[57]遠い?春 と 近い?春
モモはしばらく立ち尽くしていたが、ハッと我に返り、自分の寝台車から沢山の土産を手に取って、再び団長室に舞い戻った。が、話の邪魔になってはいけないと即座には渡さず、とりあえず打ち合わせが終わるまで「会議室で待っています」と声を掛けた。
暖かな会議用プレハブには凪徒が話した通り、じっと動かない洸騎がいた。入室と同時に強張った顔を上げ、困ったようにモモを見上げる。モモは静かに凪徒の座っていた椅子に腰掛けて、凪徒に話した同じ内容と、ずっと先延ばしにしていた洸騎への返事を告白した。
=ごめんね、洸ちゃん。あたし、大好きって言える人と出逢えたの。=
モモは淀みない声でそう告げた。洸騎は一瞬呼吸を止めたが、深く長く内なるものを吐き出して、うっすらと微笑み、そして満面の笑顔を見せた。
「良かったな、モモ。これからもみんなと一緒に応援してるから……ブランコも、恋、も」
モモはその言葉に偽りのない気持ちを感じて、同じく満ち足りた笑みを返した。
☆ ☆ ☆
それから数日後。桜社長と高岡紳士は決められた日時に施設を訪れ、園長との正式な契約が交わされた。
二人の取り計らいで、洸騎がクライアントに依頼した交換条件も、何のお咎めもなく反故にされ、全ては順調に運び、穏やかな日常が取り戻された。
そんな三月の、モモの『昔』の誕生日──。
「うん、大丈夫。もうすぐ桜の綺麗な町へ移動するの。そう、毎年必ずこの時期に公演する所。桜が満開になったら、お母さんに写メ送るからね。あ……暮さん……うん、ピエロのお兄さんが呼んでるから、これで切るね。まだモスクワは寒いでしょうから、お母さんも身体に気を付けて! はーい、それじゃ……」
モモは暖かな陽差しに包まれたベンチにて、買い換えたスマートフォンから、椿とインターネット通話を楽しんでいた。
「あ、わりい……母さんと電話してたのか?」
手を振りながら駆け寄ってきた暮が、モモの笑顔から電話の相手を割り出した。隣に腰掛け、申し訳なさそうな表情を寄せる。
「あ、はい。でもそろそろ終わりにしようと思っていたところでしたから」
暮は少女の満足気な様子を感じ取り安堵したが、しかし少々切なそうにその顔を覗き込んだ。
「な、モモ。もうすぐモスクワから戻って二週間だろ? やっぱり会いたくなってるんじゃないのか? たまには秀成のパソコン借りてさ、大画面で喋ってみたら──」
「大丈夫です、暮さん。それに……あたしには、日本にもお父さんとお母さんがいますから!」
話途中で元気に返事をしたモモのニコニコ顔に、暮は一瞬ハテナが渦巻いた。
「父さんって高岡社長のことだよな? 母さんって誰だ? 杏奈さん……じゃ、若いよな? 夫人? 茉柚子さん? あぁ、園長先生か?」
「いえ。暮さんですよ」
「なるほど~……って……えっ!? お、おれっ!?」
すっとんきょうな声を上げて自分を指差した暮の仰天な姿に、モモは笑みを崩さず大きく頷いた。
「だって、ずっと近くで見守ってくれていて、いつも心配してくれて、あたしが困っている時、一緒に泣いてくれたじゃないですか。お母さん以外の何者でもないです!」
「そ、そ、そうかぁ~?」
そんなに喜んでくれるのならまんざらでもないと思ったが、高岡紳士がいるとは云え、何故に父親でなく母親なのかと、苦笑いしつつ問い掛けた。
「うーん……上手く説明出来ませんけど……高岡のお父様とは何かが違うんです。何でしょ……暮さんの優しさは母性を感じさせるって言いますか……」
「母性……」
その答えに唖然としたが、それよりも他の質問が湧き上がり、暮はニヤッとモモを見下ろした。
「んじゃ、モモにとって凪徒は何だ?」
「え? 先輩は……やっぱり『先輩』だと思いますけど、家族の中でしたら『真ん中のお兄さん』です」
「真ん中?」
『彼氏』や『旦那』という言葉を期待していた暮には大外れな回答だった上、『真ん中』とは何ぞやと首をひねったが、
「大きいお兄さんが鈴原お兄さんで、小さいお兄さんが秀成君。あ、あと鈴原夫人はお姉さんで、リンちゃんは年子の妹です」
「な、なるほどねぇ~……」
──それで『真ん中』か……しっかし凪徒の奴、モモが十八の誕生日を迎えてやーっと解禁したってのに、あいつまだ手ぇ出してないのかよ!
そのまま他の団員達の位置付けを次々に上げ続けるモモの言葉は、もはやそよ風のように聞き流しながら、ふともう一人の気になる存在を、暮は再び問い質した。
「それじゃあ、団長は?」
「え? あ、そうですね……お、じい、ちゃん……?」
つい脳裏に浮かんだ言葉を口にしたが、モモはいけない気持ちがしたのか、言いよどみながらバツの悪そうな顔をした。
「高岡のお父様と同い年なのに、それはないですよねぇ……」
「いや、いいんじゃねぇの? あの太鼓腹は布袋様って感じだしなーしかし俺は随分子沢山で、団長は相当な孫やひ孫持ちだな!」
「そうですね~でも暮さんも、鈴原お兄さんや、秀成君や、先輩のお父様みたいに、すぐ『パパ』になっちゃうんじゃないですか?」
「え!?」
モモとは思えない返しの言葉に、慌てて視線を合わせてみれば、普段自分がしているような冷やかしの表情が向けられていて、暮は刹那に赤面した。
「あたしだって知っているんですよ~暮さんが茉柚子さんとお食事に行ったこと!」
「えええっ!!」
こんな所で反撃を喰らうとは思いもよらず、頭頂部から足の先まで熱い何かが駆け巡り、次第にその表面がピンク色に染められていくことに気付かされた。
「い、いや、でもそれは……」
「今はメル友だって茉柚子さんが言ってましたけど、なかなか脈がありそうでしたよ?」
「え! 本当かっ!? ま、茉柚子さん、他に何か俺のこと──」
「暮? モモ! そんな所で何やってんだ~練習するぞっ」
核心に触れようとした矢先、凪徒の大声が暮の恐る恐るな小声を打ち消した。モモは咄嗟に振り向いて、凪徒に「はーい!」と叫び返す。
「あいっつぅ、また俺の恋路を!!」
「暮さん?」
いきなりすっくと立ち上がった暮は、猛スピードで走り寄り、目を丸くして立ち止まる凪徒に向かって強烈なタックルをかましていた。
「く、暮! いきなり何すんだよっ!?」
「うるさーい!!」
目の前で繰り広げられる『いつもとちょっとだけ逆の風景』に、モモの笑顔は苦笑いから柔らかな微笑みに変わった。もう少しで春が来る──あの桜並木の高台の町で、交わした夜桜の約束は……今度こそ、叶うの……かしら?
【後日談】
もちろん団長との『約束』を破った秀成には、テント内全ての床磨きと全座席拭き上げの刑が待っておりました。そしてその『約束』の詳細は、次のSpecial.2にて明かされます!
【余談】
以下の文章は冬編16話とリンクしております。宜しければ遡ってお楽しみください☆
>「暮? モモ! そんな所で何やってんだ~練習するぞっ」
核心に触れようとした矢先、凪徒の大声が暮の恐る恐るな小声を打ち消した。モモは咄嗟に振り向いて、凪徒に「はーい!」と叫び返す。
【Special.2に続く】




