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Momo色サーカス  作者: 朧 月夜
【Part.3:冬】触れられた頬 ―○○○より愛を込めて―
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[37]楽しい食事と切ない質問

 ダイニングの扉のこちら側で、椿はそわそわしながら待っていた。複数の足音が近付いて、目の前の立ち(ふさ)がれていた空間が一気に開かれる。その勢いに思わず両手を伸ばしていたが、すぐに胸元へ娘の喜ぶ顔と、サラサラとした髪の感触が雪崩(なだ)れ込んできた。


「いらっしゃい、桃瀬!」

「お母さん……!」


 ああ、昨日の出来事は夢などではなかったのだと、二人は心の奥底で深く安堵した。テーブルに(いざな)って昨夜のように席に着く。ニコニコと笑顔を見合わせて、沢山話したいことがある筈なのに、想いが溢れて言葉にならなかった。


 やがてカミエーリアが大皿にたっぷりと、ロシアの代表的なご馳走ビーフストロガノフを運んできて、その湯気の立つ香り豊かな味わいに、凪徒とモモは大興奮の声を上げた。


「喜んでもらえて良かったわ。ほんのちょっとだけど……私も手伝ったの」


 はにかむ椿と満足そうなカミエーリアも、予想以上の好反応を嬉しく思いながら、他にもピロシキやキノコのマリネなどを勧めて、いつになく賑やかな夕餉(ゆうげ)を楽しんだ。


「あの……お母さん。あたし、二つほど()きたいことがあるのですけど……」


 食事を終えてリビングに移り、ジャム入りのほんのり甘いロシアン・ティーを一口戴いて、モモは少し遠慮がちに話を切り出した。椿の隣の凪徒はブランデー入りの紅茶をたしなみ、テーブルにはリンゴとカスタードがたっぷりの、焼き菓子シャルロートカがフルーティな香りを漂わせている。


「何も気にせず訊いてちょうだい。それに敬語なんて使わなくて良いのよ。……って言っても、難しいわよね……でも少しずつで良いからお願いね」

「は、はい……」


 モモはその言葉に胸の内で申し訳なく思いながら、確かに生まれた時から一緒にいる母娘(おやこ)とは、同じになれない不自然さを否めなかった。それでもいつか変わるのだろうか? あと数日……ロシアにいられる時間は限られているのだが。


 そんなタイムリミットを惜しむかのように、早速一つ目の質問を口に出した。


「えと……まず、あの……あたしの誕生日はいつですか?」

「あ……っ」


 椿は昨夜のように両手で口元を押さえ、言葉を詰まらせた。やはり自分は何て酷い母親だったのだろうと感じざるを得ない。自分の誕生日を知らない娘──どうして、あのメモに書いてやらなかったのだろうか──。


「ごめん……なさいね、桃、瀬……貴女のお誕生日は三月三日。桃の節句……まだ桃の咲く頃ではなかったけれど、病院には看護師さん達が作った綺麗な桃のお花の飾りが沢山有って……それで『桃瀬』と名付けたのよ……」

「三月三日……おひなさまの日」


 モモは微かに口角を上げて、噛みしめるようにその数字を繰り返した。施設に預けられた十四日が誕生日とされてきたが、その十一日前に生まれたのだ。


 ──三日か……。


 そして凪徒も心の中で繰り返す。もうあと五日後だ。それでモモは……──。


「そ……なんだ。三日……良かった。ひな祭りが誕生日なんて、絶対忘れないね」


 椿の弱々しい視線に、モモは感慨深そうな笑みを返した。もちろん椿が施設に告げなかったことを、責める気持ちなど毛頭なかった。


 それから沈黙はしばし続き、椿は未だ知らぬ次の質問に、緊張を隠せなくなって(うつむ)いてしまった。彼女には名前以外何も教えてあげられなかったのだと、改めて離れていた十八年という長さと重さを感じていた。


「お母さん……、あの、ね」


 やっとつぐんでいた唇を開いたが、片付けを終えて凪徒の向こうに腰掛けたカミエーリアの姿を見つめ、モモは続きを話せなくなってしまった。


「……日本へ……戻ってこないかと、訊きたいのね……?」

「は、はい」


 モモの瞳の行方を手繰(たぐ)り、椿が予測を話した。今度は(うなず)いたモモが俯いてしまう。


「カミエーリアのこともあるけれど……そうでなくても行けないわ。桃瀬……貴女と一緒にいられるのなら、辛い想い出の多い日本へも帰れるけれど……でも、もうやっぱり遅い……」

「お母さん……?」


 首をもたげて、母親を仰ぎ見る。切なそうに揺らいではいたが、椿の眼差しは満たされたように柔らかく、モモを一心に見つめていた。


「遅いって……どうして?」


 震える唇で問うた。分かってはいても「一緒に行けない」と言われるのはやはり辛かった。


「だって……」


 椿は少しだけ凪徒を視界に入れて、そしてモモを正面に戻した。


「貴女は言ったもの。日本で幸せだったって……今でも幸せだって」

「でもっ、……お、お母さんがいてくれたら、もっと幸せだと思う……」


 カミエーリアを想えば、余りわがままは言えないと思いつつ、モモは勇気を持って本音を口にした。


「ありがとう、桃瀬。だけど巡業サーカスで働く貴女の足手まといにはなりたくないわ」


 ──巡業じゃ、なくなるの。……だから。


 今度は凪徒を目の前にして、そう言えない自分が葛藤し胸が痛む。


「それにこの数年は慈善事業を始めて、ようやく軌道に乗ってきたところなの。お陰で友達や協力してくれる人も沢山出来たわ。昨日は貴女達に自分の脚を見せたくなくて、引きこもっているように見えたと思うけれどそうじゃないのよ。心配しなくて大丈夫なの」

「お母さん……」


 その時モモは気付いた。自分の弱さ、心細さに。


 珠園サーカスを離れて、独りになること。それを母親に共にいてもらうことで、いつの間にか(まぎ)らわせようとしていた。椿はもうお互いに自分の生活があることを主張しているのだ。けれど環境が変わることを受け入れられない自分が、何処(どこ)かで(すが)りつこうとしていた。


「わ、分かった……ごめんね、お母さん」


 ──こんなことじゃダメだ。こんなことじゃ……。


 それでも淋しい気持ちは隠しきれなかった。


「今はインターネットで顔を見ながら電話も出来るし、貴女のブランコに乗る姿は、ホームページで見られるのでしょ? メールもするわ。仕事が落ち着いたら日本にきっと会いに行く。貴女の演舞をこの目で見る為に──」

「それなんですが、椿さん」


 励ますように先を語った椿へ、ずっと黙って話を聞いていた凪徒が声を掛けた。


「明日、オールド・サーカスへカミエーリアと来てくれませんか? お嬢さんの舞、このモスクワで披露しますから!」

「──え?」


 ──そうだ。今はその一点に集中しよう。


 モモは自分のように絶句した椿に、大きく強く頷いた──。




★次回更新予定は一月十二日です。

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