[4段階]
「あ、ちゃんとクローゼットもあるんだ……」
モモは凪徒の上着を抱えたまま、部屋を見回して壁の一部にそれを見つけた。ハンガーに吊るし、自分のコートも脱いで隣に掛ける。
自分の鞄と、無造作に置いていかれた凪徒の鞄を広めのローカウンターに置き、手持ち無沙汰な様子でベッドの長手に腰を降ろした。
ふわっとしたチェックの掛布団が、やんわりと沈んだ。
──あったかいけど……このパーカー脱いで待ってたら、いかにも「お待ちしておりました」って感じに思われるんだろうか……。
モモはそんなことを心配しながら、厚手のトレーナー地を見下ろした。
──おっきいベッドだなぁ~。
振り向けば花畑のように広がるピンク色の波が見えて、それは明日葉のよりもモスクワのホテルよりも、一回り広いように思われた。これから此処で過ごす時間の中身が、曖昧にしか想像されない無垢なモモにとっては、このベッドの心地良さが今の全てだった。
──気持ちい……──
サイドに足を降ろしたまま上半身だけを倒す。柔らかい布の感触と、何処かから香る微かな花の匂いに誘われて、モモはゆっくり瞼を伏せた。
♡ ♡ ♡
一方、バスルームの凪徒は──。
──俺、何でこんなに焦ってるんだ!?
シャワーから流れるちょうど良い温度の雫の下で、落ち着かない心を持て余していた。
──まったく……全ては団長の所為だっつうのっ。あんな約束、守れるかって! ……いや、俺は、守ったけどな……。
珠園サーカスには、実は女性陣には明かされていない『鬼の鉄則』がある。
『大事なお嬢さんをお預かりしているんだから、色々と分別のつく年頃──十八歳の誕生日までは、絶対に手を出したらいかんよ~』
と、あの恵比須顔で諭され、全ての独身男性は入団時に誓約書を書かされるのだ。
──お陰でどんだけ待たされたことか……あ? いや……俺、いつからモモを好きになったんだ?
ガシガシと身体を擦りながら、ふと浮かんだ疑問に自ら問い掛けてしまった。
凪徒が初めてモモに出逢ったのは、二十一歳になりたての頃、モモはまだ十五歳少し手前だった。──その時は明らかに『中坊のガキ』だと思っていた筈であるし、昨春出た自分の答えは『相棒』の二文字だった。昨夏には『腹違いの妹』だとばかり思っていた訳だし……? でもロシア行きが決まった際には「そんな『目の前にエサぶら下げられた状態』なんて地獄だ!」と思っていたのは間違いない……。
「まさか……あいつをパートナーとして選んだのはこの俺だ。今更あいつの良いところに気付いたりなんてしない」
先月相対した洸騎に向けて発した言葉。凪徒はいきなり思い出された自身の台詞に、ふっと天井を見上げ考えを巡らせた。
──結局、俺はモモの舞に、初めから惚れてたってことか……?
「あ~! んなの、どうでもいい!」
凪徒は独りぼやいて、お次に髪を掻き乱したが──
──俺、モモを待つ前にシャワールームで頭洗ったよな?
「もうそれもどうでもいっ!!」
騒がしい心が鎮まらないまま、洗い立ての黒髪を再び乱暴に洗い出した。
♡ ♡ ♡
それから十分程が経過して──。
「モモ~お前も風呂入るかぁ?」
ふわふわの白いバスローブを纏った凪徒は、滴る髪をタオルで拭いながら、扉を開けて声を掛けた。けれど揺らぐ布から垣間見える景色には、動く物が一切見当たらず、またその問いに対する答えも返ってきはしなかった。
「……こいっつ……」
ベッドのこちら側で微動だにしない、突っ伏した背中に気付き覗き込む。
「寝てやがる……!」
ふつふつと込み上げる何かを抑えた凪徒は、思わず拳を震わせた。あどけない寝顔に噛みついてやろうかと、その衝動と独り格闘していた──。




