[55]与えられた力と返された光
「さ、モモちゃん、身体起こして……どうかしたの?」
杏奈は目の前で、二つ折りのまま微動だにしないモモの背中にそっと触れた。誘うように肩の前側を優しく押し上げ、モモはやっと顔を上げたが、その表情は随分と思い詰めていた。
「あの……あたし、このままで……こんなまんまでいいんでしょうか?」
「え?」
特に杏奈へ向けられた訳ではなく発せられた涙声。視線は虚ろに落とされて、震える唇は心のつかえを吐き出した後、キュッと噛み締められた。
「どうして、そんな風に思うの?」
折り畳み椅子の方が座高が高い為、杏奈はソファに浅く腰掛けたまま、長い睫を濡らして揺らすモモの瞳を見上げた。
「あたし……杏奈さん達にも、施設の先生方にも、サーカスのみんなにも……ずっと助けてもらってばかりで……何も返せていなくて。これからも……返せる物が見つかる自信がないんです……」
両膝の上で握られた拳が、更に軋んでいく。──ずっとずっと励まされてきた、助けられてきた……でも……それに応えられている自分がいない──
「あらん……こんなに返されているのに?」
「……え?」
心配そうにトーンを落としていた杏奈の口調がいつもの様子に戻って、その調子と台詞の内容に、モモはきょとんと目を丸くした。
「明日葉、私も君には沢山の勇気を貰ったよ。余命幾ばくもないと信じていた時も、君の必死な想いが私を救ってくれた。それに、君の笑顔が私のライフワークを決めてくれたんだ。今回の事業には桜コーポレーションだけでなく、高岡プランニングも共同出資する。その後押しをしてくれたのは──君の存在だった」
「お、父様……」
モモは園長の向こうに腰を降ろした高岡紳士へ、涙が零れそうな瞳を向けた。水の膜を通して映る『たった四日間の父親』は、今でも娘であるモモに精一杯の愛情を注いでいた。
「計画は数年前から始まっていたけれど、隼人さんを此処まで本気にさせたのも、モモちゃん……貴女だと思うわ。それにね、自分の子供が欲しいと心から思わせてくれたのも貴女。だって~こんなに気持ち良いほっぺがいつでも触われるのだもの!」
「えっ!」
目の前で返された二つの答えに呆然として、以前のように頬を撫で回した杏奈へ、モモは驚きの大声を上げてしまった。
「モモ」
「あ……はい」
次に呼んだのは、涙を拭いて元に戻った園長の微笑みだった。
「皆さんの仰る通りよ。貴女の笑顔でどれだけ励まされてきたのかしれないわ。きっとサーカスを見にきたお客さんも同じ……そんな細い身体で、輝かしい笑顔で、一所懸命に宙を舞う貴女の姿を見たら、きっと勇気づけられている筈よ。だから何も返せていないだなんて落ち込まないで。これからも楽しいショーを見せてちょうだい」
「園長先生……」
語られた瞬間、団長も茉柚子もモモに大きく深く頷いてみせた。高岡紳士も桜社長も、そして杏奈もにっこりと口角を上げる。モモは沢山の眩しそうな弓なりの瞳に、自分という弱い小さな存在が、しっかり認められていたのだと気付かされた。
「ありがとうございます! あのっ、これからも頑張ります!! それから……お父様、杏奈さん、先輩のお父様……あ、あたしのふるさとを救ってくださいまして、本当に……本当にありがとうございますっ!」
モモは再び勢い良く立ち上がり、元気良く腰を折った。そんな清々しい姿を目に入れて、桜社長は少女の逆さになった後頭部に声を掛けた。
「いや、感謝するのはこちらの方だよ。君は児童養護のスペシャリストを紹介してくれた。それに……これから君には、凪徒が随分世話になりそうでもあるし……そのお礼と思ったら安いものだ」
「え?」
モモは後半現れた、凪徒の名前と意味不明なお礼、そして隼人の含み笑いに瞬間面を上げた。残りの面々も意味深な雰囲気を持ちながら、破顔してモモを見つめている。
──お世話になっているのはあたしの方なのに……あたしが先輩をお世話?
モモはその疑問を尋ねられないまま、涙の消え去った瞳を瞬かせた──。
★次回冬編更新予定は三月四日です。




