[5段階]
──まったく……こいつの寝姿、もう何度見たんだか……。
すやすやと軽い寝息を立てるモモの目の前に頬杖を突き、凪徒は静かな苦笑いを零していた。
この一年だけでも数回は思い出される。昨春の誘拐事件の帰り道、モモは凪徒の運転する営業車の後部座席で疲れて眠ってしまった。夏の失踪事件でも凪徒が戻った夕、会議用のプレハブで、待ちくたびれてテーブルに倒れ込んだ背中を目撃している。慰安旅行の宴会ではそれこそ凪徒の胸の中で寝入ってしまっているし、ロシアの行き帰りでは隣の座席で気持ち良さそうに休んでいた──が、何も今眠ることはないだろうと、その苦笑は嘆きに変わりつつあった。そんな矢先──
「あ……せ、んぱい……」
突然モモが言葉を発したが、それは寝言のように思われた。
「先輩、それは……ダメ!」
──おいおい……まさか夢の中で、もう俺とイイコトしてる訳じゃねぇよな?
台詞の内容からつい変な想像に及び、凪徒は固唾を呑んで、モモの次の句に耳を澄ましたが、
「それは……まだ、食べま、す……」
「何だよ、色気より食い気かっ」
思わず荒げてしまった凪徒のツッコミに、モモは目を覚ましてハッと我に返った。
「ん……ん? うん!? あ……すみっません!」
「別に……俺が風呂から出てから、まだ十分程度だ」
あたふたと起き上がったモモに釣られて、凪徒も向かい合うように倒していた身を起こした。
「それより、よだれ垂れてるぞ」
「えっ!」
「ぷっ……嘘だよ」
裏返った驚きの声と、マッハの速さで口元を隠したモモの仕草に、凪徒はいつになく自然な笑みで吹き出していた。
「こんなあったかい所でそんな厚いの着てたら風邪引くぞ。ほれ、バンザーイ」
「バンザーイ……って、え?」
──せ、先輩に服脱がしてもらっちゃった……。
つい掛けられた言葉に反応し、両手を上げてしまったモモのパーカーは、見事に裏返されて上空へ消えていった。
「まだそんなシャツ着てんのか」
目の前に現れた水玉のコーデュロイに、凪徒は呆れて吊り目を丸くする。
「だ、だから汗かいちゃったかな~って、お風呂入ってきますー」
モモは次に定められたターゲットを逸らすように立ち上がったが、
「きゃああっ」
「頭の上で大声出すなって」
ウエストの両脇を捉えた凪徒の両手が鮮やかにジャージを降ろして、モモは咄嗟にシャツの裾を引き、足の付け根を隠していた。
「ちょっともう一回座って、脚見せてみろ」
「あ、し……?」
前側で両腕を突っ張ったまま、モモは言われた通りに腰を降ろした。凪徒はベッドサイドにしゃがみ込んで、左脚のふくらはぎを手に取り、まじまじと見つめた。
「脚なんて……練習着と本番はスカートなんですから、いつでも見てるじゃないですか……」
「んなの生足じゃないじゃんかよ。第一ブランコの時に、そんな余裕なんてない」
──そ、そうなの? 先輩、本番の前までは楽勝そうな顔してるのに……。
「やっぱりわっかんねぇな~何でこの筋肉量であれだけ跳べるんだ!?」
「あたしも知りたいです……」
凪徒は数回モモの筋肉を確かめるように指先に力を込めてみたが、相変わらずその辺りの女子みたいな柔らかい脚に首を傾げ、丸みのある滑らかな膝頭にそっと口づけをした。
「あっ──」
「まぁお陰で杏奈がくれたミニスカも似合ってんだから、ジャージやジーパンばっかじゃなくて、たまにはスカートはけよ?」
「え? あ……はい」
──あんな夕闇の一瞬のこと、先輩、覚えててくれたんだ。
「こんなでっかいベッドなんだから、真ん中行くぞ、モモ」
立ち上がりモモを抱えた凪徒は、ベッドの上を数歩膝で進み、大きな枕を背もたれにゆっくりと降ろした。
──せ、先輩にお姫様抱っこされた……。
残念ながらモモには昨秋の日本酒事件の記憶がないので、これがお初だと勘違いしてしまう。
「あ、あの、えーと、お風呂は……」
「公演の後にシャワー浴びたんだろ? 別に臭くもないし、どうせならお前の匂い付けて帰ってやる」
──つ、付けて帰る?
言われることもされることも、全てに馴染みのないモモには、一つ一つを理解するのに時間が掛かり、そうしている間にシャツの第一ボタンが外されていた。
「何だ……椿さんからもらったの着けてんのか」
鎖骨の下から現れたのは、あの海色のイースターエッグだった。
「あ、はい……ショーの間は着けられないので、せめて夜だけでもと」
「悪いけど外すぞ。……其処らに置いとけるもんじゃないな」
「ケース持ってきてます。鞄のサイドポケットの……あ、自分で」
モモは凪徒に外されたネックレスへ手を伸ばしながら、腰を上げかけたが、場所を聞いた凪徒はいち早く鞄へ寄り、
「お前は其処でじっとしてろ。動くなっ、逃げんな!」
「に、逃げませんて~」
苦々しく笑うモモの向こうで、凪徒はケース……ならぬあのマトリョーシカを見つけ、幾つも現れる人形を取り出しながら、徐々に苛立ちを募らせた。
「まだこんなのに入れてんのかよ~面倒臭い! 後でちゃんとしたボックス買ってやるからそっちに入れろよな」
「はい……」
──なんか……、椿さんに見られてるみたいで居心地悪いな……。
凪徒は全ての人形を収納し直しながら、ふとよぎった思いに失笑した。おもむろに後ろへ振り向かせて、鞄のポケットに再度しまい込んだ──。




