[43]偽りと子守唄
「本当に……素晴らしかったわ!」
その晩。モモは椿の寝室で、母親とベッドに腰掛けていた。
あれからしばらく興奮はおさまらなかったが、勢揃いしたメンバーはやがて整然と一列に立ち並び、本日のゲスト二人に多大な感謝と深い礼を捧げた。もちろんモモと凪徒もその真ん中に入れてもらい、椿とカミエーリアの賞賛を意味する大きく振られる手に笑顔で応えた。
片付けと支度を済ませ、全員にお礼の言葉を言って握手を交わす。モモは待っていてくれた椿達とタクシーに乗り込んだが、凪徒は翌日アパートへ迎えに行くことを約束し、団員達と成功の祝杯を挙げるのだと黄昏の街へ消えていった。
実はあまりに二人の演舞が素晴らしかった為、是非とも明日のショーにゲスト出演してほしいとオファーが掛かった。明後日には出国の予定であるので、椿は帰宅の前に大きな土産店とスーパーマーケットへモモを案内し、お勧めのロシア土産や簡単に作れるロシア料理のレトルトを購入して、モモはある程度の買い物を済ませることが出来た。椿も今回のお礼にと、桜社長と凪徒の為にささやかな贈り物を用意した。
夕食は三人で美味しいと評判のレストランへ赴いた。椿の通訳を挟みながらの会話はそれでも良く弾んで、楽しく美味しい時間を過ごした。帰宅後リビングでお茶を飲み、シャワーを浴びさせてもらったモモは、椿の大きなベッドで一緒に休むことになった。フカフカの寝具の上で、あの優美な舞を改めて思い出した母親のしみじみとした声に、少しはにかみながら言葉を返した。
「良かった。喜んでもらえて」
「でも、ね。桃瀬、あの後ちょっと気になったのだけど……」
椿は娘の横顔を窺うようにゆっくりと首を傾げた。
「凪徒さんと握手した時、貴女……元気がないように思えたの。もしかして、何か悩み事でもあるの?」
「え……」
──あんなに遠くにいたのに……気付かれた?
ずっと離れていても、これが血の繋がりなのだと、モモは感じざるを得なかった。
「ううん。そんなことないよ。三回転が成功して、自分でも驚いちゃって」
──施設の為にサーカスを辞めるだなんて、やっぱりお母さんにも言えない。
モモは精一杯自然な表情をしてみせた。昔の能面みたいな笑顔を思い出す。隠すつもりでなくとも、ずっと絶やすことなく出来ていた偽りの自分。母親に心配を掛けたくない──そんな今こそ、現れるべきだ。
「そう……? それじゃ私の取り越し苦労、だったのね。でも桃瀬、何かあったら遠慮なく言って良いのよ。こんなこと、やっぱり言える立場ではないけれど、今まで出来なかった分、甘えてくれたら嬉しいの」
「うん。日本に帰っても、ちゃんと話したいことは話すから大丈夫。帰ったらすぐ、ロシアにも掛けられる携帯に変えるね」
日本に帰ったら──全てが落ち着いたら、お母さんに話そう。
モモは『今』言えない苦しみを忘れるように、母親の胸に抱きついた。
「お母さん……先輩のお父さんが、お母さんを見つけた時、お腹の中のあたしに歌ってたって言っていたの。それを歌ってもらえる、かな」
椿の起毛の上着が心地良く、モモは小さく息を吐いて瞳を閉じた。
「コサックの子守唄ね……あんまり明るい歌ではないけれど、私も小さい頃に良く聞かされて、何となく口ずさんでいた覚えがあるわ」
椿はモモの髪を優しく撫でた。やがて美しい声で囁くように奏でられた。
「スピー ムラヂェーニツ モーィ プリクラースヌィ
バーユシキ バィユー
ティホー スマトリーッ ミェースャツ ヤースヌィ
フ・カルィビェール トヴァィユー
スターヌゥ スカズィヴァーチ ヤー スカースキィ
ピィスェーンクゥ スパィユー
トィ ジ ドリェームリ ザクルィーフシィ グラースキィ
バーユシキ バィユー……
(おやすみ、私のかわいい赤ちゃん
ねんねん、おころりよ
輝くお月様が、静かに
あなたの揺りかごを覗いているわ
お話をしましょう
お歌を歌いましょう
目を閉じてお眠り
ねんねん、おころりよ……)」
モモは母親の太腿の上で、柔らかな眠りの中へ落ちた──。
★次回冬編更新予定は一月二十九日です。




