢様、お庭はお気に召されましたか?」
相変わらずのにこやかな微笑み。『お嬢様』と呼ばれることには慣れないが、この双子の姉妹にはモモも好感を持っていた。
「あ、はい……えーと?」
「桔梗です、お嬢様。見分ける方法はこちらでございますよ」
と、桔梗は自身の左の耳たぶを指差した。凝らさなければ分からないような小さなほくろが目に留まる。
「花純には右側にございますので、どうか覚えてくださいませね」
桔梗は左で、花純は右……いや、自分から見れば桔梗が右で、花純が左? 結局見分けられそうもないなと、思わず苦笑いをしてしまう。
「あの、お嬢様。一つ申し上げても宜しいでしょうか?」
桔梗が珍しく笑顔以外の表情を見せたので、モモはすぐに「もちろんです」と答えた。何とも申し訳なさそうな、淋しい上目遣いをしたのだ。
「実は……──」
「桔梗?」
その時彼女の背後から同じ声が呼びかけて、振り返った向こう側に、先程と全く同一の駆け寄る姿が近付いてきた。
「花純……」
桔梗が少し困ったように花純から目を逸らす。どうも聞かれたくない話のようだ。
「やっぱり! 桔梗、お嬢様にあの事をお話しようとしたのね? 駄目よ……お嬢様が心配するだけだわ。それにご主人様には口外しないようにと止められたでしょ?」
「でも、このままじゃ」
自分の聞こえる範囲でやり取りされては、さすがに訊かずにいられる訳もない。モモは早速姉妹の会話を止めて二人を問い質した。
「あ……申し訳ございません、お嬢様。実は……」
やっと話せる状況になったのにも拘わらず、桔梗は涙を堪えるように口をつぐんでしまった。
「わたくしがお話致します、お嬢様。実は、ご主人様も病を患っておいででございまして……もってあと半年と医師から宣告されているのです……ですから」
「「ご主人様がたとえ答えを導くことが出来なくても、どうか水曜日までこちらに留まってはいただけませんでしょうか」」
「え……?」
凛とした花純の言葉に、途中から涙を拭った桔梗が加わる。シンクロした二人の声で思わぬ懇願をされたモモは一瞬ひるんでしまった。
高岡紳士が余命半年? ──あんなに縦にも横にも立派な身体を持ちながら……真実なのだろうか?
「先日胸部のレントゲンで大きな影が見つかりまして……ご主人様はようやく奥様と明日葉お嬢様に会えるだなんて、少しも病に立ち向かうお気持ちがないのでございます。もしお嬢様が三日後まで滞在されてご主人様を勇気づけてくだされば、きっとお元気になられるのではないかと……」
「はぁ……」
徐々に陽の落ちてきた煉瓦の地面に、三人の影が少しずつ伸びていった。桔梗と花純の願う瞳からモモの瞳は逸らすことも出来ず、しばらく困惑の色を見せながら再び沈黙の時間を漂った──。
★次回更新予定は四月二十四日です。




