[49]よそよそしい影とひたむきな影
「今回こそは説明しろ!」
翌夕。凪徒は公演を終えた暮の腕をひっつかみ、昨夕の状況を究明していた。
「今回こそって何だ? 『こそ』って?」
相変わらず飄々とした暮ピエロは、衣装室でメイクを落としながら、赤玉鼻を喰いちぎりそうな凪徒を目の端に映す。
この日とその翌日の休演日を、凪徒とモモは休むように命ぜられ、凪徒は時差ボケや旅疲れを癒すように、軽い運動だけを心掛けた。モモはおそらくじっくり鑑賞出来るのは最後になるであろうと思い、皆のショーを観客席からじっと見つめた。
「お前、以前モモが泣いた時に、原因も理由も教えなかったじゃねぇか。あん時は我慢したんだ。今回は教えたっていいだろうが!」
「ああ~そゆこと」
クリクリのカツラを外して緩やかな焦げ茶の髪をボリボリと掻きむしる。暮はモモが洸騎からキスされそうになったあの日を思い出して、「まったく記憶力がいいなぁ」と聞こえないようにぼやいてみせた。
「でもやっぱり駄目だ」
「はぁっ?」
端的に拒絶して鏡に近付き、目尻の皺にめり込んだ色を綿棒で落とし始めてしまう。
「ふざけんな! 最近あいつは俺の前で泣き顔ばっかりだっ! 母さんと対面した時はともかく、それ以外は何なんだよっ!!」
「うーん……」
困ったように顎をさすり、やがて意地悪そうな細い目を向けた。
「だったら、モモ本人に訊け。もちろんそれが出来るのなら、もうしてるんだろうけどな。それにモモに問い質しても、モモが答えないのを分かっているから、俺に訊いてるんだろ? モモが答えないなら、俺も答えられない……お前はそれも分かっているけど、訊かずにはいられない……そういうことなんだろ?」
「う……」
凪徒は図星の問い掛けに、返事を詰まらせてしまった。暮はその様子に心ある笑みを一瞬見せたが、刹那にいつになく真剣な面持ちを表し、
「『これ』はモモの問題なんだ。俺達が口出し出来る話じゃない。俺だってモモを助けたいさ……でも、とてもそんなレベルじゃない……見守ることしか、出来ないんだ……」
「助ける……!?」
悔しそうに俯いた暮の横顔が余りにも切なそうで、凪徒はそれ以上言葉を繋げなかった。それを暮も気が付いたのか、いきなり凪徒の首に手を回し、いやらしそうにニヤニヤと嗤い出した。
「で? モスクワでなんか進展はあったか? 部屋は一つで十分だった~なんてことなかったのか!?」
「アホか、お前」
暮の回した手首を掴み、凪徒は顔色を変えぬまま、それを骨格的に無理な方向へと捻じ曲げた。
「いででっ、怒んなよー凪徒! お前にも『約束』があるのは分かってるけどさ~秀成も破っちまったんだから、お前も続いちまえば? あ、でももうすぐ、か? そう言えばモモの本当の誕生日分かったのかよ?」
「うっせえ、お前が何も教えないのに、誰が教えるかよっ」
──『今日』、だけどな……。
凪徒は暮を解放して、衣装室を出ようと立ち上がった。其処へ暮が今一度呼び掛け、何かが弧を描いて放り投げられた。
「お前今週点検当番~昨日は代わりにやっといてやったから、今日から宜しくな!」
凪徒の手には鍵の束が握られていた。
「何だよー俺、休みもらってんだぞ?」
「それはそれ、これはこれ! んじゃ頼むな~」
「へいへい」
凪徒はいつものヘの字顔で部屋を後にした。
──まったく……秘密主義な上に、人使い荒いよな。
点検表を取りに事務所に戻り、筆記用具を片手に歩き出した。既に昨日のような淡い夕闇が落ち始めている。寝台車の角を横切ると、向こうからやって来た小さい影が、団長室の扉をノックしていた。隣に同じ位の少しふくよかな影が二人並んでいる。
「……」
三人と凪徒は視線がかち合ったが、その気まずそうな眼差しに声が掛けられなかった。会釈をされたので同じように返し、慌てて入室するその横を静かに通り過ぎた。
──モモと……誰だ? 団長に何の用が?
モモの咄嗟に逸らした瞳が気になりつつも、まずは敷地の出口を目指した。
やがて昨日見た美しい海の照り返しが、細めた眼に強引に映り込む。しかしすぐにその真中に黒い人影が出現し、それはこちらに向かって近付いてきた。
──今日は随分と来客が多いんだな。
すぐ傍まで歩み寄り立ち止まった影が、口を開くのを待つ凪徒。その影は背の高い彼を少しだけ見上げ、
「桜 凪徒さん、ですよね? お話したいことがあるのですが」
──え? 俺?
そう話し掛けてきたのは、引き締まった表情をした洸騎だった──。
★次回冬編更新予定は二月十六日です。




