[56]『待て』と待った!!
それから出資者組は後日契約と打合せを兼ねて、施設を訪れることを確約したが、少々詰めておきましょうと、そのまま大人だけでの話し合いが持たれることとなった。モモはしばし席を外す自由を得、昨夕渡し済みの団長を除く全員と、施設で待つ皆の為、ロシア土産を取りに表へ出た矢先、背後から走ってきた凪徒の腕に捕まえられたのであった。
「つまり、それは……」
一通り概要を聞いた凪徒は、呟きながらやっとモモを解放したが、モモは最後の凪徒に関する隼人の言葉に関しては、もし話せば脳天から噴火しそうだとの危険を感じ、自分の胸の内に収めておいた。
「は、はい~また先輩のお父様に、お金を使わせてしまいました……」
肩を包み込んでいた大きな力がスッと消えて、鼓動の高鳴りも徐々に静まり始めた。遠慮がちに振り向いて、唖然とした凪徒の顔を見上げ、少々苦々しげにこめかみを掻いた。
「そっんなことはどうだっていい!!」
モモの背丈に合わせて折っている膝に両手を突き、はあぁ~と大きな息を吐く。
「とにかくっ! 辞めなくて済んだんだなっ!?」
「は、はい……ご心配を、お掛けしました……」
──何だよぉ~! それを先に言えっつぅのっ!!
疲れたように首をガクッと落とし数秒静止していると、脳内を廻る色んな想いが込み上げてきた。やがて身体を伸ばし、凄んだ眼つきでモモを見下ろす。
「お前……お仕置き。デコ出せ」
「ひっ!?」
ほぼ一年振りに聞こえた恐怖の台詞が、反射的にモモの両手を額の防御に向かわせていた。
──な、何で!? 行くなって言われて、行かなくなったのに、何で~っ!!
「今回はとびきり強力だから、目ぇつぶっとけ!」
「せ、先輩ぃ……」
弱々しい抵抗の言葉も震える両手の盾も、凪徒の一喝と大きな左手でいとも簡単にはねのけられた。モモは仕方なくグッと歯を喰いしばり、ギュッと瞼を閉じる。前髪を上げられ、首も見上げるように角度をつけられ、そして──
「いっっ!! ……たく、ない……?」
確かに何かが額に触れたが、それは柔らかく一瞬で、すぐに視界を機能させてみたものの、もうその時凪徒の身体は数歩先で背中を向けていた。
「……これ以上、俺を不安にさせるなっ」
あちらを向いたまま、放たれる叫び。
「……はい……あの、すみません、でした……」
モモは心が持っていかれたように凪徒の許へ一歩を踏み出したが、凪徒はそれを制止するかの如く、顔だけを少し振り向かせた。
「コウキって奴が会議室で待ってるから、そいつに事の顛末を話してやれ。それと……誕生日……おめでとうな」
「あっ──」
照れたように上空を見上げたのち立ち去る凪徒を、モモは声を掛けられないまま見送った。やがてゆっくりと右手を上げて、何かが触れた地点を指先で辿る。
──な、んだった……? 何があったの? だ、誰か教えて!! 先輩、あたしに何したのー!?(註1)
事態が呑み込めないまま満天の夜空を見上げ、額に起きた『事件』の真相を探ったが、初めて得た優しい感覚は、モモの記憶の何処にも見当たらなかった。
両手をジャージのポケットに突っ込んで、ズンズン歩く凪徒もふと立ち止まり、煌めく星々を見上げる。
──団長、とにかく『約束』は守ったぞ! まったく……『待て』を言われた犬の気持ちが、痛いほど分かったぜ!!
拘束された時間を思えば、そんな呆れた約束への怒りよりも、やり遂げたという達成感が、心の中を爽やかに吹き抜けていった。微かに笑みが浮かび、胸の内から湧き上がる喜びが、口の端をニヤリと上げさせた。
──何はともあれ、待ってろ、モモ!
=お前……解禁だっ!!=
[註1]額に触れた何か:桃瀬さん……それは『口づけ』というものです♡
★次回冬編最終回、更新予定は三月七日です。




